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スピッツ「夢追い虫」は、夢を追いかける人の話だった説。

更新日:2 日前



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「夢追い虫」について解釈していこうと思います。

この曲のことを、「恋人と仲良くする話」だと解釈している人、多いのではないのでしょうか。私はバッチリそうでした。スピッツの曲は恋愛がテーマになっている曲が多いので、この曲もまた、そうだと思い込んでいたのです。

でも不思議ですよね。スピッツを知らない人が、まっさらな状態でこのタイトルを見た時、「夢を追いかける人の詞ですかね?」と、ちゃんと認識できるのです。スピッツが好きで、よく聴きこんでいる人がこの曲を聴くと、なぜか目が曇ってしまうのです。

スピッツの曲には、思考を恋愛方向に傾けてしまうような、そんな魔力が備わっているようです。

なので、スピッツを知らない人から、「どこをどう読んだら、恋愛の曲になるんや。ほらほら、ここよーく見てみぃ? 夢、追い、って書いてあるやろ? どこをどう読んでも、夢を追いかける人の曲やん? 違うかぇ?」なんて言われようものなら、ぐぬぬ、と何も言い返せなくなってしまうでしょう。

解釈とは、そういう傍若無人な要素がありますので、取り扱いには気をつけないといけません。もし昔の私と同じように、この詞を恋愛の曲として大事に自分の心の中に仕舞っておきたいとお考えの方もいらっしゃるでしょう。そういう人に対しては、私はアナタの解釈でよいのです、アナタが感じたものが一番大事なのです、アナタの考えを尊重します、と何度もお伝えしたいと思います。実際に、私は心からそう思っています。

そのうえで、私の解釈に付き合っていただけますならば、どうぞこの先も、お付き合いをよろしくお願いいたします。

歌詞を順番に眺めていきましょう。




笑ったり 泣いたり あたり前の生活を

二人で過ごせば 羽も生える 最高だね!

美人じゃない 魔法もない バカな君が好きさ

途中から 変わっても すべて許してやろう

まず、「美人じゃない 魔法もない バカな君」の正体についてなんですけど、私はこの「君」は人間ではないと思っています。私の見立てでは「芸術の神様」のことなんじゃないかなと。

人類最高峰の知能を持っていたとされる、ドイツの詩人であり作家のゲーテ先生は、芸術についてこう語っています。「芸術の神様は、ある日突然、何者かに宿る。それは芸術家を導いてくれないけれども、道連れにはなってくれる」と。

マサムネさんはゲーテ先生と同じく、自分の芸術を仕上げていく過程で、この自分に憑りついた神様の存在に気が付いていたのだと思います。自分の傍らにいて、片時も離れず、ずっと自分を見守り続けてくれていた神様のことを。挫折し、絶望し、創作活動を投げ出そうとした時も、自分を見捨てずにいてくれた神様のことを。そしてこれから先も、自分の創作活動に、最後まで付き合ってくれるであろう神様のことを。

ゲーテ先生のような偉人に憑りついていたであろう芸術の神様は、考えられる限りの最高峰の神様だったはずです。美人で魔法も使えて、めちゃくちゃ賢い神様だったのでしょう。そんな最高の神様が味方についていたからこそ、ゲーテ先生は現代まで残る偉大な作品群を生み出すことができたのです。

でも、マサムネさんに憑りついている神様は、どうやら「美人じゃない 魔法もない バカな君」のようです。マサムネさんの主観では、ゲーテ先生をはじめ、ほかの一流芸術家に比べると、自分についてくれている神様は、どうも一流ではないと感じているようです。それでも、こんな出来損ないの自分(と、マサムネさんは謙遜しすぎるほどに謙遜している姿勢が、詞から読み取れます)と道連れになってくれようとしてる、スピッツの曲を一緒に一生懸命考えてくれている、健気でかわいい神様です。

このかわいい神様と、「笑ったり泣いたりあたり前の生活を二人で過ご」そうとしています。神様が道連れになってくれるなら、マサムネさんもまた、自分の人生を芸術の神様に捧げるつもりでいます。そうやって創作活動を続けていれば、いつかは「羽も生える」つまり、曲が売れて有名になって、飛翔できる、というわけです。芸術の神様に愛されたことで作り上げられたものが、多くの人に愛されるようになったら、芸術家にとって最高ですね!

