こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、東尋坊の怖い部分について語っていきたいと思います。
東尋坊といえば、地形を一目見てわかるとおり、地質学的に大変珍しい場所です。また、さまざまな植物や鳥などが観察できる、自然豊かな場所です。海風にも恵まれ、日本海に沈む美しい夕陽を眺めることができます。こんな、地質学的にも自然的にも恵まれた福井県有数の、いや、日本でも有数の観光スポットとなるべき場所ですが、とある負のイメージを抱えているために、その実力を発揮できないままでいる、と、東尋坊に慣れ親しんでいる福井県民の私は、考えています。
そのイメージは何か、というと、「東尋坊は恐ろしい」ということです。
東尋坊は「自〇の名所」という不名誉な称号を持っています。
福井新聞、または福井新聞オンラインにて、東尋坊で活躍なさっている、自〇を防止するボランティアの方々の活動が、掲載されています。それを閲覧するたびに、ボランティアの方々のひたむきさに、敬服しています。
自〇志願は、人間ですから、そう思ってしまうのは仕方のないことです。つらいこともあります。乗り越えられない不幸もあります。ここから立ち直り、這い上がり、克服することは、並大抵のことではありません。
しかし、それでも、私たちは生きていかなくてはいけません。そして同時に、私たち福井県民は、公共の場としての東尋坊に自〇志願者が集まることを、仕組みとして阻止する方法を考えていかなければいけません。
さて、ここで問題にしたいのは、そう思ってしまった人々が、なぜか東尋坊に集まってきてしまう……東尋坊が、彼らを集ってしまうという不思議さについてです。
東尋坊には、死を引き付ける何かがあるんじゃないか……そんなふうに考えているのは、なにも当事者たる自〇志願者だけではありません。普通の人が、傍からこの現象を見て、どう考えるでしょう? 「東尋坊にいくと、あの世に引っ張られてしまうんじゃないか」とか「陰気な場所には立ち寄らないようにしよう」とか、そういうふうに考えている人も、それなりにいるのではないのでしょうか。限りある時間の中で、全国無数の観光地を巡ろうと思った時、消去法的に東尋坊が消えているのだとしたら……これは、福井県にとって、東尋坊にとって、大きな損失ではありませんか。
ではなぜ、東尋坊は、「自〇の名所」になってしまったのでしょう?
今年、自〇をしようとして東尋坊にやってくる人々は、去年東尋坊で自〇する人がおり、そのために自〇の名所になったと見聞きしたからでしょう。去年自〇しようとした人は、さらに一昨年自〇した人によって、自〇の名所になったのを見聞きしたためです。それをさかのぼっていくと、はるか昔、東尋坊で死人がでたことが想像できます。こう考えると、過去の出来ごとに、いつまでも祟られ続けているということがわかります。
崖のすぐ横を折れたところにに佇む、電話ボックスです。
中にはカイロと、錆びた10円玉、「命を大事に」と書かれた張り紙があります。
死を求めて訪れた方に対する、温かい配慮を感じますが、同時に、その活動の手が足りていないことも感じます。
上記の電話ボックスのある周辺の風景です。柵が朽ち果てて、補修されないままでいます。
観光地として、お客様を気持ちよくお招きする意志力が欠けているように思えてしまいます。環境が人間のメンタルを左右することがありますが、気分が落ち込んでいる人に、この光景を見せて、はたして気分が落ち着いたりするのでしょうか。
さて、ここからは、私の考察であり、独断と偏見になりますが、東尋坊が自〇の名所となった根幹の事件というのは、「東尋坊」の名前の由来となった、悪僧にあるんじゃないかなと思うのです。
東尋坊は、平安時代の福井に実在したとされる僧だったとされています。素行がすこぶる悪く、ひとを傷害しても何とも思わない、どうしようもない悪僧でした。彼の略奪強姦に耐えかねて、まわりの人間はやむを得ず、この悪僧の殺害を計画しました。東尋坊の崖の上で酒を飲ませて、酔ったところを突き落としたのです。悪僧の肉体は死骸となり、海の藻屑となりましたが、精神は亡霊となって生き続けました。
