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スピッツ「タンポポ」は、反戦の曲だった説。




こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「タンポポ」について解釈してみたいと思います。

この曲は、ブログタイトルにもありますとおり、戦争が背景に描かれていると思っています。先の戦争を、今の時代から眺めている詞なんじゃないかなと。

ところで、みなさんタンポポは最近見かけているでしょうか? たぶん都会の人ほど、そんなに見る機会がないと思います。昔は空き地とかけっこうありましたけれども、今はどこもコンクリートで整備されているので、雑草が生えないようになっているんですよね。道ばたで見かけることも少なくなりました。でも、この詞が作られた時代は、まだけっこうタンポポを見かけていたように思います。

先の戦争では日本中が灰燼となりました。しかし、それから高度成長を経て、道路はコンクリートで塗り固めれられ、ビル街が建築されました。まるで戦争なんてなかったかのように変貌してしまったのです。

それは、人々の意識においてもそうでした。学校では「えっ、アメリカと日本って戦争したんですか?」だなんて真面目に聞いてくる生徒も出始めていました。先の悲惨な記憶が薄れていくことについては、肯定的な面もありますが、手放しでは喜べない部分もあります。なにか人として大事なことも、忘れてしまっているんじゃないかと、そういう深刻な懸念が付きまといます。戦争の痛みを忘れた国は、ふたたび戦争をするようになってしまうかもしれません。

そんな、ひとも景色も戦争当時と一変してしまった日本において、変わらずに残り続けているものもあります。タンポポも、そのひとつでした。

タンポポは、戦争時における食糧難の際、食料として重宝された植物です。どこにでも生えていて、葉も根も食べられます。まともな食事がとれなくなっていた時、道ばたの花を摘んで、しのいでいたのです。

このように、先の戦争時、飢えた日本人に寄り添ってくれたのがタンポポでしたが、今ではその有難さを忘れて、開発とともに姿を消していったタンポポ。タンポポの消えゆくさまは、戦争の時に悟ったはずの、何か大事なものさえも忘れてしまったことに似ているような気がします。それを想って、マサムネさんは、この詞を作ったんじゃないかなと、私は想像しています。

順番に詞を眺めていきましょう。




僕らが隣り合うこの世界は今も

けむたくて中には入れない

山づみのガラクタと生ゴミの上で

太陽は黄ばんでいた

「僕らが隣り合うこの世界」とは、戦時中の日本のことだと思います。現代日本と隣り合ってはいる時代ではあるものの、歴史の教科書などで語られることは、ほとんどありません。縄文人や弥生人のことについてや、平安時代のこと、鎌倉室町、江戸時代などについては、とても細かく勉強させられますが、こと太平洋戦争のことについては、まったくといっていいほど、触れられることがありません。なので私たち現代日本人は、千年前の平安時代について詳しく、100年前から現代にかけての知識はまったくないのです。

「けむたくて中には入れない」と、マサムネさんは表現しています。これは日本が灰燼になったことの悲惨さで直視できないという面もあるでしょうけれども、タブー視しすぎるあまり、まともに向き合ってこなかったという面もあると思います。日本において、戦争のことを話題にしようものなら、それがどんなに理屈に適った内容であっても「あいつは危険人物だ」なんて白い目で見られるのです。ためしにツイッターで発言してみてください。炎上するハメになるでしょう。

「山づみのガラクタと生ゴミ」は、これは空襲を受けて灰燼と化した日本の街のことを表しているのだと思います。この八百屋さんが住む福井もまた空襲の的になりました。福井大空襲では、953トンの焼夷弾が投下され、死者1,684人を出し、23,086戸を焼失させました。福井はこのとき、瓦礫の山と、死体の山の街になったのです。

「太陽は黄ばんでいた」とあります。「黄ばむ」とは、劣化して変色している様を表す言葉です。太陽自体は劣化も何もなく、いつもどおりにそこにあるだけですけれども、見る人の心情が「黄ばんでいた」と表現したい気持ちになっていたのだと思います。何もかもが灰になり、愛しい人を大勢なくした人々の心情は、どれほどのものであったでしょう。



くるくる回るくる回る 空も大地も

始まりのチャイムなったらもう君に会えない

ふんづけられて また起きて道ばたの花

ずっと見つめていたよ

「くるくる回る」とは、時間経過のことを表していると思います。あれから月と太陽は地球のまわりをグルグル回り、何十年もの時間が経過しました。

「始まりのチャイム」とは、再開発の合図のことだと思います。コンクリートとアスファルトが、地面を覆っていくのです。タンポポをはじめとした植物や昆虫が固いコンクリートの下になります。二度と生えてくることがなくなるのです。