「途中から 変わっても」は、芸術の神様である「君」の好みとか、考え方とか、そういうものだと思います。これはモロにマサムネさんの作品に影響を及ぼすものです。でもこればっかりは、マサムネさんにも制御できないものです。だって神様なんですから。

だから「すべて許してやろう」と諦めに似た感情で、この神様のことを見守っています。

そんな感じで、マサムネさんは、自分を選んでくれたこの神様と、永く付き合っていこうと考えているようです。



ユメで見たあの場所に立つ日まで

僕らは少しずつ進む あくまでも

詞を描き上げた段階での、マサムネさんの目標は、どの辺にあったのでしょう? この詞の発表前に発売されたアルバム「フェイクファー」のツアーの時点では、2000人程度が収容できる福井フェニックスプラザのライブ会場のステージには立てていますので、なかなかのものです。それ以上となると、日本武道館とか、サンドーム福井とか、そんなものでしょうか。このうち、ずーっと後年のアリーナツアー、フェスティバリーナにて、はじめて日本武道館で公演を行ったのですが、それまで日本武道館のような大きな箱ものは「ガラじゃない」ということで敬遠していたようです。とすると、福井フェニックスプラザよりも大きく、また日本武道館よりも小さい、サンドーム福井がもしかしたらマサムネさんの「ユメで見たあの場所」だったかもしれません。いささか福井に思考が寄りすぎじゃないか、ですって? だって私は福井の八百屋さんですから、しょうがないですね。

まあとにかく、マサムネさんは、サンドーム福井のステージに立てるだけの実力をつけるために、「僕ら」つまりマサムネさんと、芸術の神様のふたりで、少しずつ進んでいこうとしているようです。サンドーム福井公演は、スピッツは一度もしていないので、たぶんスピッツの人気とか芸術性が最高潮になった段階で来ようとしてくれているのだと、私は信じています。最高のパフォ-マンスを完成させるために、サンドーム福井公演を温存してくれているのだと思っています。これはめっちゃ楽しみですね~! 待ってま~す!



吐きそうなくらい 落ちそうなくらい

エロに迷い込んでゆく

おかしな ユメですが リアルなのだ 本気でしょ?

ここは、次の作品を作るために、まっさらな楽譜に向かってウンウン唸っているところだと思います。吐きそうなぐらい悩んでいるところだと思います。

「エロに迷い込んでゆく」も、本当にエロいことをしているわけではなく、作品を作るうえで、ついついエロに頼りがちになっている自分の思考パターンを述べている部分なのだと思います。

そのうえで、「おかしな ユメですが リアルなのだ 本気でしょ?」と、自嘲しています。「こんなにウンウン唸って本気でエロい曲を作ろうとしているの、俺たちにとってはリアルなのだけど、アナタたちから見たらおかしい光景かもしれないですね。でも俺は本気ってことが、わかるでしょ?」と、曲を聴いている人に向かって、問うているようです。



命短き ちっぽけな虫です

うれしくて 悲しくて 君と踊る

ここでの「虫」は、マサムネさんのことだと思います。永い時間を生きている神様にとって、人間は虫みたいな存在でしょう。また多くの一流芸術家に憑りついた経験のある神様にとって、若造のマサムネさんは、きっと虫ケラみたいな存在だったのだと思います。それが、「ちっぽけ」という表現になっているのだと思います。(スピッツの曲が好きなファンからしてみれば、ここの表現はちょっと自嘲しすぎな感じもしますけれども、こういう自嘲自虐の表現は、マサムネさんの他の詞にもちょいちょい見られます。私はマサムネさんの自虐的な雰囲気もろとも受け止めて、楽しんでいます)

つまり、この曲のタイトル「夢追い虫」とは、マサムネさんのことだと思います。

そして、「君と踊る」は、芸術の神様と創作活動をすることを差しているのかなと。「うれしくて 悲しくて」と、あらゆる感情を自分の作品に込めていく、まさに神聖な時間を「君」と過ごしています。



上見るな 下見るな

誰もがそう言うけれど

憧れ 裏切られ 傷つかない方法も

身につけ 乗り越え どこへ行こうか?

「上見るな下見るな」というのは、芸術の世界ではよくあるアドバイスなのだと思います。たしかに芸術の世界は、上も下もすぐに見ることができます。逆にいえば、見ない、ということに徹するのって難しいんですよね。

比べることばっかりに気を取られると、自分の進行を鈍らせることになるのは確かなのですが、だからといって全然他人の作品を見ないのでは、自分の芸術性が広がっていかないでしょう。そういうジレンマの中にいるマサムネさんにとって「上見るな 下見るな」という一般論は、なんの役に立たないものです。

また「憧れ 裏切られ」というのは、この正論を言ってくる他人のことだと思います。こういう怖いことを、芸術の神様と二人で、「怖いね」「ねー」と言い合いながら、「傷つかない方法も 身につけ 乗り越え」ていこうとしているのだと思います。

最後に「どこへ行こうか?」と疑問形なのは、マサムネさんにも行先がよくわかっていないのかもしれません。行先の半分は、芸術の神様が決めるからです。



ユメで見たあの場所に立つ日まで

僕らは少しずつ進む あくまでも

ユメで見たあの場所に立つ日まで

削れて減りながら進む あくまでも あくまでも

「削れて減りながら進む」の部分。この曲がもし恋愛のことがテーマなのだとしたら、「付き合っていて精神が削れるけれど、それでも一緒にいるよ」という、なんか不穏な雰囲気になってしまいます。そんな相手、よくないよ~、と助言したくなってしまいます。

