こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツの名曲「快速」について、解釈していきたいと思います。
この「快速」は、とても疾走感のある曲ですよね。思わず走り出しそうになります。夜のドライブ中とか、高速乗ってるときとか、もちろん快速電車に乗っている時に聴くと、テンションがあがる曲です。
でもこの「快速」。いったい、どういう意味の曲なのでしょう。
ぱっと見た感じ、「快速にのってどこかにいく曲」のように見えます。目的地がどうやら「君の街」のようなので、君のところに遊びにいくという曲なのでしょうか。その道中のワクワク感を、表した曲なのでしょうか。
だとすると、疑問があります。なぜ「ワクワク」ってタイトルではないのでしょう?「君の街へ遊びにいこう」ってタイトルではないのでしょう?
なぜ、ただの移動手段である「快速」をタイトルにしたのでしょう?
曲にとって、タイトルは、とても重要なワードになってきます。スピッツの「チェリー」とか「渚」とか「涙がキラリ☆」とかにおいては、タイトルが大変重要な役割を果たしているということは、八百屋テクテクのブログにて解説しております。同じように「快速」もまた、このタイトルにした重大な意味というのが、曲の中に隠れているんじゃないかなと思いまして。
もし「快速」がタイトルでなければならない理由があったとするなら、いったい、どんな意味がこの曲に込められているのか。
それを探ってみたいと思います。
まず、「快速」って、どんな乗り物なのでしょう?
電車に乗ったことのある人なら、知っていますよね。普通の電車は、鈍行とも呼び、各駅に停車します。快速は、乗り降りが少ない駅を飛ばし、乗客が多い駅のみに停まる電車です。なので、快速が停車する駅が目的地の場合、鈍行でいくより、快速に乗ったほうが、乗車時間が少なくてすみます。目的地が遠ければ遠いほど、快速のありがたみが出てくるんですね。
さて、電車には他にも種類があります。「特急」は、もっと駅を飛ばしてくれて、しかも電車のスピードも速いです。電車の運行上、一番優先されるのは「特急」です。「特急」電車の通過を待って、「特急」のジャマにならないように、「快速」や「鈍行」が動いています。
「特急」のさらに上が「新幹線」です。「新幹線」は他の電車と運行するレールも違います。おかげで誰にも邪魔をされることなく、日本の主要都市間を往復できます。
こう眺めてると「新幹線」「特急」「快速」「鈍行」という、序列が浮かび上がってきます。人間に例えるなら、「新幹線」は大企業の会社経営者とか、有名芸能人とか、ミリオンヒットのアーティストとかでしょう。誰にも邪魔をされることなく、整備された道があらかじめ用意されていて、猛スピードで自分のやりたいことができる。そんな恵まれた環境であると同時に、誰もが羨み、憧れる存在でもあります。
「特急」は、「新幹線」ほどではありませんが、それなりに恵まれた立場だと言えるでしょう。大企業の部長課長、資産家の子供や家族、テレビでよくみる中堅芸能人や中堅アーティストなんかを想像します。大きく目立つような仕事ができないモドカシサはあるのでしょうけれども、まわりの人たちは「特急」に最大限気を使って、比較的自由にさせてくれています。まだまだ恵まれた立場です。
「鈍行」は普通のサラリーマンや、趣味で音楽をやっている人が思い浮かびます。本当に普通の人たちです。とすると、「快速」は、普通のひとよりちょっといい待遇、ちょっといい役職、SNSとかでちょっと名前が知られた歌い手などでしょうか。
「鈍行」電車は、ときおり「快速」として運行されます。同じように、普通の人が頑張ってなれるのは、「快速」までのものです。「鈍行」に生まれて、「快速」を目指すのが、大方の人生なのではないのでしょうか。
このスピッツ「快速」は、「鈍行」な人が「快速」になって「新幹線」に戦いを挑むという曲だった、という解釈は、どうでしょうか?
