こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツの2ndアルバム「名前をつけてやる」より、「ウサギのバイク」をピックアップしてみたいと思います。
最新のアルバム「見っけ」に比べると、この頃の曲って、どういう感情が込められた曲なのか、ヒントが全然なくて、解釈が非常にしにくい印象なんですよね。いや、そもそも、「この曲には、なにか裏があるはずだ、込められたメッセージが潜んでいるはずなんだ」とか、そういう穿った見方をするのではなく、頭の中に浮かんだ夢の中にいるようなイメージをそのまま詞にしました、みたいな曲なのかもしれません。だから私たちも、深読みするのではなく、ただ詞をなぞって、そのまま感じるままに捉えるのが正解なのかもしれません。
そういう意味では、この頃の曲はよりマサムネさんの天才性、芸術性を感じるテイストになっており、最新の曲になるにつれて、言葉選びの巧みさ、メッセージ性をほどよく伝える技術力を感じられるテイストになっていると感じます。
なので、この曲は「こんな曲なんだ」と解釈すること自体、ヤボというものかもしれません。
が、頭の中で浮かんだイメージを、一度、言葉という「モノ」に落とし込んでしまうと、意味のようなものが生まれ、やがてイメージから離れて、一人歩きします。言い方は適切ではないかもしれませんが、「誤解」や「曲解」が生じるのも、そういったことが原因です。
この詞が、マサムネさんから離れて、私の耳を通じて頭の中に入ったとき、どういう詞になったのかを、ちょっとまとめてみたいなと。
ウサギのバイクで逃げ出そう
枯れ葉を舞い上げて
「逃げ出そう」という、後ろ向きなワードからこの詞は始まります。逃げ出そう、というからには、なにか困難な状況が目の前に立ちふさがっていたのでしょう。仕事がつらい、お金がない、評価をされない、……生きている人なら、逃げ出したくなることなんて、いくらでもあります。それに立ち向かうのではなく、枯れ葉を舞い上げて、軽々と逃げ出しています。
さて、これはどこへ逃げようとしているのでしょう。ブログのタイトルにもありますとおり、死に逃げようとしています。
「枯れ葉」は、植物の生命活動が終わったことでそうなります。また舗装され整備された道路だったら、枯れ葉はほとんどありません。清掃しているからですね。枯れ葉が道路に落ちていないというのは、人々が生き生きと生活している証でもあります。ところが、この詞では、枯れ葉が舞い上がるような場所を、バイクで走っています。生活の匂いがしない道です。
優しいあの娘も連れて行こう
氷の丘を越えて
枯れ葉がある道を抜けて、氷の丘につきました。さて、氷の丘を越えた先には、何があるというのでしょう。もちろん、そこには氷の山があります。どんどん寒くなってくるわけですから。動物が生きることのできない、植物も生えない、死の世界があるわけです。
そんな死の世界への旅行に、どうして、優しいあの娘を道連れにしようとしているのでしょう。優しい、とは、どう優しいのでしょう? 自分と道連れになってくれるということを、優しい、と言っているのでしょうか?
「一緒に、死のうか」
と言ってくれる女性は、死のうとしている男性にとっては、とても優しいと思います。「死のうなんて考えないで、歯を食いしばって生きろよ!」って言ってくる女性は、優しくありません。普通は逆です。生きるために自分を諫めてくれる人のほうが優しいはずで、心中してくれる優しさは、優しさではありません。でも、この詞の男性は、それに気が付かないでいます。
脈拍のおかしなリズム
喜びにあふれながら ほら
駆け抜けて今にも壊れそうな
ウサギのバイク
脈拍がおかしくなっているのは、すでに死が自分の身体に迫っているからです。体温が低下して、血流が悪くなってきています。
でも、死を望んでいるものにとっては、死は喜びになります。雪中を走行したことで、バイクも壊れかけていています。死に向かって進んでいるようにしか見えないですね。
ウサギといえば、月に棲んでいるという逸話があります。
昔、インドにウサギ、サル、キツネの仲良しがおりまして。この3匹の仲の良さを試したくなった神様が、老人に姿を変えて3匹の前に現れ「貧しくて食べるものがない」と訴えました。サルは木登りが上手なので、木の実をとってきました。キツネは漁が得意なので、魚をとってきました。ところがウサギは長所がなく、何もとってこれませんでした。老人が「サルは木の実を、キツネは魚をくれたが、お前は何もくれないのか」と笑うと、ウサギは火に飛び込んで「私の肉を差し上げます」と言い、焼け死んでしまいました。サルとキツネは大いに悲しみました。神様はウサギの身体を抱いて「お前たちから貰ったものはどれも優劣がなかったが、ウサギは哀れすぎる」といい、神様の住む月に連れていきました。
ウサギの逸話と、ウサギのバイクの解釈。
自分を犠牲にして、道連れになるという話は、どこか共通な部分を感じます。この詞が本当に心中をテーマにした曲だとして、そこにウサギを選んだとするなら、ウサギのバイクというのは、必然的なタイトルだったのかもしれませんね。
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