こんにちは。八百屋テクテクです。
今回はスピッツ「ときめきpart1」について解釈していこうと思います。
と、いつもの解釈ブログ風にはじめてみましたが、正直、歌詞に対しての解釈って、この曲に関しては、それほど必要なものではないと思います。書いてあるまんまで、難しいことはないんじゃないかなと。
むしろ、「ときめき」という言葉そのものを、スピッツ「ときめきpart1」の中身を見ながら追っていく形にしたほうが、より深く歌詞を理解できるんじゃないかなと。
みなさん、「ときめき」って言葉、使っていますか?
正直、言葉としては知っているけれど、使い慣れてはいないんじゃないかなと。
実際「ときめき」をウィキで検索してみたんですけど、
・隆盛 - 古語の「時めく」。時勢に乗って栄える。今を時めく。
・動悸 - 期待や喜びで胸躍る状態のこと
とあります。隆盛は、この場合違う意味になってしまうので置いておいて、問題は動悸です。動悸とは、主に心臓の疾患のことを指します。言葉の上において、恋の症状と、心臓の疾患が区別されていないのです。恋は主に思春期に経験するものですが、心臓の疾患と誤解する人はまずいないと思うんです。でも、言葉のうえでは、心臓疾患と同じになっているのです。
また、ここでは、ときめきを恋の症状として勝手に置き換えてしまいましたが、ときめきは恋以外にも当てはまります。「期待や喜びで胸躍る状態のこと」ですから、スマホゲームのガチャでレアなキャラを当てた場合の心境も「ときめき」が該当します。イオンカードは、お買い物するたびにたまるポイントを「ときめきポイント」と命名したりしています。
上記のことを鑑みると、「ときめき」とは、明確に定まっていない言葉であると言えます。
では、スピッツはこの「ときめき」という言葉を、どう定義しているのでしょう?
「ときめき」とは、いったい何なのでしょう?
会うたびに苦しくて でもまた会いたくなるよ
カラクリはわかってんだ 素直になれないだけさ
「ときめき」は、出会いを重ねるうちに薄くなってくる感情だと思います。恋人関係になって以降も、ときめきが持続している人もまあまあおりますが、たいていは慣れて、胸のどきどきが感じにくくなってくるはずです。老人になっても、顔を合わせるたびにドキドキしている、なんて人がいたら、それは心臓疾患のほうだと思います。クレープ屋さんの定員が美人すぎて注文ができない、なんて経験のある青少年はいるかもしれませんが、その青少年が同じクレープ屋さんでアルバイトすることになれば、この美人の店員さんの隣で普通に仕事していると思います。
つまり、冒頭の「会うたびに苦しくて」の部分は、動悸が最大の状態である、「美人さんと出会ったばかりで、まだそんなに親しくなっていない頃」を表しているのだと思います。
この、ドキドキ状態は苦しいんですけど、だからといって、会いたくないわけではありません。
また、素直になれないのも、当たり前ですよね。「いやぁ、アナタが美しくて、こっちがドキドキしちゃいますよ」だなんて軽薄に言える人がいたとしたら、そいつはそんなにドキドキしていないヤツです。ドキドキしていたら、そのドキドキを悟られないよう、平静を装ってしまうのが、普通なのです。
泥まみれ 君が投げたボール 素手で受け止めて
このボールは、会話のキャッチボールのことかなと。こっちがドキドキしているからといって、相手もドキドキしているわけではありません。こっちがドキドキしていることなんて、相手は気にしてくれないでしょう。なので相手は、こっちの事情などお構いなしに、自分の好きなボールを投げてきたりします。それが、こちらにとっては、泥まみれのような、受け止めづらいボールだったとしても。
「私ね、スピッツめっちゃ好きなんだよね~」とか、こっちがスピッツ全然知らないのに、美女がそう言ってきたとしたら、どうしましょう? せっかくの会話のチャンスなのに、こちらとしては、「いや、スピッツわかんないっす」だなんて、ボールを取らない選択肢は取りづらいですよね。頑張って、どうにかこうにか、受け止めるしかないでしょう。「えっ、うん、スピッツいいよね、俺も好き。チェリーとか、ロビンソンとか…」とヘタに取り繕って、逆にガッカリされたとしても。