無数の営みのライトが瞬き もどかしい加速を知る
速く速く 流線型のアイツより速く
すすけてる森の向こうまで
「もどかしい加速を知る」という部分で、「鈍行」な僕は、曲の冒頭のこの瞬間、はじめて「快速」になったんだと解釈ができます。
一般人から、できる大人に、成長したということです。
でも、そんな些細な成長であるにもかかわらず、大物である「流線型のアイツ」に戦いを挑もうとしています。係長とか主任に出世したタイミングで「おれ、その気になれば社長になれるから」みたいな、調子に乗ったことを言っています。路上ライブしていたら音楽プロデューサーから声をかけられて「君、いいね」と言われただけで、もうB'zとかミスチルなどと、CDの売り上げを競えるんじゃないかと思い込んでいます。
そんなウキウキした気持ちで、「すすけてる森の向こう」へと、行こうとしています。
ちょっと調子に乗りすぎで、危なっかしく思いましたか? でも、そんな風に自分に言い聞かせているのには理由があります。
記録に残らない 独自のストーリーだって
たまに忘れそうになるけど
県境越えたら 君の街が見えて
細長い深呼吸をひとつ
「記録に残らない独自のストーリー」は、自分にとっては、誇らしく思える過去の出来事なのだろうと思います。
普通の人は、賞状とかトロフィーとか、記録に残るようなモノってなかなか貰えないですよね。だけど、先生に「君の絵がすごいね」って褒められたこととか、「君はアイディアマンだね」と上司に褒められたこととか、そういう小さな出来事を心の拠り所にしています。
そんな、小さな自信を身に纏って、堂々と君のもとにいこうとしています。君の関心を、他の誰かから奪うために。
細長い深呼吸をひとつして、戦いを挑もうとしています。相手は「新幹線」です。大企業の社長か、有名芸能人か、ミリオンヒットのミュージシャンか。相手はとにかく、自分と比べてはるかに格上です。そんな相手に、君をかけて、戦いを挑もうとしているわけです。
地平の茜色が徐々に消えていく レール叩く闇のリズム
強く強く もう無いはずの力で強く
ギュギュッとしている想像でひらけた
「茜色が徐々に消えてく」のも「闇のリズム」も、劣勢の表現に見えます。「快速」と比べて「新幹線」の存在はあまりにも強大です。それでも「快速」は戦いをやめません。
力尽きる寸前の、もう無いはずの力で、強く強く、闇を切り開こうとしています。なんでこんなに頑張るのか。それは君を取り合っているからです。君をとられるわけにはいかないからです。自分は「快速」だから「新幹線」に勝てるわけがない、なんて、勝負を投げ出すほど、この「快速」は弱くはありません。力を出し切って、なくなってしまっても、まだ勝負を諦めるわけにはいかないのです。
ギュギュッとしているのは、強い力で相手をやっつける音です。これはもちろん、暴力表現ではありません。でも、強大な相手に立ち向かうためには、試合前の格闘技選手みたいな気概を持つことが大事なのかもしれません。人としての勝負とは、胆力で決まるものです。
身の程知らずの憧ればっか抱いて
しばらく隠れていた心
吊り革揺れてる ナゾのポジティビティで
迎え入れてもらえるかな
この「快速」は、もともと強かったわけではありません。
「あぁ、君に振り向いて欲しいなぁ。新幹線に勝ちたいなぁ」と身の程知らずの憧ればっかを抱いていたわけです。憧ればっかで、まともに戦う気持ちはありませんでした。ただ、「いいなぁいいなぁ」と羨ましがるだけです。
「どうせ勝てないだろうし。目につくと嫉妬しちゃうから、君と「新幹線」からしばらく離れていよう……」と、現実から逃げていたこともありました。
これ、ほとんどの人が、そうなんじゃないかなと思います。
ハイスペックな男子が、自分の好きな娘に言い寄っていたとしたら、なんだかんだ理由をつけて、身を引く人も多いと思います。「彼と一緒にいたほうが、君は幸せになれるだろう」とか「どうせ僕なんかが好きって言っても、きっとあの子はアイツを選ぶに違いないから…」とか。
