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スピッツ「アパート」は、金持ちの愛人に恋をした話だった説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「アパート」について解釈していきたいと思います。

この詞は、若い主人公の男の子が、裕福な男性と愛人関係にあった女性に恋をした話だと思います。そして「アパート」とは、愛人である女性が住んでいた住居、つまり妾宅のことなんじゃないかなと思います。

この詞ができた時代は、まだギリギリ、裕福な男性が第二号婦人を公然と囲っていた時代でした。女性の地位がまだまだ低く、経済的援助が必要な女性が多かったため、裕福な男性が愛人として援助をするということが行われていました。この風習はいまだに、嫡出子と非嫡出子の問題としても長らくひきずっていたりします。売春防止法における売春には該当しないので、刑法上の犯罪ではありませんが、この問題がこじれると、結婚詐欺ということで訴えられることもあるそうです。つまり、社会的には黙認されていたけれど、まともな風習ではないということです。

そして、そんな愛人に対して与えられる妾宅は「アパート」がほとんどだったそうです。それはそうなりますよね。愛人に戸建を用意するなんてのは、よっぽどの金持ちになります。たいていは、やっと住める程度のボロアパートになります。6畳ひと間、フロ、トイレ共同の物件です。

この詞の主人公である若い男子は、近所でよく見かける、ボロアパートに棲む若い女性が気になっていました。どんな人なのだろう、と気にかけていたところ、同じく近所に住む人がニヤニヤしながら「あの女性は、お妾さんだよ」と教えてくれました。

主人公は、暗澹たる気分になりました。この自由な時代に、そんなことが許されていいのか、と。金持ちが愛人を公然と囲んでいることも、それに甘んじる愛人にも、反発したい気持ちになりました。それが、この詞に表現されていることだと思うのです。

順番に眺めていきましょう。



君のアパートは今はもうない だけど僕は夢から覚めちゃいない

一人きりさ 窓の外は朝だよ 壊れた季節の中で

「君のアパートは今はもうない」とは、愛人が住んでいたアパートが無くなったことと同時に、古い時代が去ったことを示唆しています。つまり、上で述べたことは、すべて過去の話になっています。主人公はひとり、そこにかつて存在したアパートと、アパートに住んでいた彼女を懐かしく思い出しているところから、詞ははじまります。主人公にとっても彼女にとっても、すべて、過去の話なのです。

「壊れた季節の中で」とは、現在を指すのか、はたまた過去を指すのか、どちらでしょう? 現在だとしたら、彼女がいなくなって、ひとり残された僕は悲しいよ、という意味になりますし、過去を指すなら、愛人制度が公然と認められていた社会は壊れていた、ということになると思います。

「窓の外は朝だよ」とは、新しい時代の夜明けとも変換できるかもしれません。愛人制度が壊れて、新しく潔癖の時代がきた。でもそれゆえに、誰かの愛人であった君が生活できず、目の前からいなくなってしまった。ここでの「朝」とは、そういう意味が込められているのかもしれません。



誰の目にも似合いの二人 そして違う未来を見てた二人

小さな箱に君を閉じ込めていた 壊れた季節の中で

ここの「二人」は、金持ちの男性と、その愛人のことを指します。二人は今でいうところの不倫関係ではなく、家族公認の愛人となります。なので、別にやましい関係とは見られなかった……とまではいかないものの、「愛人を養うのは、男の甲斐性だ」だなんていう時代ですから、両者ともに幸せということは、普通にありえたのです。金持ちとその愛人が「誰の目にも似合いの二人」だというのは、別におかしなことではなかったのです。

しかしながら「そして違う未来を見てた二人」の部分が、決定的です。金持ちの男性からすれば、愛人は愛人。若くなくなったら適当に捨てて、別のもっと若い愛人を囲もうとするでしょう。一方で愛人は、捨てられないように手段を講じなければいけません。子供を作ったり、それで本妻に圧力をかけたり、いろいろ試すでしょう。それは現代の不倫関係を思い浮かべれば、ドロドロしているであろうことが想像つきます。

「小さな箱」とは、アパートのことです。金持ちが、君をアパートに閉じ込めていたのです。



そう 恋をしてたのは 僕のほうだよ 枯れていく花は置き去りにして

いつも わがまま 無い物ねだり わけも解らず 青の時は流れて

今までは、金持ちの愛人がボロアパートに住んでいた、という事実関係を主に述べていたにすぎません。そしてここからが、本番となります。

主人公は、「青の時」つまり、青臭い正義感を持っていたのです。「こんなのおかしいですよ。アナタは自立した大人になるべきだ。アナタは素敵な女性だから普通に誰かと結婚して、幸せな家庭を築くことだってできるはずです」と。続けて「僕はアナタに恋をしている。特に好きな男性がいないなら、僕がその役割を担っていもいい。これから仕事もして沢山お金を稼ぐから、僕についてきて欲しい」と、彼女に訴えました。

彼女は、「ぼうや……」と笑っています。若く見える彼女でも、精神は何倍も大人なのです。住んでいる場所こそボロアパートでも、金持ちと会えば豪華な食事、豪華なホテル、そして豪華な御手当を貰えます。そうやって暮らしていると、庶民になって汗水たらして働くほうがダルくなります。何が悲しくて、この世間知らずの坊やと一緒にならなくてはいけないのか。彼女は、そういう気持ちだったでしょう。

とはいえ、彼女は決して心が貧しい人ではありません。誰に対しても、ちゃんと心遣いのできる上品な人です。「私は、枯れていく花なのよ。君みたいな若い人は、枯れていく花なんて置き去りにして、他にいい人を見つけなさい」と、言ってくれたのだと思います。彼女なりの、謙遜風敬遠です。

でも、若い僕には、それが理解できません。僕からすれば、彼女のほうが訳が分かりません。なんで、愛人になってなっているのか、将来性がないではないか、と。若いゆえに、「いつも わがまま 無い物ねだり」をしてしまうのです。

そうやって彼女を困らせていた僕でしたが、そんな「青の時は流れて」しまいます。

君も、君のアパートももう無くなりました。彼女の行先もわからず、どうなったかもわかりません。

僕は、途方にくれたような、夢から醒めないような、そんな気分を引きずったまま、大人になっていったのです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか。

今は愛人といえば、性にだらしない、自制心のない愚か者みたいな認識ですけれども、当時としては、イビツな社会構造の産物であり、社会に認められた生き方のひとつでもありました。そうやって生きていくことが、厳しい現実を生き残っていくために必要な人だって存在したのです。なにが善で、なにが悪かわからない、そういう激動の時代だったのです。

そんな、当時の愛人さんを、かわいそう、と決めつけたこと。自分が救ってあげなくちゃ、という青臭い正義感。そんな若い彼の「わがまま 無い物ねだり」に困らされる、彼より何倍も大人だった愛人さん。

この詞は、ただの過去ではなく、若さゆえの過ちを伴ったノスタルジーを感じる内容になっていると思います。




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