こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、福井県丹生郡越前町にある、血ヶ平という地名にスポットを当てて、いろいろ考察していきたいと思います。
この物騒な地名ですが、ちゃんと物騒な由来もあります。昔戦争があり、あたり一面血に染まったからです。さらに、この時の血が玉のようになって流れたことから、玉川という名前も付けられています。玉川観音があるおかげで、血ケ平よりも、玉川のほうが有名かもしれませんね。
この血が誰のものかというと、鬼のものだったとされています。鬼を討伐するための戦争だったのですね。
さらにさらに考察を重ねた文献を発見しました。当時、鬼とされていたのは、外国より漂着した外国人だったようです。彼らは洞窟の中を住まいにして過ごし、地元住民との交流もあったようです。しかしながら、地元住民となんらかのトラブルになり、軋轢となり、ついには皆殺しにされてしまったわけです。
これらの文献は、県立図書館の郷土歴史コーナーで閲覧した記憶があるんですけど、ちょっと名前までは憶えておりません。わりとすぐに見つかったので、ネットにでも載ってるだろうから後で調べようと楽に考えていたのですけれども、ネットには詳細が載っておりませんでした。申し訳ございません…。詳しく調べたい方は、福井県立図書館へどうぞ。
ところで、漂着した外国人たちは、なぜ鬼に置き換わったのでしょう?
人間が人間を殺したことに対する、罪の意識を軽減するためでしょうか?
そもそも、鬼とは、いったい何なのでしょう? 人殺しは罪ですが、鬼退治だったなら、正義の行いとして、賞賛されるのでしょうか?
鬼といえば、ガリバー旅行記を思い出しました。
ガリバー旅行記の最後の章は、未公開となっています。それを倉橋由美子さんが、短編小説にて紹介しておりました。
ガリバー旅行記で有名な小人の国をはじめ、多くの国を巡った探検隊は、最後に鬼の島にたどり着きます。この鬼たちは性格は穏やかで、鬼同士で仲良く秩序を守り、平和に暮らしていました。そこに上陸した探検隊が、こわごわ鬼に接触してみたところ、鬼は途端に死んでしまった。肉を削いで食べてみると、これが実に美味でした。簡単に殺せて、しかも美味なため、探検隊は鬼を乱獲しはじめました。鬼の国は、パニックに陥りました。悪いことなど何もしていないのに、いきなり異民族が自分たちを虐殺し、その肉を食らい始めたのですから。鬼の王様は、自分の大事な娘を生贄にささげて、国を守ろうとしました。探検隊たちは娘を食べてみると、今まで食べた肉のどれよりも美味しかったそうです。なので、この後も鬼が殺されることが止むはずがありませんでした。むしろ、さらに美味しい鬼がいるに違いないと考えて、探検隊たちは、いよいよ美食を求めて鬼を乱獲したのです。この探検隊による災厄が終わらないことに腹を立てた鬼たちは、自分たちの王様を殺しました。
鬼の国が荒廃しきって、うまい肉がなくなったため、探検隊は帰国しました。
帰国後、この鬼の国の話を誇らしげに報告しました。彼らは言いました。「私たちは、正義の鬼退治をしたのです」と。
ところが、彼らは逮捕され、探検隊は全員処刑されました。探検隊のほうが、鬼になっていたのです。そう、行政府は判断したのです。
ガリバー旅行記というのは、子供たちをワクワクさせる、おとぎ話ではありません。
政治や社会を風刺した、大人向けの話だったのです。
この鬼の国の話もまた、社会を風刺しています。鬼とは、姿形が異形な存在のことではありません。善良な顔をした私たちの心深くに、常に潜んでいるものなのです。この心の奥に潜む鬼たちは、相手の弱みを握った瞬間、急に現れるのです。
心の中の鬼を出していい大義名分があれば、ひとは鬼になってしまえるのです。「こんなひどい商品売りやがって、土下座しろ!」「対応に納得できない、もっと誠意をみせろ!」「死ね! 辞めろ!」こう言ってくるお客様の顔を見てみてください。鬼の顔をしていますよね。もしこの世の中に警察がいなかったら、アナタはいとも簡単に彼らによって殺され、金品を奪われ、肉を食べられていたことでしょう。アナタの愛する妻と娘も、彼らによって凌辱され、殺され、最後には彼らの舌をひときわ楽しませる食事になっていたことでしょう。
自分のやっていることが正義だと思えば、ひとは鬼になれるのです。
血ケ平に漂着した外国人たちは、姿形こそ、私たち日本人とは違ったかもしれません。
外国人たちは、食べるものに困って、地元住民の食料を奪ったのかもしれません。
それが地元住民に、「鬼退治」という大義名分を与えてしまったのです。
地元住民にとって、相手は鬼。そして、地元住民もまた、大義名分の名のもと、心の鬼を表面化させた、鬼になりました。血ケ平には、鬼以外、いなくなりました。
鬼同士、殺害し、殺害され、地面が血液で真っ赤になるまで、殺し合いました。
アナタは、殺し合いは好きですか?
そう聞かれると、いや~そんなことはありません。と答えるでしょう。たぶん、みんなそうです。誰だって、殺し合いは好きではありません。殺されたくないですし、殺してもいいよと言われても、殺せないでしょう。それが人間です。
でも、不思議なことに、世界中で殺し合いが行われています。宗教戦争、民族紛争、人種差別、貧困問題……。正義があれば、ひとは鬼になれるのです。
SNSでは、常に誰かが誰かを攻撃しています。なんのために攻撃するかというと、正しいことをわからせるためです。いわば正義のためです。しかし、正義の攻撃しているときは「死ね」と心の底から思っているはずです。そういう顔をしています。鬼の顔をしています。鬼なので、相手が謝罪してもやめないのです。そんな彼も、正気に戻れば、「いや、殺し合いなんて、そんな野蛮な……」なんて、まともなことを言うのです。
世の中には、正義が溢れています。その分だけ、鬼が溢れているのです。
後年、日本中の、いや世界中の地名が「血ケ平」になっているかもしれません。
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