でも、これは終始芸術の話をしているのだという前提があるのなら、これはいい表現として捉えることができます。ダイヤモンドの原石を磨く、という表現になるからです。自分の才能という名のダイヤモンドの原石を、削って削って、どこまでも輝くように磨き続けることこそが創作活動であり、またユメで見たあの場所に立つうえでの唯一の方法なのです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

マサムネさんに憑いている芸術の神様は、「美人じゃない 魔法もない バカな君」だったのかもしれませんが、私もまた創作活動を試みた時期がありました。そんな私にもまた、芸術の神様が現れてくれました。現れてくれたのだと、そう自分で思い込んでいた時期がありました。

私はこの、見えない神様に誓いました。「私の命を奪ってもいい。よいモノを作り上げる力をください」と。当時は会社からの犯罪まがいの理不尽な要求に疲れ切っていて、生き方に悩んでいた時期でもありました。犯罪を犯すぐらいなら、会社を辞めたほうがいい。でもどうやって食べていこう? もし私に芸術の力があるなら、そこに活路を開こう。それでダメなら、潔く死のう。と。

そう決めた私は、この神様と一緒に、創作活動をしました。私の道連れになってくれる神様の存在を身近に感じてからは、確かに、私の創作活動において、普通より多くのことができるようになっていたと思います。最後まで完成させる持久力も、いつの間にか備わっていました。

が、いざコンクール出品となると、全然うまくいきませんでした。命をかけてまで挑んだ勝負でしたが、あっさりと負けてしまうことが続きました。

創作を続けるには、タイムリミットがあります。私は、このタイムリミットギリギリまで、何作も、何十作も仕上げ続けました。そして、最後の最後で、過去最高のものが出来上がりました。これが通用しなかったら、これ以上のものが作れる気がしない、というものを作り上げることができました。

しかし、それも評価されませんでした。

蒼天が地において、バラバラになったような絶望に、打ちのめされました。

悔いはない、と思うようにしました。評価こそされませんでしたが、芸術の神様が私に、創作の力を授けてくれたのです。なんの才能も知識もない、素人同然の私に、まがりなりにも作品と呼べるものを作り出す力を授けてくれたのです。

そして約束通り、私は見えない神様に命を捧げようとしました。もはや思い残すことはありませんでした。自分の父親に、自分の遺体の処理を任せてしまうことを詫びる遺書を残して、この夜中に首をつって死のうとしました。

この私と神様の神聖な盟約は、私の祖父によって破られました。不思議なことが起きるものです。普段なら絶対に私の部屋に入ってこないはずの祖父が入ってきました。しかも就寝中の時間にです。この頃から祖父は少し耄碌していたのですが、理由をつけるならそれです。遺書も見られてしまいました。死ぬために貯めていた気力が、一気に削がれてしまいました。

「死のうとしたけど、死ねなかった」と、あとでこの話を友人たちにしましたが、友人たちは一様に絶句してしまい、私には何も言ってきませんでした。「死んではいけない」などと言うのは、言葉としても気持ちとしても、軽いと思ったからでしょう。そんな薄っぺらい言葉では、私の想いは受け止めきれないと悟ったからでしょう。ただ、ドーナツやら焼肉やら、私にいろいろ押し付けるように奢ってくれました。私の友人たちは、私を精一杯生かそうとしてくれました。

それから、ずっと後になって、今の妻と出会いました。妻とお付き合いしていた当時、創作の話になった際、この話をしました。

「私は、過去に芸術の神様と契約している。ただ私は創作するのを辞めてしまった。なので芸術の神様は見返りとして、私の命を要求してくるだろう。私の命は、短いかもしれない」

そう言うと、彼女は、茶化さずすべて聴いてくれた後、そんなの平気だよ、と笑いました。

「もし神様がアナタの命を取りに来たら、私が追い返してあげるわ。この命は、アナタのものじゃないから、あっちいけ、って」

神様というのは、何も目に見えない存在だけじゃないのだ、と私はこのとき悟りました。人間の中にも神様になってくれる人がいるのです。みんなにとっての神様にはなり得ないけれども、私にだけは神様としていてくれる人。私に寄り添い苦楽を共にして、最期まで一緒にいようとしてくれる人。そういう神様に、私は出会うことができたのです。


というわけで、マサムネさんは、芸術の神様と一緒になることで音楽の夢を追い続ける虫になりました。その一方で私は、芸術の神様との契約を破棄して、妻と一緒に八百屋さんをやる人生を、テクテク歩んでいくことになるのでした。




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