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風待くだもの店~その6~

更新日:2021年6月13日



暗い気持ちで次の日を迎えた少年に、さらなる驚きが待っていた。

岩倉さんが、停学になっていた。

間抜けなことに、それを知ったのは、その日の放課後だった。

前日、先に帰ったことに激怒された少年は、律儀に教室でひとりで待っていた。

でも、待てど暮らせど彼女は来ない。

迎えにいこうにも、迂闊に彼女の教室に顔を出せば、またキモイの合唱が待っているだろう。

なので、動きようもなかった。


「よう、坂谷。どうしたんだ。珍しいな。今日は居残りで勉強か?」


部活終わりのクラスメイトの男子が、教室にぽつんと佇む少年に声をかけてきた。


「ううん……もう、帰るところなんだけど……」


「なんだ? 誰か待ってるのか」


「うん」


「そっか……。ところでお前、ちゃんと返してもらったのか?」


「えっ?」


「数学のノートだよ。岩倉にパクられてただろ」


「えっ、ああ、うん」


「あれから、どうなったんだ」


「うん。ちゃんと、返してもらったよ」


「ああ、そっか。よかったな。それなら、ほんと、よかった。そっかそっか。ヘタすりゃ、返ってこなかったからな」


男子が、ことさらに安堵して、そんなことを言う。だから、


「岩倉さんに、なにか、あったの?」


と聞いてみた。

男子は、仰天したらしい。「はぁっ?」と大きな声を出した。


「今頃、何言ってんだよ! お前、朝のクソみてえな事件、知らないのかよ!」


「何それ?」


「うちのクラスだって、とくに女子なんか、朝からずっとその話題ばっかりしてたじゃねえか」


「別のクラスの騒動なんてわからないし、女子同士の話なんて、普通聞いてないよ」


男子は、なんだこいつは……、という顔をした。この環境、この雰囲気にあって、この騒動を知らない人間がいるということが、この男子には信じられなかった。騒動をみてなくても、女子の会話を盗み聞きしなくても、どこからともなく耳に入ってくるはずだった。


「お前な、前から思ってたけど、無関心もいい加減にしたほうがいいぞ。女子の会話を盗み聞きしろ、とは言わねえけどよ、ちょっとは会話に入ってこいよ」


「岩倉さん、どうしちゃったの?」


「パパ活だよ」


「パパ活って?」


「売春」


「売春、って?」


「おいっ! お前、俺に、売春の説明まで、させるつもりかよ」


「いや、だって……」


はあ……しょうがねえな、とため息をついて、男子は、少年に、朝の事件を解説しはじめた。


「といっても、俺も騒動自体は見てねえんだけどさ」


と前置きをしたが、時間経過によって、その場にいた全員の証言が纏まっていた。そのため、男子の話した朝の事件の内容は、ほとんど完璧な再現だった。



朝のホームルーム直前、岩倉さんが所属するBクラスに、何人かの教師が入ってきた。


「今から名前を呼ばれた生徒は、至急、会議室に来なさい」


三人の名前が挙がった。全員女子だった。その中に、岩倉さんの名前もあった。

名前を呼ばれた全員は、なぜ呼ばれたのかを瞬時に悟ったらしい。

同時に、反発した。


「もうすぐ授業でしょ。後にしてください」


「いいから、来い」


「嫌です!」


教師は、ひとりの女子の腕をつかんで、無理やり立たせようとした。女子は発狂した。


「痴漢! 痴漢! 助けて!」


声にならない声を出して、必死に抵抗する女子。自分の机はもちろん、前後左右の生徒の机までひっくり返して、無茶苦茶にした。

手が付けられない、と判断して、教師のひとりは、職員室に電話をして応援を呼んだ。

そのすきを狙って、女子三人は教室から逃走を図った。それを止めようとした教師の頭を、椅子で殴りつけた。教師のかけていた眼鏡が吹っ飛んだ。扉のガラスも割れた。

その間もこの女子たちは、「痴漢! 痴漢!」と叫んでいた。

Bクラスの男子たちは、あまりの出来事に、ただ茫然と成り行きをみているだけだった。

暴れる彼女たちの前に、勇敢に立ち向かったのは、このクラスの別の女子たち数名だった。


「アンタたち、いい加減にしなさいよ! 売春してたくせに、見苦しいわよ!」



この一言で、さらに発狂した女子三人は、顔を真っ赤にして女子たちを殴りつけた。

でも女子たちはそれ以上に、この女子三人を殴りつけた。

どうも、この三人が売春をしていたのは、Bクラスの女子たちの間では周知の事実だったらしい。ばかりか、この女子三人は、ほかの女子に対して、


「私たちは魅力的だから、大人の男と付き合えるしお金も貰える。アンタたちは、誰とも付き合えないブス」


という見下しを、日ごろからやっていたらしい。堪りかねた女子たちの鬱憤が、ここで爆発した。


こうなってしまえば、もうその場にいる先生だけでは止められない。

ほかの先生が到着するまでの間、Bクラスは狂暴が支配した。

事態が収束して、女子三人が連行されていった後は、教室の中はぐちゃぐちゃで、倒れていない机のほうが少なかった。

救急車とまではいかなかったけれど、保健室がBクラスの生徒でいっぱいになった。


「というわけで、売春容疑で三人が連れていかれて、その後戻ってこなかった。停学だそうだ」


「停学か」


「停学、っていうのは、まだ決まった処置じゃないみたいだぞ。退学になるかもしれない。ってか、ほぼ退学だろうな」


「そっか……」


「だから俺は言ったんだよ。ノート返してもらってよかったな、って。あのまま岩倉が学校に来なくなってみろ。お前のノート、一生返ってこなかったよな」


ははは、と男子は笑ってみせたが、少年の顔色が冴えないのをみて、首をすくめた。

彼には、少年の顔色が悪い理由など、知る由もない。

男子が去った後も、少年は、ぼーっと、教室に残り続けた。

外はすでに薄暗くなっている。


「岩倉さんに、世界史のノート、返してもらわなくちゃ……」


暗がりの空を仰いで、少年は、ひとりで呟いた。

少年の想いは、誰にも知られることなく、この闇に溶けてなくなっていくようだった。




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