「そうです。僕は、女の子を泣かせてきました」
なんと弁明していいか、わからない。でも、黙っているわけにも、いかなくなった。
どんな表情をして、そう話しているのか、自分ではわからない。
ただ、風待さんは、さっきまでと表情を変えていないように思う。手元の動きは、止まっていたけれども。
「僕は、期待に応えることができなかった。僕では、無理だったんです。大人じゃないから」
「その子は、大人のひとが好きだったの?」
「大人と、お金が好きでした。僕にはどちらも備わっていない」
「大丈夫だよ。君にも、時間が経てば、いずれ備わるものだよ」
「そうじゃないんです。なんというか、大人とお金が好きな彼女のことを、僕は嫌いになったんです。純粋じゃないと思ったから」
「君は、純粋な恋がしたかったんだね」
「でも僕が考える純粋さなんて、子供のそれでした。この世のどこを探しても、そんな純粋な恋なんて、ないんだと思います」
風待さんが、再び手を動かしはじめた。カウンターの下から取り出してきた瓶には、濃い黄金色をした液体が入っている。
ラベルには手書きで何か文字が書かれていたが、少年側からは読めない。
その液体をグラスに注ぐと、風待さんは、わざわざカウンターを迂回して、少年の隣に来て、目の前に置いた。
「純粋な恋はね、どこにでもあるものでは、確かにないかもしれないね。恋は、勝手に落ちるものだから。落ちた先の沼がどれだけ汚れていても、その沼の名前に純粋という名前をつければ、純粋な恋になるものだよ」
意味がわかるようで、わからないことを、風待さんは言う。
「これは、なんですか?」
「これは、風待さんの梅ジュース。前にも、ちょっと勧めたことがあるんだけど、コーヒーとタルトの前に、飲んでみてよ。今なら、美味しく飲めるはずだよ」
「ふぅん……?」
梅ジュースという、風待さんのくれたグラスの色は、濃い黄金色をしている。
少年が、はるか昔に飲んだ記憶の中の梅ジュースは、舌に酸味がピリピリとくる感じで、匂いも青臭く、喉に砂糖の甘さが纏わりつくものだった。出されたとしても、とくに心弾むものではなかった。
そんな記憶の中の梅ジュースとは、鮮やかさが明らかに違う。
匂いも違う。近くで呼吸をしているだけで、とてもいい匂いが身体の中に入ってくる。
このグラスに入っている液体の高貴さは、いったいなんだろう。神々しささえ感じる。グラスの中に黄金が溶けているようだった。
これは、いったいなんなのか。
「熟成、しているのでしょうか。ぼくが知っている梅ジュースとは、色も香りも違います」
「別に、普通だよ。普通に作っただけ」
「そうなんですか……?」
「梅には、少しこだわったかな。かつては『宝石』と呼ばれたこともある、とても綺麗な梅なんだよ。その梅を、木の上で黄色く熟させて、香りが最高になったところで、収穫して漬けるの。こんなふうに、いい梅をいい状態で使ってあげることで、強い香りと味になるのよ」
風待さんの声が、すっと、心の中に入ってくる。この時の、風待さんの声の調子は、大事なことを言うときの、風待さんのリズムだった。つい、聞き入ってしまった。
「どうぞ」
今度は、優しいリズムだった。暖かい毛布にくるまったときのような、抵抗しがたい、心地よさがあった。
少年は、言われるまま、口をつけた。
風が吹いた。
なぜ店内で、風が吹くのだろう。
と不思議に思うのもつかの間、そこは『風待くだもの店』の店内でもなくなった。
白い霧に包まれて、すぐ隣にいた風待さんも消え失せた。
その霧に、突然、光が差し込んだ。
やがて、霧がゆっくりと晴れていく。
少年の足元が、粘土質な土に変わった。土は、少年の体重をうけて、ずぶりとぬかるんだ。靴が汚れた。
少年は、朝露で濡れる、ひまわり畑の中に立っていた。
でも、少年の目を釘付けにしていたのは、あたり一面のひまわりではなかった。
白いパナマ帽に、白いワンピース姿の美少女。
風待さんを、少年と同じ年齢ぐらいに幼くしたような容姿であるともいえるし、違うともいえる。
背中の真ん中までありそうな黒々とした髪。対照的に肌が透き通るほどに白い。
その彼女の肌が朝日を受けて、眩しいぐらいに輝いているようだった。
十本程度のひまわりを隔てて、彼女は立っている。
柔らかい朝日と優しい風を、身体に纏って。
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