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なぜ福井ではサービス残業が当たり前なのか~本当は怖い福井県~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、福井でサービス残業が横行しているのは何故なのかについて、独断と偏見で語っていきたいと思います。

サービス残業は、しなくてもいい仕事です。仕事をしてもお金を貰えない、いわば、やるだけ無駄な仕事です。普通はこんなバカな事、誰も好き好んでやらないですよね。

そりゃあ、経営者は、サービス残業させたいと思っています。タダで働いてもらえるなら、嬉しいでしょう。タダ働きしてくれる人がいれば、余計な人件費を出さなくてもいいし、そいつが売り上げたお金は、自分のフトコロに入ってくるわけですから。笑いが止まりませんね。

でも、普通の会社は、従業員として働く全員がサービス残業なんてしたくないと思っているので、サービス残業なんて起こりえないのです。

ところが、福井の会社では、サービス残業が当たり前のように横行しています。

アナタが新入社員として福井の会社に入ったとして、会社にいる従業員全員がサービス残業をすることに何の疑問を持たずにいたとしたら、どうでしょう? 終業時間になっても誰も帰ろうとせず、自分ひとりが帰宅しようとしたら、「えっ? 帰るの? こんなに忙しいのに? みんな頑張ってるのに?」って言われたら、どうしましょう? めっちゃ怖いですよねぇ?

そんな、福井の怖い話として、今回はサービス残業に焦点を当てて、考えていきたいと思います。




福井における、サービス残業の考え方ですが、これがまず他県と違っています。

サービス残業を経営者のほうが言うなら話はわからなくもないんですけど、なんと同じ労働者である、先輩同僚が率先してサービス残業を強制してくるのです。自分もサービス残業をしているし、まわりと互いに目配せしあって、サービス残業をさせています。不思議な話ですね。福井はきっと、お給料いらない聖人ばかりなのでしょう。


「サービス業は、サービス残業が当たり前だから、サービス業という名前なのだ」は、福井の労働者の間では、よく言われていることです。タイムカードは、始業の際は自分で打刻しますが、終業時は事務員さんがまとめて行っています。なので労働者は、退勤の時間を気にすることなく、のびのびと働けます。これはいいですね。


上場している企業だったら、なんとなんと、残業するとお金がもらえる場合もあります。

労働基準法における36協定というのがありまして、月45時間、年間360時間までの残業が認められています。これを福井流に解釈すると「月45時間、年間360時間を超える残業は、申請せずに行え。労働基準局とかにバラしたらお前どうなるか、わかってるだろうな?」ということになります。なので労働者は、これを超えないよう、自分の残業時間を少なく申請する必要があります。もらえるだけマシですけれど、その分めちゃめちゃ労働されられるので、どっちがいいかは、よくわかりませんね。時給換算だと、むしろ高校生のマックアルバイトより低くなる場合もあります。だいたい社員だと時給換算で2000円弱くらいになると思いますが、サービス残業が規定労働時間と同じくらい発生するので、本当の時給は1000円ぐらいになります。


さらに、「名ばかり管理職」というものも、最近ではよく聞くようになりました。管理職という立場にしておけば、経営者は残業代を支払わなくてもいいという、とっても便利な制度です。「名ばかり管理職」になったら最後、役なしの新入社員よりも低い時給で、死ぬほど働かされるハメになります。私が福井のスーパーで働いていた時代など、管理職で時給換算450円という人がいました。ので、絶対にやめておいたほうがいいです。出世?うーん。時給が低くなる未来は見えても、高くなる未来は少しも見えないですね。

これだったら、多少の残業代を捨ててでも、平社員でいたほうがよっぽど効率がいいですよね。




なんで、こんなことになっているのでしょう?

どうして福井県民は、自分の労働環境に文句のひとつも言わず、経営者の意向に、唯々諾々としたがってしまうのでしょう?


