こんにちは。八百屋テクテクです。
今回はスピッツ「優しいあの子」について解釈していきたいと思います。
この曲はNHKの連続テレビ小説「なつぞら」のオープニングテーマとして採用された曲です。
じゃあ、この曲を制作するにあたって、どのようなやりとりがなされたのでしょう?
ドラマの主演である広瀬すずさんは、このドラマの制作前に、同じくスピッツの曲「歌ウサギ」を主題歌にした映画「先生!、、、好きになってもいいですか?」にて、ヒロイン役を務めています。つまり、「なつぞら」は2回目の共演なわけです。これだけ接点が生まれれば、当然、スピッツさんとも仲良くなっていることでしょう。曲を作るスピッツ側としては、曲の材料としてヒロインの情報が欲しいでしょうし、演者側の広瀬すずさんとしても、出来上がった曲を基に、造形を深くしていくこともあるでしょう。
スピッツの草野マサムネと広瀬すずが出会った場面があったとしたら、どんな話になったのか……。
そう、気になる人も多いのではないのでしょうか?
どの業界でもそうかもしれませんが、こういう会合になった場合、先輩というのは後輩に対して、アドバイスをするものです。真っ当なものもあれば、倫理に外れたものもあります。特にテレビに出演する芸能界ともなれば、映画監督や演者による性被害がここ最近報告されているとおり、暗い魑魅魍魎の世界です。そこで生き抜くためには、綺麗ごとよりも、外道の論理のほうが、役に立つ場合もあるでしょう。
「いいか。もっと仕事したかったら、頭か金か色気を使え。相手が何を求めているかを一瞬で理解しろよ。相手が求めているのか頭なら、勉強してるフリを見せろ。毎日便箋10枚の直筆の手紙を送って、頑張ってますアピールを忘れるな。金なら、先方の行事をリストアップしろ。本人の誕生日はもちろん、家族構成の把握も忘れるな。子供や妻の誕生日は必須だ。好みも把握しとけ。色気なら、会う時は必ず下着は外していけよ。言ってる意味、わかるよな?」
この程度のことなら、芸能界だけではなく、どの業界でもよくある話です。営利企業による営業活動は、営業に携わる個人の尊厳を代償にして売上をとっていく、厳しい世界です。言っている先輩もまた、この「真理」を知り、「真理」に染まって、ここまでやってきたわけです。先輩は「真理」を心得た自分の役目として、後輩のことを思って、会社のことを思って、親切心から、アドバイスしているのです。
マサムネさんは、どうでしょう? マサムネさんの立ち位置は芸能界とは違いますが、それが見える位置にいます。私たち以上に、知り得る情報は多いでしょう。
マサムネさんもまた、多くの先輩方と同じように、外道の倫理を、広瀬すずさんに説いたのでしょうか?
答えは、ノーです。
「優しいあの子」の歌詞は、優しいあの子に対する応援のメッセージ形式となっていますが、仮に広瀬すずさんに対するプレゼントだとするなら、事前に交わした内容が基となったはずです。事前に、「頭か金か色気を使え」などとと言ったなら、同じような内容が、この詞のどこかに滲み出てくるものでしょう。ましてや、マサムネさんの詞は、どんな内容も表現できる変化自在な詞なので、核戦争後の世界や、バーチャルでの恋ですら、描いてしまいます。し、同時に、思ったことしか書けない不器用さもまた、マサムネさんの詞の特徴でもあります。「日本は世界で一番すごい国だ」とか「世界中の美女全員を俺のものにしたい」とか、そういう思ってもないことが描けないのです。
では、広瀬すずさんに、どんな内容のことを、先輩として説いたのでしょう?
重い扉を押し開けたら 暗い道が続いてて
めげずに歩いたその先に 知らなかった世界
目指す場所が「誰もが認める売れっ子女優」だとして、その栄光を手にするには、どうすればいいのでしょう? テストに受かれば、栄光にありつけるのでしょうか? 誰か有力者に色目を使って頼めばいいのでしょうか? はたまた、運とか偶然とか、そういう未知なる力に頼ればいいのでしょうか? マサムネさんは、そのどれでもなく、重い扉と、暗い道の先にあると言っています。
マサムネさんたちスピッツもまた、暗く長いトンネルを抜けた末に、大きく開けた場所に出ました。先の見えない暗夜行路の先に、開けた世界があると信じて、歩き続けることができるかどうかで決まるというわけです。
ここで言いたいのは、「長く暗い道を歩く覚悟をしなくてはいけない」ということと「歩く方向を間違えてはいけない」ということです。倫理に外れた外道を歩めば、その先には栄光はないということです。外道に頼れば、栄光への近道だと一時は錯覚するかもしれませんが、長い目で見ると、長く暗い道を歩いてきた人には結局勝てないのです。なぜか。次の歌詞に書いてあります。
氷を散らす風すら 味方にもできるんだなあ
切り取られることのない 丸い大空の色を
優しいあの子にも教えたい ルルル…
「氷を散らす風」とは、何のことでしょう? 氷は、その性質上、栄光への道を閉ざす障害でしょう。そして氷は、風を受けると溶けてなくなります。この風は「世論」と解釈してみました。
風には、いろいろな種類があります。自分に関係する風といえば追い風と向かい風ですが、それがたとえ話として使われる場合、風はどちらも世論ということになります。そして世論は、常に正しい方向に吹くとは限りませんが、外道に対しては厳しすぎるぐらい厳しいものです。万一露見すれば、周囲を巻き込んで破壊しつくすまで暴れまわります。正しい道を行く場合は、悪行で成り立つ慣行が障害となりますが、それを打ち砕くのは、世論による危険な暴風というわけです。安易に外道を選択しないことで、こういう暴風すらも、時には味方にできる、というわけです。
