もぐもぐ。みなさんこんにちは。もぐもぐ。八百屋テクテクです。(チェリーを食べながら)
チェリーといえば、有名なスピッツの曲ですよね。たぶんスピッツをよく知らない人でも、チェリーは知っている、なんて人が多いのではないのでしょうか。
とはいえ、歌詞が難解で知られるスピッツ。
チェリーもまた、難解です。試しに「チェリーって、何を表現した曲なんですか?」とスピッツファンに問うてみましょう。「愛の歌だ」という人もいれば「別れの歌だ」という人もいるでしょう。「いやぁ、これは死の歌ですよ」という、ひねくれた見方をしている人もいるかもしれません。いえいえ、これはスピッツに深い思い入れのあるファンほど、迷うものだと思います。歌詞の意味を細かく見ようとすればするほど、深い深い沼にハマってしまうというわけなんですよね。そこがまたスピッツの面白いところなんですよね。
と、前置きが長くなりましたが、私もさっそくやってみましょう。
私もまたスピッツが好きで、ずっとスピッツの音楽を聴いてきました。かつ、八百屋さんとして、農産物としてのチェリーを扱ってきました。チェリーについては、そこそこ詳しい知識が備わっていると、信じています。
そんな八百屋さんだからできる、チェリーの歌詞解釈です。
まず、スピッツのチェリーを聴いて、みなさんの頭に最初に思い浮かぶ謎があると思います。
それは、どうしてこの曲に、チェリーってタイトルをつけたのか、ということです。
八百屋さん的な視点で農産物のチェリーを解説すると、出回るのはちょうど今の時期、5月から6月です。
春の肌寒さから解放されて、むしろ初夏みたいな厚い日もでてくる、みたいなシーズンです。
また、チェリーの仮タイトルは、「ビワ」だとされています。ビワもまた、同じ5月から6月です。
このビワもチェリーも、実はよく似た植物なんですよね。同じバラ科の植物で、生態もよく似ています。
とにかく、この曲のタイトルを「チェリー」とか「ビワ」みたいな、5月~6月に出てくる果物にしたかった、という想いが伝わってきます。ここのマサムネさんのこだわりに、チェリーの謎を解くカギがありそうです。
例えば「愛してる」とか「君とめぐり会いたい」というタイトルにしてしまうと、歌詞に込められた意味がガラガラと崩れさってしまうのでしょう。ビワと似たような果物であるチェリーにしたのは、ビワやチェリーが手に入る、5月から6月という観点で、歌詞の意味を想像してもらいたい、ということなんじゃないかなと。
こう考えた結果出した私の結論は、チェリーは「卒業ソング」です。
もっとも、卒業したてではなく、卒業からしばらくたった後の、5月か6月あたりに、卒業の別れを思いだして書いた曲、っていうのが、より正しいところなんじゃないかなと。
なんで、卒業したてのタイミングじゃないのか。なぜ、5月もしくは6月の、チェリーやビワが出始める、少し時間が空いた時ではならなかったのか。
このあたりを、順番にみていこうと思います。
君を忘れない 曲がりくねった道を行く
生まれたての太陽と 夢を渡る黄色い砂
二度と戻れない くすぐりあって転げった日
きっと想像した以上に 騒がしい未来が僕を待ってる
君を忘れない、から始まるこの歌詞。ここでもう、「君」は「僕」の目の前にはいないことがうかがえます。
「君」は「僕」にとって、思い出の中の存在になってしまった。というわけです。
「生まれたての太陽」は、太陽の力が弱い、寒い時期の太陽のことを表しているんじゃないかなと。「黄色い砂」は「黄砂」のことで、中国からはるばる海を渡ってくるのは、4月。同じく寒い時期になります。
あるいは、これらの表現は「東」の方角を表しているんじゃないかなと。太陽が生まれてくるのは東からですし、黄砂は東に向かって流れていきます。マサムネさんは福岡出身ですが、福岡より東は、本州四国北海道と、ほぼ日本全土になります。「僕」を曲がりくねった道にひとり残して、「君」が夢を追いかけて東に向かって旅立ったことを示しているのかもしれません。
「二度と戻れない」の部分でも、やはり「君」と「僕」が仲良くじゃれあっていた頃は、すでに過去のものになったということがわかります。
でも、僕はそれを後悔しているのかといえば、それは違います。
理由は、あとで解説します。
「愛してる」の響きだけで 強くなれる気がしたよ
ささやかな喜びを つぶれるほど抱きしめて
「愛してる」の響きだけで強くなった気がしたのは、僕です。「愛してる」と言ったのは君です。
この「愛してる」の意味は、とても重いものです。君は、別れることが確定している僕に「それでも愛してる」と言っているわけです。君は、僕と一緒にいるべきか、それとも夢を追いかけるか、ギリギリまで悩んだでしょう。辛い選択だったと思います。
また、これも後で述べますが、別れを切り出したのは、僕のほうです。彼女を応援するために、別れることを決意したのです。
