「災い転じて福となす」という諺を知っていますか?
悪いことでも、それが逆にいいことに作用したという事例を、そのように言います。「塞翁が馬」も同じ意味の故事成語ですね。
「禍福は糾える縄の如し」とも言います。不幸と幸福は縄のように、表裏一体となって、つねに入れ替わってくるものだ、と昔の人は考えてきました。
なので「災い転じて福となす」ということもあれば、「福が転じて災いとなす」ということも、当然あります。
福井県に伝わる飯降山の伝説は、その代表例といえるでしょう。
飯降山伝説とは、いったいどういうものなのでしょう?
と、もったいぶってお話をしてしまいましたが、伝説となった不思議な現象自体は、どうということはありません。この山の名前のとおり、空から飯が降ってきた、というのが、その現象のすべてです。
この山で修行していた、空腹に苦しむ尼僧たち3人の目の前に、恵みのゴハンが降ってきた、というのが名前の由来なのです。
「これは、お釈迦様の施しだ」
と、尼僧3人は感激しました。
空腹の中で飯にありつけたという意味では、とても幸福な出来事だったでしょう。
しかし、この幸福が、とてつもない不幸を招くことになってしまうのです。
「頭数がひとり減れば、取り分が増える......」
悲しいかな、利益を目の前にすると、ひとは、だれしも強欲になるのです。
利益を独占したいと思うように、できているのです。
目の前の飯に、尼僧2人が結託しました。この二人は、練達の尼僧でした。若い尼僧に修行の仕方を教える役割を務めていたのですが、こういう役職を務める人間というのは、今も昔も腐敗しやすいのです。口では、つらい修行を行うことの尊さを語り、若い尼僧ひとりに、そのつらさを強制します。その一方で、二人で隠れて供物や鳥獣を貪り、腹を満たすことを平然と行っていたのです。
練達の尼僧2人は肥え太り、正直に修行と向き合っていた信心深い若い尼僧は、やせ細っていました。
「この山奥なら、誰も見ていない。簡単に殺せる」
練達の尼僧二人は、若い尼僧を手にかけました。若い尼僧にとっては、何が起こっているのか理解する暇もなかったでしょう。崖の上から突き落とされた、と思った次の瞬間には、尼僧の身体は谷底の岩にたたきつけられて、動かなくなりました。
若い尼僧が死んだことを確認した尼僧二人は、手を叩いて喜びました。
食事が充実することは、この上ない喜びでした。自分の取り分が増える快楽は、倫理観をも簡単にゆがめてしまうのです。
ところが、尼僧二人は、すぐに後悔することになります。
翌日、降ってきた飯の数を確認すると、前日よりも減っていたのです。
二人で分けてみましたが、昨日三人で配分した量よりも、かえって少なくなっていました。
この出来事で、二人の目が覚めると思いきや、そうはいかないのが、人間の暗い部分です。
「取り分が少なくなってしまった。もはや、こいつを始末することでしか、満足する量を得ることができない」
尼僧のうちの一人が、そう考えました。刃物を持ち、もう一人の尼僧のもとに近づきました。そこには、同じように刃物を握り、こちらを見てニヤニヤ笑う尼僧がいました。
斬り合いの末、尼僧がひとり生き残り、一人は肉を裂かれて遺体となりました。
その次の日からは、飯が降ることはなくなりました。
お釈迦様は、頭を抱えたことでしょう。
なにせ、親切心で飯を降らせたことで、二人の尼僧が死んでしまう結果となったのですから。
人が人を殺す動機として最も多いのは、憎しみではありません。利益のためです。
大きな利益に目がくらめば、人は理性を失ってしまうのです。
信心深くあろうとし、仏門を叩いた尼僧ですら、そうなってしまうのです。
人間は、自分の利益のためなら、いとも簡単に隣人を殺してしまうことができる生き物なのです。そのことを、飯降山伝説が私たちに教えてくれています。
有史以来、世界中で戦争が行われてきましたが、そのどれもが、例外なく、利益のためなのです。世界中で、この飯降山伝説の模倣が、行われてきたのです。
福井県は、めだった産業や特産、観光スポットがなく、他県に後れをとってしまっている状況です。
しかし、もし、他の追従を許さないような、莫大な利益を生むような何かが福井で生まれたとしたら、どうなってしまうのでしょう?
飯降山伝説のような、血で血を洗う争いが起きてしまうかもしれません。
幸福を追求した結果、周りの人間が全員不幸になってしまうことに、なってしまうかもしれません。
「災い転じて福となす」
産業、特産、観光、めだったものを何ももたない、不幸な福井県。
しかしながら、何もないことが、すなわち、福である、ということなのかもしれません。
それを教えてくれるのが、この飯降山の伝説なのです。
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