そして外道を使えば、拝めないものもあります。これをマサムネさんは「切り取られることのない丸い大空の色」というふうに表現しています。
外道により表舞台の上に立てたとしても、自分の実力が伴っていなければ、世論を怒らせてしまいます。この法則は芸能界に限らず、我々一般人だってそうです。たとえば八百屋さんである私が農家さんに接待されて「この野菜ちょっと失敗しちゃったけど、うまく胡麻化して、いい野菜だとして売ってくれない?」と持ち掛けられたとして、私がそれを承諾したとしたら、どうなるでしょう? お金を出して買ってくれたお客様を怒らせてしまいますよね。結局、「アンタのところの、この農家さんの野菜、もう買わないわ」ということに、なるではありませんか。この場合、八百屋さんである私の目の前の景色は、太陽を遮る、どんよりとした分厚い雲となるでしょう。
「切り取られることのない 丸い大空の色」を教えたい、というのは、「青い色です」と単なる景色を伝えたいのではなく、自分が今まさに実力で掴み取ってきた、曇りのない景色を見れるよう、その方法を伝えたい、というわけなのです。
口にする度に泣けるほど 憧れて砕かれて
消えかけた火を胸に抱き たどり着いたコタン
1番は、応援のメッセージでしたが、2番はマサムネさんの体験談になります。
「コタン」はアイヌ民族の住居という意味で、積丹(シャコタン)半島などの地名にもあることから、北海道を表す言葉として登場させているのだと思います。ドラマ「なつぞら」もまた、北海道の話です。
しかしながら、これをマサムネさんによる、過去の回想シーンだとするなら、「コタン」には、北海道関連の意味合いはそれほど含まれなさそうです。
この歌詞のシーンは、マサムネさんたちスピッツが、デビューしてからの低空飛行が続き、心が折れそうになりながらも、長く苦しい道のりを歩いてきた先に、やっとたどり着いたのが、コタンという名の「ロックバンドとして安定して活動できるようになった環境」だということです。
芽吹きを待つ仲間が 麓にも生きていたんだなあ
寂しい夜温める 古い許しの歌を
優しいあの子にも聴かせたい ルルル…
ここもまた、ロビンソンで大ブレイクする前のマサムネさんたちのシーンです。辛く苦しい時に、ブレイクを待っている仲間たちの一言が、すごく励みになったことでしょう。「俺たちのバンドなんて、誰にも必要とされていない……」とひとり悩んでいた時、「おう、オマエの歌聴いたけど、すげーじゃん。ぜったいブレイクするから、頑張れよ!」と友達から連絡が来たら、「ああ……がんばらないと」という気持ちになるでしょう。自分を待っていてくれる人がいる。それだけで前に進むエネルギーになります。たとえ連絡が来なかったとしても、絶対君の活躍を待っていてくれるひとがいるから、その人のことを考えて、というわけです。
そして「寂しい夜温める 古い許しの歌」の部分ですが、これはちょっと見当がつかなかったんですけど、たぶんスピッツの楽曲ではないんじゃないかなと。こういう大事な場面で「よっしゃ、俺が作った歌でも聴かせてやるから、元気だせや!」と意気込む性格とは、思えないんですよね……。いや、彼らの曲で元気になれる曲は沢山あるんですけど、こういう場面では多分恥ずかしがって、絶対に出せないんじゃないかなと。ここはThe Beatlesの「Let It Be」でも歌っていたほうが、ピッタリ来そうです。古いし、許しの曲です。
怖がりで言いそびれた ありがとうの一言と
日なたでまた会えるなら 丸い大空の色を
優しいあの子にも教えたい ルルル…
マサムネさんは、広瀬すずさんに「ありがとう」と言いたかったのでしょう。だって2回も、自分が主題歌を歌うドラマを演じてくれたわけですから。ただ、「怖がり」で、言いそびれちゃった、と言っています。何が怖かったのでしょう? それは、深くかかわってしまうことでファンに「誤解」をされるのが怖かったのだと思います。
2回も、スピッツの曲と関わった広瀬すずさん。特に「歌ウサギ」は、女性に対する深い愛情を表現した曲となっています。お互いのファンからすれば、「もしかしたら、あの二人付き合ってる?」とか、勘ぐってしまうこともあるでしょう。この誤解が広まれば、広瀬すずさんに迷惑がかかることになります。ヘタすれば、彼女の女優生命にかかわる事態になってしまうかもしれません。これが怖かったので、必要以上に関わることをせず、十分な感謝を述べなかったというわけです。
だけど、「日なたでまた会えるなら」つまり、大勢のファンから支持されて、再び共演することがあったら、その時は、一緒に「切り取られることのない 丸い大空の色」をみよう、と言っています。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
広瀬すずさんに対するアドバイスと、自分たちの歩みとが、うまく表現された、いい感じの解釈になっていると思いますが、どうでしょう?
もちろん、「優しいあの子」の部分に当てはまるのは、なにも広瀬すずさんだけではなく、いろんなことに挑戦をしようとしている、すべての人に当てはまると思います。応援するすべての人に対する、マサムネさんからのメッセージになっています。
応援される私たちとしては、外道に頼らず、辛くて長い正道をいくことを、心掛けていきたいですね。
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