こんにちは、八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「ハニーハニー」について解釈していこうと思います。
この曲は中学の時から好きで、「ああ、美しい恋愛についての曲なんだなぁ」だなんて、思っていました。恋愛とは、罪の花をばらまくことであり、月灯かりで踊ることであり、抜けがらの街で会おうとすることなんだなぁ、と。どことなく後ろめたい部分を抱えていて、それを自覚している状態こそが、恋愛なんだろうな、と。
この曲については、当時は、なんかそういう、フワフワした理解をしていたんですね。
でも、スピッツの歌詞に触れていくと、どの曲も、もっと地面を足でドーンと踏んづけているような、どっしりした表現があることに気が付いたんです。
もしかしてこの曲にも、何か秘密が隠されているんじゃないか。なにか隠された物語があるんじゃないか……。
そう考えた結果、導き出された答えが「俺たちに明日はない」でした。
「俺たちに明日はない」は、ボニーとクライドという、実際の人物たちをモチーフにしたアメリカの犯罪映画です。どん底だった世界恐慌時代に彼らカップルは出会い、行く先々で銀行強盗と数々の犯罪を行い、逃避行の末、何十発もの銃弾を身体に浴びて死ぬという劇的な最期を遂げました。その暴力的かつ華麗な生き方は、当時の人々の批判と、それを上回るほどの喝さいを浴びたのです。今でも、犯罪カップルの話となると、この伝説的なボニーとクライドをモチーフにすることが多いでしょう。その最も有名な映画が、「俺たちに明日はない」なのです。
この話を、ハニーハニーに当てはめてみると、かなり部分でマッチするんです。
まず、ブログタイトルに挙げました「なんで、英語が使われているのか」についてですが、答えは簡単で、英語圏であるアメリカの話だからです。マサムネさんはかつて「歌詞に英語を混ぜるのは、なんかかっこ悪い」的なことを言っていて、やはりその後ずっと英語が混じった曲はまったく作られておりません。運命の人の、アイニージュー、とかはたまにありますけれども、大事なサビのフレーズががっつり英語表記なのは、「ハニーハニー」ぐらいだと思います。英語表記を嫌がっていたマサムネさんですが、その信条を曲げてでも、英語表記をせざるを得ない、と判断したのは、それなりの背景があったはずです。そう考えると、辻褄があうなぁと。そりゃあ、アメリカ人同士の恋愛を、すべてビタビタの日本語で表現するのは、ちょっと難しいですよね。そのほうが変になっちゃいます。
これを踏まえて、詳しく見ていきましょう。
ハニーハニー抜けがらの街で会おうよ
もうこれで無敵だ 最後の恋
ハニーハニー月灯かり浴びて踊ろうよ
罪の花をばらまきながら
まず、ハニーとは、愛しい人に対する呼びかけ言葉に使われます。もっとも、私たち日本人はまず使いませんよね。かっこよく使いこなせないからです。「ハニー」とか「俺のウサギちゃん」とかの呼びかけ言葉は、ダンディーでワイルドなアメリカ人だからこそ、使いこなせる言葉です。
抜け殻の街、とは、世界恐慌で仕事がなくなり、誰もが抜け殻のようになった街のことかなと。
「これで無敵だ最後の恋」は、最良の女性と恋に落ちた、ということと同時に、もう長く生きるつもりもないことも表しています。ド派手に生き、銀行強盗し、最後には射殺されることまでをも見据えた発言です。
「月灯かり浴びて踊ろうよ」とは、日なたで堂々と踊れない状況であることが伺えます。居場所がばれたらまずいので、暗がりで踊っているというわけです。
「罪の花」は、銃弾のことだと思います。人体に当たれば、血がまるで花びらのように飛び散ります。それをばらまく、というのは、人に向かって乱射しているという表現になります。
ハニーハニー It's so brilliant! ハニーハニー僕らに
ハニーハニー It's so brilliant! ハニーハニー天国が
落ちてくる日まで
サビです。「ハニーハニー It's so brilliant!」は、「愛しいアナタよ、とても輝いているよ!」と感嘆している言葉です。恋人が何かをしているシーンにおいて、そう感嘆したということだと思うんですけど、ここは、映画を当てはめて解釈をすると、ハニーが銃を乱射して、自分たちを追ってきた警官を射殺しているシーンだと思います。つまり、映画の一番の見どころになるシーンであり、俳優たちが最も輝いているシーンでもあります。悪役として、イキイキと殺人を行う逞しさが、この言葉に現れています。
「天国が落ちてくる日」とは、この場合、自分たちが死ぬまで、となります。そう遠くない未来であることは、もう知っています。その瞬間まで、強く輝いていて欲しい、と恋人に願っています。
ハニーハニー本当のことを教えてよ
神の気まぐれ 箱庭の中
ハニーハニー 隠れた力で飛ぼうよ
高く定めの星より高く
箱庭とは、箱の中に作られたミニチュアのことを指します。これは何を意味しているのか。映画が題材の話だということで、ここは、映画の中の作られた世界という解釈もできそうです。あるいは、世界恐慌のただ中のような、閉塞感のある社会を、箱庭に見立てているのかもしれません。
とにかく、そんな箱庭の中にいる二人は、隠れた力で、定めの星より高く、飛ぼうとしています。映画の中を飛び出して、ボニーとクライドは現実に確かに存在していました。小さな社会で悶々として過ごすことを嫌い、ド派手で太く短く生きるべく、彼らは奮闘しました。高く飛ぼうとしたのです。
旅する 二人は旅する 手探り 闇をかきわけて
離れた心のジェルが 流れて 混じり合って はじける夜に
旅は、逃避行です。逃避行なので、手探りだし、闇をかきわけています。
「離れた心のジェル~」の部分ですが、これはセックスの表現なのかなと。映画の終盤で、逃避行の末にたどり着いた隠れ家にて、このカップルははじめてセックスに至ります。だんだんと二人は追い詰められて、銃弾を浴びて傷を負ったうえでの、切羽詰まったセックスとなりました。普通のセックスとは、多分に状況も違います。心境も違います。現実の辛さや悲しさ、やるせなさの行き場を、セックスに求めざるを得なかったのです。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
この曲のイントロは、そういえばダダダダダ、ダーン、とドラムの連打で勢いよく始まりますが、これは銃声をモチーフにしていたのではないかなと、思います。歌詞だけではなく、曲自体にも、「俺たちに明日はない」を連想させる仕掛けがあります。
現代人を生きる感覚で「俺たちに明日はない」を眺めてみると、暴力で現状を打開する野蛮人カップルに見えちゃいますけど、その当時には当時なりの感覚があり、それに憧れる感覚も確かにありました。ボニーとクライドの、お互いに対する愛情もまた、確かなものであったのでしょう。
「ハニーハニー」を深く聞き入ることで、当時の熱量を、私たちは知ることができるのだと思うのです。
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