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スピッツ「ラジオデイズ」は、デビューしたての頃の話だった説~スピッツ歌詞解釈~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「ラジオデイズ」について解釈していこうと思います。

といっても、この曲の解釈はそれほど難しくありません。歌詞に書いてあるとおりです。

スピッツは「ヒバリのこころ」でデビューしてから「ロビンソン」でブレークするまでの約4年の間、ずっと低空飛行を続けていました。外から見ている分には「売れてラッキーです」とノホホンとしているように見えますが、実は本人たちにとってみれば、その空白の4年間は大変にしんどい期間だったようで、その後の曲作りにも影響があったように思います。「俺の赤い星」は、売れたいと思う気持ちと、低空飛行を続ける現実を表現した曲だという解釈をこのブログにて紹介していますが、「俺の赤い星」のような、売れない時代の曲や、売れたい願望の曲は、彼らが発表した曲の中でもそこそこ発見できます。

「ラジオデイズ」もまた、この苦しい4年間、あるいは、デビュー前における、自分たちの方向性を探している段階の曲であると言えるでしょう。




選ばれたのは僕じゃなくどこかの貴族

嫌いになるために汚した大切な記憶

足が重くて 心も縮むような

スピッツは、恋愛を表現した曲が多いので、「選ばれたのは僕じゃなくどこかの貴族」を、恋愛の話だと解釈した人は、アルバム「みっけ」が発売された当時多かったように思います。「貴族を選んだって?パパ活かよ?」とか、思った人もいたかと思います。さらにすぐ下の「汚した大切な記憶」という部分も、なにやら恋愛の汚い部分を増幅しているような効果があって、いかにも好きな娘がパパ活してました的な解釈になってしまった方がいたのではないのでしょうか。

これは、でも、のちの文脈を考えてみると、違うと思います。

この曲は、「なかなか売れずに困っているときの曲」だと思います。とすると、「選ばれた」とは、大衆に選ばれた、という意味になります。スピッツと横並びだった無名アーティストが、スピッツを差し置いてヒットチャート入りを果たしたことを指しているのだと思います。しかもこの無名アーティストは、実力ではなく、広告に大量のお金を使って無理やり露出した結果売れたようです。なので、真面目に音楽で勝負をしようとしているマサムネさんには、面白くありません。なので、こんな皮肉めいた言い方になっています。

「嫌いになるために汚した大切な記憶」もまた、荒んだ日々を表現しています。自由に音楽活動をしているうちは、同じように音楽をやっている人を仲間だと思っており、彼らに素直に影響を受けたりしていましたが、デビュー後、さて売れてくださいね、と事務所からプレッシャーをかけられるようになってからは、横並びの仲間たちも、偉大な先駆者も、全員が敵になるわけです。中学生、高校生の少ないお小遣いの使い道に自分たちのCDが選ばれるよう、彼らと奪い合いをしなくてはいけないからです。

こうなると、彼らと交流した「大切な記憶」も、「嫌いになるために」、汚さなけばいけません。そんな、恨みつらみで頭の中がいっぱいになれば、足も重たくなるし、心も縮んでしまうでしょう。

この歌詞の部分は、まさしく、スピッツの辛い4年間の胸の内を、赤裸々に表しているのではないのでしょうか。



そんな日々を拓く術を 授けてくれたのはラジオ

したたかに胸熱く 空気揺らしてくれるラジオ

そんな、売れなくて辛い日々のスピッツを救ったのは、ラジオだそうです。

ラジオに救われた、なんて、今の若い人はピンとこないかもしれません。放送媒体といえば、今はユーチューブもテレビもありますし、ネットフリックスとかアマプラとかも充実しています。なので音声だけのメディアであるラジオは、相対的に重要度が下がっていることと思います。今はせいぜい、車で運転中ぐらいしか視聴しないよ、なんてことになっているのではないのでしょうか。

でもスピッツが辛い時代を過ごしていた1990年代前半といえば、まだまだラジオの存在感は大きかったです。またラジオといえば音楽番組で、パーソナリティがMCの合間に流行の音楽を流すというのが定番でした。今現在、草野マサムネのラジオ番組「ロック大陸漫遊記」も、そのスタイルですよね。マサムネさんは番組の中で、自分が影響を受けた曲だったり、気になった曲だったりを紹介していますが、これはそのまま、昔のマサムネさんのラジオデイズを反復しているのかもしれません。当時のマサムネさんを支えていたのは、今でも彼のラジオ番組から流される曲たちなのかもしれません。