そんな迷いをみせている君に対して「君に、愛してるって言われただけで、僕は満足だよ。気持ちが強くなれる気がしたよ」と僕は言っているわけです。君がいなくなった今となっては、君に「愛してる」と言われたということしか、僕の心の中には残っていないけれど、でもそんなささやかな喜びを強く胸に抱くことで、それで満足できる。僕は、そんな心境でいるわけです。
この「愛してる」は、ただの惚気ではなく、とてつもない想いがこもった「愛してる」なんです。
そして、そんな言葉だけで、強くなれる気がするのもまた、こういう背景があったとしたら、わかる気がします。
こぼれそうな思い 汚れた手で書き上げた
あの手紙はすぐにでも捨ててほしいと言ったのに
少しだけ眠い 冷たい水でこじあけて
今 せかされるように 飛ばされるように 通り過ぎてく
「こぼれそうな思い汚れた手で書き上げたあの手紙」とは、「夢とか追いかけないで、僕と一緒にここにいようよ」という内容の手紙だったことが伺えます。汚れた手、というのは、たぶん僕の、君と一緒にいたい、と思う欲望でしょう。でもその欲は、君の夢を邪魔してしまうことになるから、汚れた手という表現になったのだと思います。
でも、すぐに僕は「あの手紙はすぐにでも捨てて欲しいと」言っています。それは僕の中で、君の夢を応援したいという気持ちのほうが勝ったためなんですね。泣く泣く君を送りだそうとした気持ちが、そこに現れています。
でも、君は結局、僕の手紙を捨てていない感じに描かれています。「言ったのに」の部分ですね。
この一文に、僕と君の、お互いに対するこぼれそうな思いが見て取れます。すんごい奥深い部分です。
そして、このやりとりもまた、すでに過去の話です。
時間は「せかされるように飛ばされるように」通り過ぎていきました。
「愛してる」の響きだけで強くなれる気がしたよ
いつかまた この場所で 君とめぐり会いたい
「愛してる」の響きで、どうして強くなれるかは、先ほど解説しました。
では、その後の「いつかまたこの場所で君とめぐり会いたい」の部分をどう解釈するか、なんですけど、どうでしょう。
新天地でがんばる君と、送り出した僕。
この構図だけだと、僕は「ただ別れたことをうじうじ悩んで、君が早く帰ってくるといいなぁ、と願っている男」というふうになってしまいます。
でも、最初のほうの歌詞の「きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる」の一文で否定できます。僕はただ待つだけの人ではなく、僕には僕の新しい人生があって、それは騒がしいほど賑やかな未来だということが描かれています。僕はこの場所で、新しい未来を作りはじめている。お互い道はすれ違ってしまったけれど、でもいつか、またこの場所で、君とめぐり会いたい。そんな心境でいるというわけです。
なので、「きっと想像した以上に騒がしい未来が僕を待ってる」の部分は、とっても大事な部分なんだということがわかります。
後でもう一度このフレーズが繰り返されるあたり、このフレーズに込められた意味の強さというのが、わかります。
どんなに歩いても たどり着けない
心の雪でぬれた頬
悪魔のふりして切り裂いた歌を
春の風に舞う花びらに変えて
「悪魔のふりして切り裂いた歌を 春の風に舞う花びらに変えて」という部分なんですけど、もしかしたら、ここで僕が送った、君を引き留める旨の歌をしたためた手紙を、僕自身がびりびりに破いているんじゃないかな、って思います。君が、僕をとるか夢をとるかで、迷いに迷って、前に進めなくなっていたので、悪魔のふりして手紙を破った。それが手のひらからこぼれた際に、桜の花びらのように舞った。
君の、僕からの卒業と、新天地への旅立ちを決定づけた情景が思い浮かびます。
こんな感じで、私的には、卒業の曲だ、というふうに解釈してみましたが、みなさんは、どう感じたでしょうか。
まぁ、卒業の曲といえばそうかもしれないし、違うともいえる。そんな微妙な感じでしょう。
なので、この曲はたとえば、「桜」という、卒業ソングに直結するようなタイトルは、相応しくなかったのだと思います。よくある卒業ソングになってしまっては、曲の意味を掘り下げることができなくなってしまいますから。
こんなにドラマチックなやりとりが、君と僕との間にあったとは、普通に聴いているだけでは気づかないと思います。
でも、チェリーというタイトルの意味を考えるところを糸口とすると、糸がほつれるように、くっきりと状況が浮かび上がってくるわけです。
これはシーズンになったら、八百屋テクテクでチェリーを買って、スピッツのチェリーを聴きながら、チェリーを食べないといけませんね。
チェリーはすごいですね!!!
スピッツが好きな八百屋さんの記事一覧はこちらからどうぞ↓
Comments