こんな話があります。

太平洋戦争の際、各県から徴兵されたんですけど、一番強かったのは京都の兵隊さんでした。京都は昔から権力闘争の舞台になっており、そのため市民は権力に対して虚無的でした。徴兵はされたものの、大人しく上官の命令に従うような兵士ではなかったようです。なので、当時の兵隊さんの中では愚連隊的な扱われ方をされ、恐れられていたそうです。そういう意味で「強い」という噂になっていました。

一方、もっとも弱かったのは、大阪の兵隊さんでした。大阪は義理と人情を大事にする人が多い土地です。上官が「突撃!」と号令するやいなや、左右の大阪人が上官を引きずり降ろして「まてまて、ワシはお前の母ちゃんから、アンタのことくれぐれもよろしゅう、と頭を下げて頼まれてたんや。だから早まったらアカン、アカンで!」となってしまい、まともに戦争ができなかったそうです。

福井県民はこの点、粛々と戦争に行き、粛々と死んでいきました。沖縄本土決戦の際、海岸線を黒々と埋め尽くすほどのアメリカ艦隊に対して、刀剣ひとつでの突撃を命じられた際、多くの福井の兵士たちは、それに従って突撃していきました。鋼鉄の艦隊からは、40センチカノンによる砲撃が飛んできました。樽のような大きさだったといいます。突撃した福井県民は、もちろん全員死にました。唯一、怖くなって土壇場で逃げた人が、その後生き残って、福井に帰郷することができました。この人は私の祖父が病院で入院した際、たまたま隣のベッドになり、この話を教えてくれました。

こうしてみると、京都には京都の反骨精神が、大阪には大阪の義理人情が見えます。それが彼らの、行動原理になっているのです。

一方で福井は、どうでしょう? 長い物には巻かれよの精神、とでもいいましょうか。それが骨の髄まで染みついているように思えます。自分の生死がかかっているような非常事態だとしても、粛々と偉い人に従い、粛々と死んでいく道を選ぶのが、福井県民の精神なのだと、このエピソードから思えるのです。




この県民性が、労働という場面にも発揮されています。

福井県民あるいは福井出身の方で、大企業の幹部や役職を務めている方は大勢いらっしゃいます。上の命令には粛々と従い、自分の生活を犠牲にして、粛々とこなしてきた姿勢が評価されたのでしょう。

しかし、時代の変化とともに、この県民性にも、ある意味、ほころびがみえはじめています。

福井県民もまた、「自分を大事にしたい」とか「もっといい環境で働きたい」とか、そういうことを考えるようになってきたのです。

田舎の小作人ではなく、社会を構成する市民として、自分で物事を考え、行動する人が多くなってきたのです。

基本的にはよいことなのでしょうけれども、福井の経済にとってはマイナスでしょう。低賃金で劣悪な環境で働いてくれる奴隷がいなくなるということですから。


今までは5人にサービス残業を課すことで10人分の仕事をさせることができていましたが、今では5人で5人分の仕事しか、させることができないようになってきています。

正社員を希望する人が減って、アルバイト、パート従業員が増えたことが、その理由の一つです。正社員を減らせたことでコスト削減ができたと会社は喜んでいるかもしれませんが、現場は大混乱してるはずです。頭数が同じでも、労働力は5人分減っているのですから。

また、「ひとりで二人分働きます!」という能力ある若者は、福井の劣悪な労働環境を選ばなくなってきています。都会の、ちゃんと環境が整った会社を選んでいます。都会のちゃんとした会社は、定時に帰ろうとすると「えっ? 帰るの? こんなに忙しいのに? みんな頑張ってるのに?」なんて引き留めにあうことなんてないのです。なので、会社と戦うなんて余計な労力を割かずに、仕事に集中できるのです。スマートですね。


このように、福井の労働力は、質と量が減り続けています。

「なんでこんなに、忙しいんだ?」って、福井の現場は訳も分からず混乱しています。なぜなら、量も質も減っているからです。そしてこの減少は、経営者の目には映りません。サービス残業は記録として表に出てきませんし、そもそも優秀な人材であるかどうかを見分けることができません。みんな等しく使いつぶしてしまうのですから、誰がこようと一緒なんです。

一方で、この一連の流れを、福井の若者はちゃんと観察できています。「誰が、福井で働いてやるものか」と怒りに満ちた目で、見つめています。




この流れは、ますます加速していくことでしょう。現場には人がいなくなり、経営者は、どうして仕事が回らないのか、いっこうにわからないまま、現場を責めるだけに終始するでしょう。「以前はもっと仕事こなしてたのに、今はなんでできないんだ」と。

そんな仕事に手を出さない、ちゃんと物事を自分の頭で考えることができる、優秀な若者が増えたということです。

福井の若者の未来が明るくなればなるほど、福井の経済は暗くなるのです。



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