笑顔を放棄して そのくせ飢えていたテンダネス

美しい奴らを 小バカにしてたのに変だね

手探りばっかで 傷だらけになったけど

ここもまた、辛い4年間の荒んだ日々を表しています。「美しい奴らを 小バカにしていた」とは、あるある話だと思います。

小説家を目指す人たちによくある話ですが、新人デビューを果たした小説というのは、彼らによく中傷されるそうです。テニオハがなってないとか、時代考察がめちゃくちゃだとか、事実とは異なる部分を発見したので物語に入り込めなかったとか。それが正しい批評であってもなくても、とりあえず口汚く罵られます。あんな小説、俺でも書ける、と。でも、中傷する彼らのほとんどは、小説を書いたことすらないのです。他人を中傷する能力に長けていても、自分の作品を完成させる能力には恵まれなかったようです。

程度の差はあれ、マサムネさんもまた、先に売れていく曲たちを眺めては、恨めしく思っていたことでしょう。なんであんな曲が売れるんだ、と。いや、本当はマサムネさんだって、「美しい奴ら」だって頭ではわかっていたはずでしょう。売れる理由にも納得していたでしょう。でも心のほうが受けつけなかった。受け付けてしまえば、同時に自分たちスピッツが敗北したことになってしまいますから。なので、小バカにするしかなかった。ふん、あんな曲なら、俺にもできる、と強がるしかなった。

こんな乱れた心では、論理を積み上げた美しい曲を粛々と作ろうという気にはなれないでしょう。「手探りばっか」になるでしょうし、「傷だらけに」にもなるでしょう。



どんな夢も近づけるように 道照らしてくれたよラジオ

危なそうなワクワクも 放り投げてくれるラジオ

でも、当時のマサムネさんに必要だったのは、他人をうらやむことではありませんでした。スピッツが成功するには、マサムネさんの「夢」とか「ワクワク」が必要だったのです。思い描いた夢やワクワクを曲に乗せて、みんなに届けることが必要だったのです。

今、私たちがスピッツの曲を聞いて、夢を膨らませたり、ワクワクを感じたりするでしょうけれども、それはすべて当時のマサムネさんの頭から出たものです。ラジオが当時のマサムネさんに、夢やワクワクを示してくれたおかげなのです



遠い国の音楽 多分空も飛べる

ノイズをかき分けて 鼓膜に届かせて

同じことを思ってる 仲間を見つけたよ

何も知らないのに 全てがわかるんだ

決まりで与えられた マニュアルなら捨てて

また電源を入れるんだ

君がいたから僕は続いてるんだ

ここは、ラジオを聴いているときのワクワク感を表現しているのかなと。この時のテンポがズンズンズンズン、って感じで、ワクワクしてきますよね。

当時の人々にとっては、ラジオはただのメディアではありませんでした。空を飛び越えて世界中の音楽がわかるし、ラジオを通じてみんなが一体となって盛り上がっていた時代でした。ラジオは、ドキドキワクワクを伝えてくれたのです。

ここでの「君」はラジオのことだと思います。ラジオを擬人化してまで感謝を示しています。そのぐらい、ラジオに対して特別な思いを抱いている様子がうかがえます。



新しくなっても 痛みを越えても

大人になっても 君を求めている

こんな雑草も花も咲かす 教えてくれたんだラジオ

したたかに胸熱く 空気揺らしてくれるラジオ

どんな夢も近づけるように 道照らしてくれたよラジオ

危なそうなワクワクも 放り投げてくれるラジオ

こんな雑草」は、マサムネさんや、スピッツのことでしょう。スピッツは、なんの変哲もない(と自分たちでは思っている)ロックバンドでしたが、ラジオのおかげで熱を失わず、頑張り続けることができました。そのおかげで、ロビンソンでブレークできたわけです。まさに雑草も花を咲かせると、ラジオに教えられたわけです。

「こんな雑草」と、自分たちを過剰なまでに卑下していますが、それはまさに、上記でみてきた4年間の荒み具合の表現なのだと思います。


スピッツが自分たちのことを「こんな雑草」と表現してくれたことは、ある意味、私たちのような名もなき凡人に、夢を見させてくれているようです。

私たちこそ、綺麗な花をうらやむ「雑草」であるのですが、スピッツもまた、私たちと同じ心の持ち主なのです。他人を羨むし、荒みます。スピッツは、ラジオに助けられましたが、私たちスピッツファンは、マサムネさんにこそ、スピッツにこそ、助けられているというふうに思います。マサムネさんがあの4年間にいろんな経験をしたからこそ、私たち「雑草」の気持ちを汲んでくれて、応援してくれるような曲が、制作できているのではないのでしょうか。




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