そんな道ばたの花である「君」つまりタンポポを、マサムネさんは戦争に想いを馳せながら、ずっと眺めています。



逃げ出してつかまった最後の冒険

おデコには大きな傷をこさえて

真っ赤なセロファンごしに見た秘密の庭を

今も思い出してるよ

「赤いセロファンごし」が、この部分の言いたいことだったんじゃないかなと思います。これは戦後になって活動が活発化した、社会主義活動のことだと思います。特にこの頃の学生運動は、日本のロック界隈に大きな影響を与えました。

私は2000年頃に大学生になったのですが、その当時ですら、大学では社会主義運動の機運が残っている部分がありました。「マルクスがどうのこうの」みたいなことを、しきりに話したがる人間が多かったのです。そのくせ「先輩の命令は絶対だ」という、戦前の日本軍みたいな、人道を無視した規律も同時に存在していたものですから、当時の主義主張というのは実質的な内容を伴わない、ハリボテのようなものでした。私が体験したこの当時の社会主義は、マルチまがい商法を勧めてくるお友達の論理と似ています。人間を幸せに導く崇高な論理の仮面をかぶった、詐欺行為といってもいいでしょう。

マサムネさんもまた、社会主義という名のマルチまがい商法に、それとは気が付かず「ふぅーん」と興味を寄せていたのだと思います。でも途中で「これは怪しいな」と気が付いて、「おれ、やっぱりやめるよ」と断ろうとしたのだと思います。こういう時って、マルチまがい商法だったらどうなるでしょう? 辞めないよう、監禁状態にして、めっちゃ脅してきますよね。同じように、監禁状態にされて、めっちゃ脅されたのだと思います。これが「逃げ出してつかまった最後の冒険 おデコには大きな傷をこさえて」という部分なんじゃないかなと。「ひどい目にあった。もうこりごりだ」と言わんばかりです。

その、社会主義信奉者に誘われ、監禁され、脅された過程の中で、「赤いセロファンごし」の世界を見知ったのだと思います。「秘密の庭」の内容を、知ったのだと思います。

「秘密の庭」はどんなものなのかまでは導き出すことができませんが、文脈から判断すると、あまりよくないものなんじゃないかなと思います。庭は英語でyardといいますが、graveyardつまり墓地のことを指すこともあります。墓地は、死人が埋葬されている場所です。主義主張が人間を殺すことを、学校の授業では教えてくれませんが、社会化主義活動を通じて見知ったのかもしれません



何かが解かっても何も変わらない

立ったまま心はしゃがみこんで泣いていた

ふんづけられて また起きて道ばたの花

ずっと見つめていたよ

マサムネさんが歴史を正しく理解し、それに伴う主義主張を正しく理解したところで、「何も変わらない」のが世の中というものです。たとえマサムネさんが誰に置き換わろうと同じです。世の中、そういう仕組みになっているのです。

「ふんづけられて また起きて」という部分が、このマサムネさんの心情とリンクしているようです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

この時代の音楽というのは、世相を反映していたものが多かったように思います。海外ではボブディランやビートルズなどのロック最高峰にいる人々が、反戦、反貧困、反差別などを曲にし、また直接行動するなどして積極的に活動していました。また彼らの行動に触発されて、世界中のアーティストがそういう曲を制作したのです。

しかしながら、正しい主張が、正しい結果をもたらすかといえば、必ずしもそうならないのが世の中の難しいところです。漫画家の小林よしのりは、若いころにフォークロックをやりたくて軽音部に入ったけれども、その軽音部は音楽をやりたい若者を閉じ込めて、マルクス社会主義を講義し洗脳する場所だったそうです。同じようなエピソードが、村上春樹の小説「ノルウェイの森」にも出てきます。「ノルウェイの森」というタイトルは、ビートルズの楽曲から採った名前だそうです。これらを俯瞰すると、ビートルズが社会主義を煽ったので、彼ら二人が苦しむ羽目になった、という見方も、できるかもしれません。

とはいえ、ビートルズが行った、反戦、反貧困、反差別は正しくなかったのか、という問いに対しては、「そんなことはない」と多くの人が回答することでしょう。今挙げた二人の先生も、ビートルズを恨んでいることはないと思います。戦争の愚かさを知っているし、戦争を起こさせないようにするのは、正しいことなのです。正しいことなのでしが、なかなか結果が伴わないのです。

マサムネさんもまた、戦争、反戦をテーマにした曲をこの先も作っています。ただ、それとはわからないようにしています。マサムネさん自身、「これは、こういう曲です」と説明しないのもありますが、あるいはマサムネさん自身が、こういった活動に距離を置きたいがために、あえてそうしている部分があるのかもしれません。先の二人の先生のように、ビートルズの失敗をその身で体験したことで、「こうならないようにしよう……」と、悟ったのかもしれません。

こっそり自分の詞の中で、戦争に反対し、また戦争反対を大義名分にして悪用しようとする人間を批判する、ということにしたのだと思います。




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