ときめいてる 初めて? 怖いくらい
幸せはいつだって 届かないものだと
塗りつぶした小さい夢を ちゃんと描くため
白いページ ゆっくりと開いてく
恋に関するジンクスみたいなのって、ありますよね。そのひとつに、「初恋はうまくいかない」というのがあります。
初恋は、もっともトキメキが大きい出来事であるのに、もっともうまくいかない恋であるのは、不思議なものです。
「幸せはいつだって届かないものだ」と、悟っているあたり、ここでの主人公は、それなりに恋をした経験はあるようです。ときめくほどの恋をしたけれど、そのお相手とは、何の進展もないまま終わった。恋のページには、なんの成果も描くことができずに終わった…そんな過去があるようです。
そんな経験のため白紙のままだった、自分の恋の履歴欄を、現在のときめきで描こうとしている、ということが伺えます。
なるほど、ときめきとは、前に進むための動力でもあるのかもしれませんね。
嫌われるのはヤだな いつしか無口になって
誰も気に留めないような 隙間にじっと隠れてた
だけど恋して 後悔は少しもない 光を感じた
恋をすることと、恋をかなえることは別です。恋は勝手にしてしまうものですが、だからといって、やみくもに告白をしていたのでは、周囲に迷惑をかけてしまうでしょう。
これもほとんどの人が経験あるかと思うのですが、ときめきが大きければ大きいほど、身体が動かなくなるもです。「嫌われるのはヤだな」という理由で、想いを告げることができなくなってしまうのです。
迷惑をかけないようにしよう。今のままでいい。そんな想いが、「誰も気に留めないような隙間」へと、自分を追いやって隠してしまうわけです。そのほうが楽ですし。
でも、そのあと「だけど恋して 後悔は少しもない」と言っています。ということは、主人公は、恋は基本的には後悔をするものとして認識しているのかもしれません。それにも関わらず、「恋をしてよかった」という心境に至っています。
ときめいてる はみ出て ヤバいくらい
無理にはしゃいだあと 坂を転がって
下から見上げた月に 願いを込めて
かすれた声で Stand by me 歌ってる
さて、この主人公は、このときめきに対して、どうしようとしているのでしょう? 告白をするのでしょうか? しないのでしょうか?
この時点では、どちらでもない状態です。バーンとどちらかに振り切るのではなく、「ちょいちょい小出しにアピールしていって、感触がよければ、告白しよう」と、様子をうかがっている状態です。これは、単細胞な少年ではなく、ちょっと知恵をつけた大人のやりかたですね。
そうやって、お目当ての彼女の前で「無理に」はしゃいでいます。んで、それが終わった後、ひとりで、ああああ、やっちまった、と落ち込んでいます。自分のふがいなさに、坂を転がっています。
その坂の下から月を見上げて「僕のそばにいて」と歌っています。
という感じで見てきましたが、歌詞を通じて、「ときめき」の要素が、ふんだんに出ているのではないのでしょうか。
ただ恋をして、ドキドキしているだけが、ときめきではありません。彼女の注意をひくために無理にはしゃいだり、そしてそれを後悔して坂道を転がったりすることまでを含めて、ときめきであると言えるのではないのでしょうか。
また、ときめきは、前にすすむための動力であることも、この詞は教えてくれています。恋には、拒絶の恐怖が備わっていますが、それを乗り越えるためのものが、ときめきなのだと思います。
驚くのは、この曲のタイトルが「ときめきpart1」であるということです。
part1があるということは、マサムネさんは、ときめきpart2も作れるんじゃないかなと思っているということでしょう。それだけ、ときめきに関するイメージが複数あって、part1だけでは語りつくせなかった、ということではないのでしょうか。
ときめきに関する、これだけ豊かな心の動きを見せてくれたマサムネさんですが、まだまだネタはありますよと言わんばかりのタイトルになっています。
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