こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、「福井生まれが恥ずかしい」という感覚について語っていこうと思います。
と、断りもなくはじめてしまうと、福井に生まれたことに誇りを持っている人に怒られてしまいそうですね。なので、自分の出自に誇りを持っている福井県民に対しては、私は最初に、こう残念がっておきます。「アナタが1600年前に生まれていれば、今頃日本の中心は福井であったかもしれないのに」と。
どういうことなのか。順を追って説明してきます。
まず、「福井生まれが恥ずかしい」という感覚についてですが、これは福井県民全体が、というより、福井平野に在住する福井市民が、特に感じていた感覚なんじゃないかなと。いや別に、福井市が昔何か悪事を働いて、それを恥じているというわけではないのですが、なんとなく、「福井でスミマセン…」みたいな感覚を植え付けられているように思います。
少し前に行った統計になりますが、「地方別で、自分たちの方言が恥ずかしいと思う人がどのくらいいるのか」みたいな調査がありまして、そこで堂々の1位に輝いたのが、我らが福井県民の福井弁だったのです。ちなみに、恥ずかしいと思わない人が多いのが、大阪弁をしゃべる大阪府民でした。
今でこそ、「どの方言だろうが、バカにするのはよくないよね」という風潮が広まっており、また「福井弁もかわいいよね」みたいな動きもありますので、福井弁に関する抵抗は薄くなっていると思いますが、私より上の年代、40歳以上の方だったら、福井弁が出てしまうことに抵抗のある人も多いのではないのでしょうか。特に、福井以外の人と話すときには。
どうして、福井弁は恥ずかしい方言だと、福井県民は認識していたのでしょうか? どうして、大阪弁や京都弁、博多弁や広島弁は、恥ずかしい方言ではないのでしょうか?
なぜなら、方言によって、出身地を特定されてしまうからです。福井弁を話すことで、福井出身だと思われたくない、と、福井出身者は思っているからです。だから、福井出身者は、福井弁を隠してしまうのです。一方で、大阪出身者や京都出身者は、自分の出身に対して、特に恥ずかしい思いを抱いていないので、堂々と方言が言えるのです。
この感覚の正体は、いったい何なのでしょう?
なぜ、福井市民は、福井県に生まれたことを隠したがるのでしょう?
なぜ、恥だと思うのでしょう?
この回答のひとつには、「福井は田舎だから」という認識があるように思います。
田舎者として馬鹿にされるから、福井出身だとバレたくない、という感覚です。
都会の人からすれば、田舎者であるということより、田舎者であることにコンプレックスを抱えている事のほうが、みっともないと思うかもしれません。でも、当事者からすれば、田舎者として差別されることに、強烈なコンプレックスを抱えてしまうものなのです。
これは、実際に福井に生まれて、福井で育ってみなければ、よくわからない感覚かもしれませんね。
実は福井というのは、昔から田舎として差別されてきた土地なのです。
福井県嶺北は、「越前」と呼ばれる土地でした。越えた場所、という意味です。何を超えた場所なのかというと、「木の芽峠」です。
古墳時代、飛鳥奈良時代、そして平安時代と、1000年以上にわたり、京都や奈良などの近畿地方が日本の中心部でした。この、京都や奈良といった、王朝の権威が届く範囲に住む人々が、日本人だったのです。一方で、それ以外の地方に住む人々は、異民族とされていました。木の芽峠は、当時それだけ攻略しがたい峠であり、その向こう側の世界は、都心に住む人々にとっては、未知の領域だったわけです。
「夷(えびす)」という言葉があります。異民族を指す言葉で、征夷大将軍などのように、蝦夷つまり東北以北を指す言葉として使われていますが、実は越前の民が、最初の「夷」であり、都心の人々にとっては、恐怖と侮蔑の対象であったわけです。
この構図は、古代中国と非常によく似ています。中国は古来から、匈奴、韃靼、突厥などの北方の遊牧民を「北狄」と呼び、恐れていました。彼らの侵入を防ぐために万里の長城を作ったのは有名な話ですよね。古墳時代のヤマト王朝にとって、福井は恐るべき「北狄」であり、木の芽峠は、天然の万里の長城として機能していたというわけです。
さて、ヤマト王朝と福井の構図を、古代中国で例えてみましたが、漢民族が支配する中国の王朝は、たびたび異民族である「北狄」に滅ぼされています。女真族の完顔阿骨打による金王朝、同じく女真族ホンタイジの清帝国、そしてモンゴル遊牧民チンギス・ハーンの元帝国です。滅亡までいかなくとも、遼などの大国が北方に出現し、圧迫されたこともあります。
ヤマト王朝もまた、王位が簒奪される出来事がありました。越の国出身の人間が、ヤマト王朝の王位を継承、つまり天皇に即位したのです。
天皇に即位した越の国のひとは、継体天皇と諡されています。
継体天皇は、中国における金や真、元と同じく、ヤマト王朝を武力で脅迫したのでしょうか?