「おれは死ぬのはかまわんが、あの女と添い遂げられなかったのが無念だ。あの女を崖から投げて寄越せ。寄越すまで、呪ってやる」
と、生前想いを寄せていた女性を捧げることを要求し、叶えられるまで、一帯を悪天候にした、とされています。
この、悪天候に対する解決法は、私の調べたところでは、明言されていません。嵐を起こすほどの強力な亡霊をなだめるには、もはや女性を生贄として捧げるしか、方法がなかったのかもしれません。
あるいは、東尋坊の災厄を止めたのは、浄土真宗の祖である親鸞聖人や、その門弟である蓮如上人であったという説もあります。彼らの功徳が、東尋坊を改心させたという形ですが、祖である親鸞は鎌倉時代の人で、東尋坊は平安時代の人であったとされています。この悪僧の出身である平泉寺の建立が西暦700年代、親鸞の活躍が1200年代であることを思うと、最大で500年間、日本海が荒れていたことになります。もしかしたら東尋坊の嵐は、元寇対策になっていたのかもしれません。日本がモンゴル帝国にならなかったのは、日本海を荒らしていた東尋坊のおかげと、見ることができるかもしれません。
とにかく、亡霊となった悪僧には、人間の力では如何ともしがたい、すさまじい呪力が備わっていたわけです。
そして、彼をなだめるため、女を犠牲にした可能性が高い、ということまではわかりました。
でもそれは、はたして本当でしょうか。
悪僧が持つ呪力、そして心理を考えると、この結末には矛盾があります。
悪僧には、天候を操り、人々を恐れ続けさせるだけの力があるのです。生前、己の欲望のまま暴虐のかぎりをつくし、さらに亡霊になって世に住む人々を蹂躙できる力を手に入れた人間が、女ひとりを手に入れたところで、おとなしく消滅してくれるでしょうか? そんな理解のいい人間だったのでしょうか。
むしろ、女ひとりのみに満足せず、さらに供物を要求し続けようとするでしょう。この世から消えてなるものか、女、酒、富、この世の快楽をしゃぶりつくしてやろう、そのために、もっと呪ってやろう、と思うのが、自然ではないでしょうか。
となると、やはり女を差し出しますので、悪事をやめてください、という要求は、この悪僧には効果がなさそうです。実際に女は犠牲になったのかもしれませんが、それで彼の気が晴れたとするには、無理があるように思います。
やはり、ここは聖人上人らによる懲罰が功を奏した、という見方が、自然なのではないのでしょうか。
しかしながら、調伏されて改心し、亡霊は完全に消滅した、とはいかなかったようです。
なぜそれがわかるのかというと、この地の名前が「東尋坊」であるからです。呪いが完全に取り除かれ、のちの世には永久の平和が約束されているのだとしたら、この地は「豊富」なり「幸福」なりといった、良い名前が付けられたはずです。ましてや、聖人上人たちが力を発揮した場とあっては、そこは聖地となるべきです。モーセが神から十戒を授かったシナイ山や、空海が中国から日本に向けて投げた法具が、高野山の松に引っ掛かっていた事例のように。
でも、この地につけられた名前は、「東尋坊」でした。そして、聖人上人らによる亡霊調伏の記録や伝承の類は、驚くべきほど残っていません。
残っているのは、東尋坊という名前と、東尋坊が悪僧だったという伝説のみです。それらが、強固に残り続けているのです。
これらのことを踏まえると、「悪僧は聖人上人によって一度は封印されたが、悪僧の怨念が強すぎるのか、封印が不完全なためか、完全に除去されず、残り続けている」という結論になりませんか。
悪僧はなおも、供物として人間の人生を要求しつづけており、毎年何名もの方が、その身を捧げている、と。
東尋坊の伝説がすべて本物だということを仮定して、このように話を展開してきましたが、いかがでしょうか。自〇志願者たちが東尋坊に集うのは、東尋坊のほうが、彼らを募っているからです。そう仮定できてしまう内容だと思います。
