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スピッツ「大宮サンセット」は、大宮市消滅の話だった説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回はスピッツ「大宮サンセット」について解釈していこうと思います。

この曲のタイトルは、大宮サンセットとなっておりますが、この曲が発表された時点では、もう埼玉県大宮市は他の市町村との合併により、地上から消滅しております。つまり大宮とは、存在しない市町村なのです。

つまりこの詞は、大宮市のサンセット、つまり大宮市の夕暮れ、つまり大宮市の消滅を悲しんで、作られたものなんじゃないかなと。

でも、このあたりの感覚って、よくわからない人も多いんじゃないかなと思います。「何が悲しいの? 行政の区割が変わっただけで、生活が変わるわけじゃないじゃん」と。確かにそのとおりで、大宮市が消滅したところで、大宮市に住んでいる人、モノ、家が一斉に消滅したわけではありません。大宮市が消滅した次の日には、さいたま市の市民として、今までとなんら変わらぬ生活をしていくわけです。

この悲しみを理解するには、例えば「大宮サンセット」が作られた時代よりもはるかな未来である現在に登場した、ご当地Vチューバーを想定してみると、どうでしょう? 私は福井出身なので、福井の有名どころで例えますけれども、福井の恐竜をモチーフにした歩音ティナさんとか、紫式部がモチーフの紫式部さん、嶺南の特産物がモチーフの乾物ひものちゃん等がおります。今は福井の中でも行政区が違うので役割が分担されておりますが、行政区が統一されたことで、「活動してもらうのは、ひとりでいいわ」となったら、どうでしょう? 福井県の人口は約70万人ですが、さいたま市の人口は約135万人です。人口からすると、福井県が単一の行政区であってもおかしくはないんですよね。そんな感じで福井県が統一されたとして、フォロワーが多い乾物ひものちゃんに行政系のお仕事が集中一本化し、他のお二人がお役御免となったとしたら、歩音ティナさんや紫式部さんの心境はどうでしょう? 彼女たちを支え続けてきたファンたちの心境は、どうでしょう?

この「大宮サンセット」は、大宮市のPRのために頑張って活躍していたVチューバーの大宮花子さん(仮名)が、行政区統合とともに消滅した話、というふうな補助線を引いて解釈すると、けっこうしっくりくるんじゃないかなと思うのです。

順番に詞を眺めていきましょう。




この街で俺以外 君のかわいさを知らない

今のところ俺以外 君のかわいさを知らないはず

この詞の「君」は、人間ではなく、消滅することが決まっている大宮市を擬人化した存在、大宮花子さん(仮名)なのだと思います。大宮花子さんは、しかしながら、マサムネさんの頭の中にしか存在していないので、「この街で俺以外 君のかわいさを知らない」となっているのです。もっとも後世には、ご当地Vチューバーというものが各地で乱立し、多くの支持を集めているとおり、概念としての大宮花子さんを想定していたひとは、マサムネさん以外にもいてもおかしくはないでしょう。そういう土台がありつつも「でも大宮市の魅力ってすごいんだけど、あまり伝わってない気がするなぁ…」という想いもマサムネさんの中であったのでしょう。なので、「今のところ俺以外 君のかわいさを知らないはず」という状況分析になっているのだと思います。



大宮サンセット 君は何故

悲しい目で微笑む

大宮サンセット 手をつないで歩く土曜日

マサムネさんの隣にいた大宮花子さんが、自分の消滅を悟りつつも見せていた表情は、「悲しい目で微笑む」だったそうです。

普通は、ただただ悲しいだけだと思います。ただただ嘆き悲しむのが、この時見せる表情としては正しいものだと思うのです。でも、大宮花子さんは、マサムネさんの隣で、無理にでも微笑んで見せてくれています。これがマサムネさんにとっては「何故?」と思っています。

マサムネさんの立場からすれば、疑問に感じる部分かもしれませんが、この出来事を俯瞰的に眺めることのできる私たちなら、大宮花子さんの心境も理解できるところでしょう。大宮花子さんにとっては、自分の消滅が悲しいのも事実ですが、それに寄り添ってくれるマサムネさんの気持ちが嬉しいのもまた、事実なのです