ここからが、継体天皇の不思議なところです。
世界的にみると、王位の簒奪というのは武力行使なくしてはありえません。実際の戦闘がなかったとしても、武力を背景に圧力をかけるのが常套手段でしょう。
でも、継体天皇の即位には、武力衝突の証拠が残っていません。そればかりか、天皇に推戴されて越の国から都に上ってから、実に11年もの間、王位につかなかったとされています。
彼の不思議なことといえば、もう一つあります。それは、「私は越の国の人間である」とは、絶対に口にしなかったことです。越の国の人間である証拠はいくつもあがっているのに、越の国の人間ではないかのように振る舞うことに、苦心してたわけです。
これらには一体、どんな目的があったのでしょう?
ここからは私の想像なのですが、たぶん継体天皇のマインドは、現代の私たち福井県民と同じだったのではないのでしょうか。
「田舎者だと思われないように、なるべく都会に染まろう…」
と、私たち福井県民が都会に出たばかりの時と同じく、福井県民であることを一旦捨てて、都会民の一員であろうと努力したのではないのでしょうか。
特に、天皇に即位するということは、都会の人々の支持を集めるということを、仕事として行わなければなりません。目の前にいる都会民に信頼してもらうためには、自分は話の通じない田舎民などではなく、アナタと同じく都会民なのですよ、と訴えていくことが大事なのです。
都会の民は、田舎のルールを押し付けられることを極端に嫌います。ましてや、征服者となった継体天皇から「これが越前のルールだ」と口出しされたら、閉口するでしょう。継体天皇としても、越前ルールを持ち出すことで、都会の民の不満と侮蔑を買いたくなかったはずです。
鈍感な田舎の民は、自分たちのルールを押し付けることは、それほど邪悪だとは思わないでしょう。田舎から出たことのないようなバリバリの田舎民だったら、平気で田舎ルールを都会からの移住者に対して押し付けます。そして、都会の民がそれに従うのが、さも当然のような感覚でいます。都会の民の不満を理解できない、しようとしない鈍感さが、田舎者である所以なのです。
都会に出ようと志す福井県民は、継体天皇と同じく、この感覚が繊細なのです。都会の民に対して、「自分は、田舎者のような頑迷ではなく、ちゃんと都会のルールが理解できる人間であり、皆さんと仲良くやっていける人間なんですよ」とアピールしようとします。それが、福井出身であることを隠そうとする心理に繋がっており、福井弁が恥ずかしいという心理に繋がっているんじゃないかなと、思うのです。
継体天皇が都に拠点を移してから、天皇即位までに11年かけましたが、それは、都会民に対しての細心の注意を払っていたことに外なりません。
これは継体天皇が、多くの福井県民と同じく、繊細な心の持ち主だったというわけです。
そして、都会の民の信頼を得るのに、継体天皇は武力に頼らず、仁徳の努力によって、信頼を得たのです。
継体天皇の、都会民であろうとした努力は、しかしながら、表裏一体でもありました。
もし継体天皇に郷土愛があふれていたら、福井の遷都を考えたかもしれません。そうなれば京の都は、今頃福井に出現していたでしょう。
同じように、私たち福井県民に、もう少しの郷土愛があれば、福井は今より発展していたに違いありません。天皇陛下とまでは言わなくても、福井出身の偉人は沢山いますし、それぞれが場面場面にて、福井を立たせることに尽力していたなら、もう少しマシな福井となっていたでしょう。
私がこのブログで最初に述べた「アナタが1600年前に生まれていれば、今頃日本の中心は福井であったかもしれないのに」というのは、ここに繋がっているわけです。
ちなみに、中国を武力で支配した異民族王朝の金と元は、自分たち田舎のルールを、都会の民に押し付けました。ので、都会の民の反感を買い、すぐに滅んでしまいました。
清は、辮髪を強制するなど、最初は極端な同化政策を行いましたが、しかしながらその後、自分たちが都会の民(漢民族)のほうに歩み寄る政策に切り替えたために、長持ちしました。
福井は、王朝の簒奪者として都会の民の反感を買わずにすんでいます。今の穏やかな福井であり続けることができたのは、継体天皇による、細やかな配慮のおかげといえるでしょう。
私は、先の福井出身者を持ち上げて満足させた後、陰でこう言っているでしょう。
「彼が1600年前に生まれていれば、今頃日本の中心は福井であったかもしれませんが、その直後、福井は滅亡していたかもしれません」と。
どんなものにも、裏と表があります。禍福は糾える縄のごとし、という諺があります。「福井生まれが恥ずかしい」という感覚は、必ずしも唾棄すべき感覚ではなく、むしろ、これからの福井が穏やかなものでありつづけるためにも、必要な感覚なのかもしれません。
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