みなさんは、猫になりたいですか?
正直なところ、私はなりたいです笑
なりたくない、って人は、あまりいないんじゃないかなと思います。
猫みたいに自由に、食べたいもの食べて、生きたいところにいって、寝たい時に寝る。最高ですね。
いやいや、それだけでなく、自由に人間に甘えられる環境があるというのがいいですね。
スピッツの「猫になりたい」に関しては、むしろそういう観点で、猫というものを見つめている曲なのだ、と解釈している人がほとんどだと思います。
自由奔放な猫というより、好きな人に甘える猫。そういう猫です。
でも、実はこの「猫になりたい」という曲。
他のスピッツの曲と同じように、底意が簡単に見えないような構造になっています。
嬉しいのか、楽しいのか、はたまた悲しいのか。
「消えないように傷つけてあげるよ」とは、どういう意味なのか。
このあたりを探っていきたいと思います。
私的な「猫になりたい」の解釈ですが、結論を先にいいますと、この曲は、亡くなった人のことを思う曲です。
まず「霊園」「幻」という、死者を連想させる単語を歌詞に登場させています。一見関係のない位置にこの単語を置いており、歌詞の本筋とどう関わってくるのかが語られていないので、これだけでは、関係あるとも関係ないとも言えません。ただ、限られた歌詞の中で、わざわざ関係のない単語を盛り込むとも考えにくいので、何かを意識して、この単語たちを採用したことも事実だと思います。特に「霊園」なんて言葉、ほかの曲を探しても、またほかのアーティストの曲を探しても、まず出てこない単語でしょう。使いにくいことこの上ない単語ですからね。歌詞としてでてきたら、ギョッとしてしまいます。それだったら、語感が似ている「公園」でもよかったでしょう。霊園も、ある意味公園ですからね。
でも、あえて「霊園」を採用した。
ということを考えると、「幻」や「霊園」は、この曲においては、重要なキーワードになっているとみるべきだと考えます。
これを踏まえて、歌詞を見ていきましょう。
「明かりを消したまま話を続けたら ガラスの向こう側で星が一つ消えた」
明かりを消したままでも、話を続けることはあるでしょう。修学旅行の夜みたいに、明かりが消えても話が盛り上がっているのかもしれません。
ただ、これが楽しいおしゃべりだった場合、ガラスの向こう側の星がひとつ消えたことなんて、気が付かないはずです。楽しい会話なら、ほぼ話相手だけを見ているわけですからね。
星が消えたことを察するには、ガラス越しに空をずっと眺めていなければ、気が付かないんですよね。
という、出だしでいきなり矛盾に出くわします。
でも、ここがもし、君がすでに亡き人だったとしたら、話が繋がらなくもないかなと。歌詞の中の「僕」は、僕自身が作り上げた「君」の幻と話をしていることになります。「君」を失った悲しみを受け止めきれずに、暗い部屋の中で、会話、というより、自分が一方的に話をしようと試みている状態。そういう、茫然自失とした状態になると、星が一つ消えたことも、観察できるのかもしれません。
「空回りしながら通りを駆け抜けて 砕けるその時は君の名前だけ呼ぶよ」
このフレーズで、この曲は悲しみの曲なんだ、ということがわかります。
空回り、つまり憔悴しきった様子で、通りを駆け抜けようとしていますね。砕ける、とは、気持ちが壊れるという解釈でいいと思います。そして、あふれる悲しみの中では、君の名前以外の言葉を言うことができない状況だということです。憔悴しきった状態で、叫びにも似た気持ちで、名前を呼んでいる。
「君」に何か重大なことが起こったという表現だと思います。
あるいは、ここが冒頭と繋がるなら、消えた星というのは、「君」の命のことで、僕はそれをガラス越しに目撃してしまった、ということなのかもしれません。
「猫になりたい」の曲調から判断すると、心の動きを前面に出したい曲のように感じるので、そういう交通事故的な激しい表現ではない気がしていますけれども。
「広すぎる霊園のそばのこのアパートは薄曇り 暖かい幻を見てた」
このアパートは、「君」のアパートだと思います。そして「君」は遺体ですらなく、すでに白骨となっていると考えます。
お亡くなりになった直後だとしたら、ひとの出入りは多いし、そのために部屋はとても明るいし、一晩中蝋燭の火を煌々と焚いています。いや、それは人にもよるので、絶対そうだとは言えませんが、お亡くなりになった直後というのは、そうでなくても、悲しみに暮れる時間というのが少ないです。
「君」と「僕」との時間を、これだけ静かに振り返ることができているのは、やはり「君」が亡くなって、少し時間が経った後だと考えます。
「僕」の目の前に現れてくれた「君の幻」は、死の直前の苦痛から解放されていて、暖かい表情をしていたのですから。
「猫になりたい君の腕の中 寂しい夜が終わるまでここにいたいよ 猫になりたい言葉ははかない 消えないように傷つけてあげるよ」