でも、よくよく考えてみれば、ハイスペックな男子よりも、普通の人のほうが優れている部分って、何かはあるはずですよね。そして、その子は、普通の人の優れた部分こそが。人生にとって大事だと考える人なら、普通の人が選ばれます。ドラえもんにおいて、しずかちゃんは、出木杉君ではなく、のび太君を将来の相手として選びましたが、それは、出木杉君よりのび太君のほうがよいと思ったからです。
「快速」にも、優位点があります。吊り革があることです。そう、「快速」の彼は考えています。「新幹線には吊り革がないけれど、快速には吊り革があるじゃないか」と。ナゾのポジティビティだ、と自虐的に言っていますが、「快速」を客観視できる私たちからみると、吊り革がある快速は、立派な優位点だと思います。「快速」には「快速」の役割があるわけですから。もし「快速」がなくなって、世の中が「新幹線」ばかりになってしまったら、不便で仕方がないでしょう。
そんな優位点をもって、卑屈にならずに、自信満々に、「おれは快速みたいな男だ。君が好きだ」と、君に告白します。
さて、君に迎えいれてもらえるのでしょうか。
草原のインパラみたいに速く
すすけてる森の向こうまで 向こうまで
最後に、速く走ることのたとえが「草原のインパラ」になっています。快速電車は時速100キロ以上出るのに対して、草原のインパラの最高時速は90キロ程度。スピードが落ちてしまっています。
これも、意図して挟み込んだものだと思います。「快速」と「新幹線」だったら、「新幹線」のほうがいい、と評されてしまいます。なので「おれはインパラでもあるんだ」と言っているんだと思います。「インパラ」と「新幹線」だったら、どっちがいい? って問われると、迷ってしまいますよね。単純にスピードの問題ではなくなるからです。それが狙いです。
年収1000万円の男性と、年収300万円の男性が女性を取り合った場合、女性は年収1000万円の男性を選ぶでしょう。でも、この年収300万円の男性に、動物と会話できる超能力が備わっていたら、どうでしょう? 迷うと思います。
「快速」の男性は、「君」を奪うために、どんな手段でも使うつもりでいます。自分を都合のいい快速にしたり、果ては、電車でもないインパラにしたり。君が、なんとしても欲しいんです。そんな強い気持ちが、伝わってきます。自分が持っているものすべてを、「新幹線」にぶつけるつもりでいます。
と、こんな感じで解釈してみましたが、いかがでしょうか?
人間は、他人を数字や記号でみる癖がついてしまっています。「あの人は年収1000万あるから」「あの人は大企業にお勤めだから」「有名大学出てるから」……
もし、自分が年収300万円だったとして、好きな人に年収1000万の人が言い寄っていたら、潔く諦めますか? その人が大企業のエリートだったら? 自分よりいい大学でていたら?
正直、そんなものは記号にすぎないのです。
この曲のタイトルに使われている「快速」もまた、優秀な「新幹線」との対比から生まれたものにすぎません。でも、自分が「快速」であることを卑屈に思うより、「快速」にあるポジティビティで「新幹線」より優位に立とうと試みます。曲の最後には、草原のインパラに例えて、「新幹線は快速より速いじゃん」っていう、スピード勝負そのものから、離れようとさえしています。
この考え方は、とても大事だと思います。数字や記号から離れて、もっと奥の深い部分を眺め、相手にも見てもらう。これが大事です。
仮に、マサムネさんが「ロビンソンを162万枚売りました。めっちゃ儲かりましたわ。そんなに売るなんて俺すごいでしょ」みたいな話をデート中延々話していたら、どうでしょう? さすがのスピッツファンでも、ウットリしないでしょう。マサムネさんからは、ロビンソンを162万枚売った人としての話ではなく、スピッツの草野マサムネとしての話が聞きたいと思うはずです。
同じように、相手が年収1000万だろうが、大企業だろうが、有名大学だろうが、あの子を諦めるつもりがないなら、立ち向かわなければなりません。その立ち向かい方、勝負の仕方を、この「快速」が教えてくれているような気がするのです。
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