マサムネさんと大宮花子さんは、手をつないで歩いています。きっと恋人同士のような、相手の内面に優しく触れ合うような会話をしたに違いありません。



小さなことが気がかりで

何度も繰り返し考える

優しい雑音に耳すませ

無理やり目を閉じて考える

ここは、大宮花子さんとの空想の世界ではなく、実際の大宮市を取り巻く現実の話だと思います。

大宮市をなくしてしまってもいいものかどうか、何度も繰り返し考えています。この頃のマサムネさんの居住地はどこだったかはよくわかりませんが、たとえ大宮市民であってもなくても、合併に伴う全体の流れを個人で変えることはできません。ましてや市町村合併は行政上のメリット、デメリットのみで語られがちで、心の拠り所としての大宮市の存在なんて、あまり誰も気にしていないのです。先ほど述べた話のとおり、もしこの時代にご当地Vチューバーがいて、それを心の拠り所にする人が多かったとしたら、また結果が違っていたかもしれません。「俺たちの大宮花子をなくすな!」という声が無視できないほど大きいものだったかもしれません。

でも、悲しいかな、この時代には大宮花子さんは、ひとりマサムネさんの心の中にしか存在していません。なのでマサムネさんは、ひとりで考えることしかできないのです。どうにもならないので、「無理やり目を閉じて考える」ことしか、できないのです。



あの 大宮サンセット 妙にでかいね

小さな世界を照らす

大宮サンセット 正気じゃないぜ まだここにい

「小さな世界」とは、マサムネさんの心の中の世界だと思います。マサムネさんにとっては、大宮市には何か特別な思いがあったのだと思います。ライブでめっちゃ盛り上がったとか、恋人やお世話になった人がいて、よく通っていたとか。その過程で大宮市を大事にし、誇りに思っている人たちと心の交流をしたのでしょう。そんな思い出がある上での、今回の大宮市の消滅。マサムネさんにとっては「妙にでかいね」となったのだと思います。

サンセットを消滅とかけているのは、巧みな表現技法だと思います。特にこの部分の「妙にでかいね」と「小さな世界を照らす」は、実際の光景としての夕焼けの大きさを表したものであると同時に、自分の心の中にある想いを重ねたものになっています。

だからこそ、直後の「正気じゃないぜ」が圧倒的な存在感となって映ります。綺麗な景色として大宮サンセットを捉えていると、正気じゃないぐらいの太陽の異常な大きさ、美しさに映りますし、心の中として捉えたら、自分の心がめっちゃ乱れていることを映しています。

「まだここにいて」は、消滅しかかっている大宮花子さんに対して、引き留めています。めっちゃ悲しい心境が伝わってくるようです。



君を抱きしめたいよ 今夜俺は寝ないよ

期待外れの日々を 塗り替えていく術を知る

ここは、合併前夜、つまり、大宮市消滅前夜の2001年4月30日のことなんじゃないかなと。大宮花子さんとずっと夕焼けを眺め続けて、時刻が深夜を迎えて、彼女が消滅するまで一緒にいた、ということなんじゃないかなと。

「期待外れの日々を 塗り替えていく術を知る」は、消えていく大宮花子さんに、マサムネさんがもっとも伝えたかったことなんじゃないかなと。人間は、ただ生きているだけになりがちです。学校で勉強したり、会社で働いたり、家で家事をしたりすることを、意識的に取り組んで、楽しくこなすことのできる人は少ないと思います。生活にハリのある人って、なかなかいないんじゃないでしょうか。

マサムネさんもまた、日々のルーティンをこなしていくうちに、生活にハリのない、不満ばかりの、「期待外れの日々」に、いつの間にかなってしまっていました。それを変えてくれたのは、大宮市との出会いだったのだと思います。

こういった期待外れの日々を塗り替えてくれたのが、大宮市の存在だったのだと、この詞が教えてくれるような気がするのです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

あくまでもこの解釈が正しいとするなら、ですけれども、この詞もまたマサムネさんの平凡ならざるところが伺えるようです。物語や詞では、何かを擬人化することってまあまああると思うのですが、それは犬や猫など他の動物であったり、あるいは果物や植物だったりと、目に見える物体として存在しているものを擬人化すると思うのです。目に見えるものって、擬人化させたときも分かりやすいですよね。でもマサムネさんは大宮市という、目に見えない行政区を擬人化してしまいました。かつ、その悲しさがめっちゃ伝わるよう、表現してくれています。

私たちは、天才マサムネさんが作る詞を通じて、マサムネさんの想像力の世界を味わうことができます。これを味わえるのは、スピッツの曲に触れ合うことのできる、ファンの特権だと私は思うのです。マサムネさんが、大宮市との交流により「期待外れの日々を 塗り替えていく術を知る」ことができたのと同じように、私たちファンもまた、こうして、スピッツの詞の解釈を通じて、普段の生活にハリを持たせることができると思うのです。




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