この悪僧の伝説を、私たちは面白がって、あるいは気にも留めずに過ごしていますが、実は、悪僧の呪いは今も続いているとしたら、これは見過ごせないことだと思いませんか。非科学的なことだからと甘く見ていると、私たちにも、いつか危険が及ぶかもしれません。
また、話は非科学的なことに留まることではありません。私たちが、自〇志願者の集う崖を、意識的に、または無意識的に避けてしまい、そのために東尋坊界隈が発展しないのだとしたら、これは悪僧による呪いが、現実問題として効いているといえるでしょう。
東尋坊には、名前の書かれていない、壊れたお堂があります。その中には僧侶の石像があります。
石像の正体が東尋坊なら、その扱いに怒っているでしょう。東尋坊をなだめた僧を祀っているのであるならば、呆れているでしょう。もし再び東尋坊が暴れだしても、力を貸してくれないでしょう。
もともと、観音開きの扉がついていたようです。
お堂の天井にはお札が何枚か張り付けてありますが、風雨に曝されています。
この像のように、観光地としての東尋坊は、ひっそりと人々から忘れ去られ、朽ちていくことを受け入れてしまっているのかもしれません。
東尋坊の呪いを消滅させ、観光地として栄えるには、何から手を付けたらいいのでしょう?
解決策として思い浮かんだことが、ひとつあります。親鸞聖人や蓮如上人のような功徳のある人に、呪いを解いてもらえるように働きかけることです。いや、違います。今あなたの頭の中に思い浮かんだ、特定の仏門にいるご住職を指しているのではありません。各宗派の派閥のトップに君臨しているような、有名な僧侶を呼べと言っているのではありません。ましてや、霊能力者や霊媒師などの、いかがわしい人間など、もってのほかです。もっと身近に、功徳を積んでおり、その功徳が広く知られている人が、他にいます。そうです。東尋坊の自〇志願者に声をかけてまわる、パトロールボランティアの方々です。綺麗な袈裟を羽織り、教団内部の序列を競うのに一生懸命な方々よりも、絶望に苦しむ方と視線を同じくして、その苦しみに少しでも寄り添おうとしているボランティアの方のほうが、徳が高いのは明らかです。当然、呪いを断ち切る力も、備わっているでしょう。実際、目の前にいる方の、死の呪いを断ち切ることに、何度も成功なさっているわけですから。
今、東尋坊の自〇防止は、ボランティアの活動に頼っています。つまり、観光地としての東尋坊の名誉回復という大事業は、しかしながら、ボランティアの方々の奉仕のみに頼り切っているという構図になっているわけです。
この歪な構造にメスを入れるべきです。県の事業として自〇者防止に本格的に取り組んでいくべきでしょう。自〇志願をする方々を支援するためのスタッフ、設備、就職あっせんなどの福祉の充実に加えて、ボランティアに携わる方々を全面的にバックアップし、また大々的に広報し、東尋坊を生命力の気配で充満させるのです。
自〇の名所であることを隠すのは、この場合、上策ではありません。グーグル検索において、東尋坊のサジェストからは、「自〇の名所」というワードはいつの間にか消えましたが、それで自〇者がゼロになったわけではありません。また旅行者は、安心して東尋坊を訪れるようになれたわけではありません。目に見えなくなっただけで、呪いはずっと留まり続けています。
忌むべきものに蓋をして、見て見ぬふりをするのは、問題の先送りにほかならずです。福井県は、東尋坊の呪いを認めて、呪いに向き合い、立ち向かい、本気で解決していく姿勢を、内外に示していくべきでしょう。自〇の名所を、人々の希望で溢れる救いの名所になってはじめて、悪僧の亡霊は消滅するのでしょう。
その頃になると、東尋坊は、別の名で呼ばれることになっているかもしれません。
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