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スピッツ「群青」は、童話青い鳥説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「群青」について解釈していきたいと思います。

この詞はめちゃくちゃいい詞ですよね。解釈とかそういうのナシでも、十分意味も良さも伝わってくる詞だと思います。シンプルにいい曲です。

ただ、この詞の補助線として、控えておくといい話があります。この話が、詞のもとになってるんじゃないか、というような内容です。それが、童話「青い鳥」です。

童話「青い鳥」は、みなさん知っていますか? チルチルとミチルという兄妹が、幸せの青い鳥を探しにいく話です。夢の中でいろんな場所や国を訪ねてまわり、いろんな場所で青い鳥を発見するのですが、持ち帰ろうとした途端に逃がしてしまいます。でも夢から醒めた時、自分の家の鳥かごの中にいた鳥が、青い鳥になっていた、というわけで、幸せというのは、実は普段は気づかないけれど、いつもそばにあるものなんだ、というのが話のあらすじになっています。

どうですか。

この詞のタイトルは「群青」となっていますが、なぜ群青なのでしょう? 普通は、群青は深い青色のことを指しますが、深い青色であることの意味を、詞の内容からはあまり感じられません。でも、この童話「青い鳥」の内容に重ねてみると「幸せの青い鳥は、そこら中に、たくさんあるんだよ」というメッセージが浮かびあがってくるような気がします。これが、群青というタイトルに込められた意味だとしたら、どうでしょう? なんかすごい曲だなと思いませんか?

童話「青い鳥」になぞって、詞を詳しくみていきましょう。




語れるほどの夢とか 小さくなった誇りさえ

失くしてしまうとこだった 君はなぜだろう 暖かい

童話「青い鳥」の教訓として、「幸せは追い求めるほど、幸せは遠ざかっていく」というものがあります。チルチルとミチルが青い鳥を頑張って追いかけているのに、青い鳥がことごとく逃げていくのは、そのためですね。たぶんこの詞の主人公もまた、幸せを追い求めて、頑張っていたのでしょう。でも思うような成果がでずに、疲れてしまっている、そんな感じがします。

「あーあ、夢を追いかけて頑張ってきたけど、こんなところが俺の限界かな…なんか疲れたなぁ」みたいな感じです。夢はかなわないと、幸せではありません。叶えてこそ、幸せになれるのです。そう思い込んで、夢を追いかけるのに疲れて、全然幸せじゃない今の自分。

でも、自分の夢とか、自分のやりたいことを、いつもそばで見守って、応援してくれている君がいます。夢がかなっても、かなわなくても、ずっと君がそばにいてくれる。そんな暖かさに気が付いたのです。



優しかった時の 心取り戻せ 嘘つきと呼ばれていいから

鳥を追いかけて 裸足でかけだす 青く染まっていくよ

夢を追いかけているときは、必死です。なりふり構っていられません。会社とかそうですよね。上の人の信頼を勝ち取り、役職を貰って、給料を増やすために、仕事を頑張っています。仕事を頑張るということは、やりたくもないことを、心を殺して行うということです。あるいは、他人がミスをしたときに厳しく指摘をするということです。また、怒られてもめげずに、歯を食いしばって耐えるということです。

夢を追いかけて忙殺されている時というのは、優しさなんて忘れてしまう、ということです。忙しいとは、心を亡くす、と書きます。

でも、幸せって、そもそもなんでしょう? 優しくされることではありませんか。仕事で頑張るのも、お金を沢山もらって、そのお金で、自分をいたわり、優しくするためでしょう。それなのに、他人に攻撃され、また他人を攻撃する環境に身を置いているのは、どういうことでしょう?

「優しかった時の 心取り戻せ」とは、夢を追いかけなくてもいい、というメッセージなのです。

でも、夢を追いかけなかったら、こう言われるでしょう。「夢のために頑張るって言ってたじゃない、嘘つき!」と。誰もが夢を追いかけているのに、自分だけが追わないのは、怠惰であり、卑怯であり、根性なしなのです。

でも「嘘つき!」と呼ばれるのを承知で、「優しかった時の 心取り戻せ」と、この詞は勧めてくれています。負けてもいい、逃げてもいい、頑張るのをやめてもいい。夢という人参を目の前にぶら下げて、馬のように必死になって走らなくてもいい、と。

幸せの青い鳥を追いかけて、裸足でかけだしたけれど、今まで自分がいた場所こそ、青く染まっていった。自分は、駆け出したせいで、青く染まっていた場所から、遠ざかっていった。そういうのが、幸せの法則なのだと、童話「青い鳥」は教えてくれています。



どれほど遠いのか知らんけど 今すぐ海を見たいのだ

明日とか未来のことを 好きになりたいな少しでも

この部分は、「夢を追いかけたら幸せになれる」と思い込んでいた頃の発想を表しています。海が遠いところにあると思っているし、それを今すぐ見たい、と熱望しています。まわりには沢山おもちゃがあるのに、手の届かないものを欲しがって、泣いている子供のようです。

その一方で、明日とか未来のことを、好きになりたいとも思っています。ということは、このままだと、明日とか未来を好きになれない状況だからです。昨日とか今日に、仕事で疲れて、嫌な思いを沢山したからです。

これは、考え方がそもそも間違っているといえます。チルチルとミチルは、大変な思いをして、遠くまで青い鳥を追いかけていきましたけれど、結局手に入れることができませんでした。自分の考えを変えない限りは、明日も未来も、好きになることができないでしょう。



こだまするように その名前を叫ぶ ころんで起き上がる愚かな

僕はここにいる すでにもう奇跡 花が咲いているよ

その名前を叫ぶとは「幸せの青い鳥、待ってくれ~!」ということなんじゃないかなと。追いかけて、ころんで、また起き上がって、の繰り返しで、ひたすら幸せを追い求めています。「幸せは手元にある」と気づいた人から見たら、愚かですね。

だからこそ、「僕はここにいる すでにもう奇跡」という一文が、めちゃくちゃ光って見えます。今までの内容は、この一文がいいたかったがために、語られてきた内容なのだと思います。

童話「青い鳥」においても、ここにいることが幸せだと気づいた段階で、幸せが手に入っていました。群青は、青い鳥の内容に沿うようなものになっていると、ここに感じました。



波は押し寄せる 終わることもなく でも逃げたりしないと笑える

僕はここにいる それだけで奇跡 しぶきを感じてる

優しかった時の 心取り戻せ 嘘つきと呼ばれていいから

鳥を追いかけて 裸足でかけだす 青く染まっていくよ

ずっと遠くにあると思っていた海が、いつかいきたいと思っていた海が、実はすぐ近くにあったのです。「波は押し寄せる 終わることもなく でも逃げたりしない」と、幸せを実感して笑っています。自分をとりまく状況は、以前と何も変わっていないのに、幸せに満たされている様子です。「僕はここにいる それだけで奇跡」と、悟ったことで、幸せになったのです。

自分の置かれている環境は、幸せの青い鳥に囲まれた、まさに群青だったのです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

もちろん、「青い鳥」に連動させなくても、「群青」は解釈できます。このブログの最初で述べたとおり、意味が十分伝わってくる詞だと思います。

でも、「青い鳥」を重ねることで、この詞のもっとも言いたい一文である「僕はここにいる すでにもう奇跡」が、めちゃくちゃ光るようになると思います。意味がめちゃくちゃ重たくなると思います。

個人的には、「青い鳥」説、めっちゃおっすめです。




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