ずっと引っかかっていたのが、「消えないように傷つけてあげるよ」というフレーズです。これがまともな恋愛の曲だという視線でみると、意味が通じない部分でした。傷つけてあげるよ、って、普通だったらまず使わない言葉です。傷つけられて喜ぶひとなんて、いないじゃないか。と。
でも、君が亡霊だとしたら、どうでしょうか。
「僕」は亡霊の「君」に、実体化してこの世にもう一度現れてほしいと願っています。そして「僕」は猫になって、君の実体化した腕の中で丸くなって、寂しさがなくなるまで、ずっとここにいたい、と願っています。
もし、実体化したなら、猫がじゃれて噛みついたりひっかいたりした際に、傷が残るはずです。一度実体化した彼女に、歯や爪で生傷をつけることができたら、それはもう幻じゃないよね、ということになるではありませんか。
消えないようにするには、傷をつける必要がある。という、常人には理解できかねる、狂気を含んだ意味になるわけです。
「猫になりたい」と願ったのは、つまり、「亡霊になった君をこの世に留まらせておくために、傷をつけるために必要だから」という意味だったのです。
そういえば、猫は、人間には視えないものが視える、と言われています。
猫になりたいのは、この世を彷徨っている「君」の亡霊を視るため、なのかもしれません。
「目を閉じて浮かべた密やかな逃げ場所は シチリアの浜辺の絵葉書とよく似てた」
シチリアの浜辺は、ヨーロッパで一番美しい海岸だそうです。天国みたいな、美しい場所だそうです。
君が、隠れる場所、つまり死後に暮らす場所として、僕から「逃げ」ていく場所は、そういう美しい場所なのだろう、と「僕」は考えています。
逃げ場所、つまり、君が天国に向かうのを止められないということを、ここで「僕」は想像しちゃっています。「僕」がどんなに頑張っても、「君」が亡くなって、この世から消えることを止められない、と、理性の部分ではそう思っています。
「砂埃にまみれて歩く 街は季節を嫌ってる 作られた安らぎを捨てて」
この部分は、直前の理性の部分とは対照的に、感情に支配されている部分だと思います。
君が向かったであろう天国に比べて、この世はなんて場所だろう、と思っています。「僕」は砂埃にまみれています。「街は季節を嫌ってる」というのは、悲しみにまみれた「僕」の目からみると、そう見えるということなのでしょう。季節というのは、色とりどりに表現されますし、必ず色があるはずなのですが、この色が「僕」の目には映らないということなのです。
「作られた安らぎ」は、亡くなった人に対する「安らかに眠れ」という、昔からの心持のことだと思います。この後、「猫になりたい」と続きますが、先ほどの説明のとおり、僕は亡霊となった君を、現世に留まらせたいという邪(よこしま)な考えを持っています。君を失った悲しみが強すぎて、そう思わざるをえなくなっているのです。
「作られた安らぎを捨てて」とは、ある意味残酷なものです。
安らぎを捨てるのは「君」なわけで、「僕」は彼女に捨てさせるわけですから。
「猫になりたい」の歌詞を、ざっと解析してみましたが、どうでしょうか。
悲しみが大きいあまり、普通の人には考えつかないような思考にまで至ってしまっています。狂気すら覚えます。
どうでしょうか。怖いと思いましたか。
マサムネさんだったら、大きな悲しみをどう表現するんだろう、というのに興味がありましたが、この「猫になりたい」がその一つなんじゃないかなと思います。人間は、大きな悲しみに直面したら、狂気しかない、ということです。
単純に「死んでからもずっとそばにいてほしい、蘇ってほしい」と、幼い子供ならそう思っても仕方がないかもしれません。でもこの歌詞を作ったマサムネさんは、それを願うことがいけないことだということを、十分理解しています。理解したうえで、あえて、そう願っています。
でも、狂気を表現した曲なのに、なんでこんなに美しいんでしょう。
それがマサムネさんの技術、と言ってしまえば、まったくそのとおりで、反論の余地がないわけですが、そこにあえて付け足すなら、「狂気」というのは、人間のもっとも純粋で美しい部分なのだという主張が感じられます。
恋愛自体、いわば狂気です。盲目になってしまったために、道を踏み外したり、判断を間違ったりすることがあります。でもそれは、もっとも人間らしいことです。映画でも文芸でも、そういう表現って、あると思います。恋愛の純度を高めていくと、普通の人には理解できないものになってしまうというわけなんですね。
いや、理解できないわけではありません。誰しもがそういう部分をもっているはずです。我々も、たいてい恋愛しますからね。
その、我々が心の奥底に持っている、普段はひた隠しにしている狂気の部分に対して、どれだけ訴えることができるか、どれだけ響かせることができるか。この部分が「猫になりたい」の美しさの正体なのだと思います。
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