こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、「ルナルナ」の解釈に挑戦してみたいと思います。
※最初に申しておきます。エロ注意です。苦手な方は閲覧を控えてくださいませ。
この「ルナルナ」という曲は、スピッツの歌詞の中でも、特に難解だとされている詞です。
何を意図して作られた曲なのか、さっぱりわからない、というわけです。
なので、どんな気持ちで歌ったらいいのか、よくわからない、という方も多いのではないのでしょうか。
「ルナルナ」に関しては、過去にマサムネさんが「この曲は、ラブホにひとりで入って、悶々としている曲です」と、解説しています。解説といっても「いやぁ、あんまり解説しちゃうとつまらないでしょ」と、詳細は述べずに、ぼかして終わっているわけですが。
そうなんですよね。どんな曲もそうかもしれないんですけど、原作者自らが「ここはこうなっていて……」とか、解説できないんですよね。ギャグの面白さを言った本人が解説するのと同じで、周りが寒くなっちゃう。これを恐れているわけです。ましてや、セックスソングに関しては、なおさらです。羞恥以外の何物でもないですよね。
でも、私個人の感想でいえば、一から十まで全部解説して欲しいと思っています。マサムネさんの詞の世界に関しては、夏目漱石やボブ・ディランなどと同じく、大学での研究対象になるぐらい、奥深いものだと思っていますから。後進のためにも、明らかになる時がくるのをお待ちしております。
とはいえ、マサムネさんから「なんかエロい歌です」というヒントはいただけております。
これをもとに、詞の意味を読み取っていきましょう。
まずタイトルの「ルナルナ」ですが、先のインタビューにおいてのマサムネさん曰く、「特に意味はない」とのことです。が、上で述べたとおり、特にセックスソングにおいての解説においては、正直に言ってくれているとは限らないです。ましてや、過去の傾向から判断すると、意味のない言葉をタイトルにも歌詞にも並べるというのは、マサムネさんの律義さ生真面目さの点において、大変不自然です。このタイトルには、必ず意味がある、と私は睨んでいます。
「ルナルナは、ある作品の登場人物から付けました」とも語っていますが、最初に「ルナルナ」というタイトルありきでの話かもしれません。「ルナルナの意味を聞かれたらどうしよっかな~、あっ、同じ名前の登場人物発見! これから引用したことにしよう」というふうにした、とか。あるいは、本当にその引用元の「ルナルナ」を思い浮かべながら詞を作っていたのですが、詞が引用元とあまりに乖離してしまったため、結果的にそうなってしまったのかもしれません。
とにかく「意味はない」という発言は、簡単に信用はできないなと。
じゃあ、「ルナルナ」というタイトルには、どんな意味が込められているのでしょう?
これは、女性の月経周期を表しているんじゃないかなと思っています。
今でこそ「ルナルナ」で検索すると、生理周期を管理するアプリがでてきます。発表された当時はこのアプリは存在しませんでしたが、「月」を連想していくと、「月経」に行きつくことができます。天体の周期と、女性の体調がリンクしていることに不思議さを覚えて、このタイトルにしたんじゃないかなと。
ただ、こういうことを公に言うことは、なかなか難しいですよね。性についての知識は、日本社会においては、深く閉ざされている分野でもありますし。「この曲は月経について書きました」と言おうものなら、頭がおかしい危険な人と認識されてしまうかもしれません。
また、月経周期を暗喩したタイトルどおり、女性器や挿入に関する表現がいくつもでてきます。
忘れられない小さな痛み 孤独の力で泳ぎきり
かすみの向こうに すぐに消えそうな白い花
正直難解で、未だによくわからない歌詞なんですけど、強引に解釈していこうかなと。
「孤独の力」ってなんだろう、どうしてこの場面で、孤独が出てくるんだろう? って最初に思いました。「孤独が寂しいので君に会いたいな」みたいな意味には捉えることができなかったんです。だって、泳ぎきってしまっていますからね。
もう少し適切な解釈ができないかな、といろいろ考えてみたところ、「孤独」という字には「瓜」という字が入っています。この瓜は、性交によって処女膜が破れることを表す「破瓜」のことを言いたいのだとしたら、どうでしょう? 直前の「忘れられない小さな痛み」とは、「破瓜」の痛みだとしたら。そして、泳ぎきり、というのは、この痛みを乗り越えたという意味になります。性交の際に経験する、身体が傷つけられる痛みを、女性は誰もが乗り越えていく。この強さに驚嘆している表現なのかなと。
あと、乗り越えることを「泳ぎきる」という表現にしているのも、月の引力による潮の満ち引きにかけているようです。
白い花は、精子のことかなと。その精子が、すぐに消えそうで、かすんでいます。最初の女性の強さに対して、男性の弱さを表しているようです。1度の性交で射精される精子は数億にもなりますが、ほぼすべて子宮内で死滅してしまいます。卵子にたどり着くのは、ほとんど奇跡といってもいいぐらいの確率です。
思い疲れて最後はここで 何も知らない蜂になれる
瞳のアナーキーねじれ出す時 君がいる
何に「思い疲れて」いるのでしょう? 先の項目から想像すると、単純に「女性の身体を大事にしたい」ということと「自分の欲望を叶えたい」という狭間にいるというふうにとれます。そして最終的には「何も知らない蜂」になろうとしています。ぐるぐると思考していたものを全部捨てて、何も知らないテイで、彼女のことを挿そうとしています。
「アナーキー」は、無政府状態という哲学用語のことでしたが、もっとくだけて、「すべてを疑ってかかる人」とか「従わない人」みたいな意味で使われていました。詞の男性は、なにやら疑り深い、用心深い性格なようです。でも、そんな男性の、慎重な視点が、ねじれだす、つまり、狂い始めたんですね。君に出会って。
つまり、君の前では、自分に素直になれる、という意味なんだと思います。
もっといえば、なんでこんなに慎重なのかと。性交することにおいて、「女性の身体の仕組み」を理解しておくことは大事ですが、それで悩んでいるのは何故なのでしょう? 悩むなら「おれのことがどのくらい好きなんだろう?」という点がむしろ重要なんじゃないかと。大人の女性を相手にしているなら。
でも、相手が未成年だったら、話は別になります。「身体のことをよく考えて」という気持ちがもたげてくるでしょう。先に述べた「破瓜」という言葉は、十六歳という数え歳としても使われていたそうです。そのぐらいの年齢の女性を考えているのかもしれません。
二人で絡まって 夢からこぼれても まだ飛べるよ
新しいときめきを 丸ごと盗むまで ルナルナ
二人で絡まるのは、そのまま解釈すると、性交しているという意味になります。夢からこぼれてもまだ飛べるというのは、何回でもできるということです。
新しいときめきは、君のこれからの人生のことでしょう。自分と別れて、他の男性と付き合って性交することを表しています。その可能性を奪うということは、君とずっと一緒にいることを誓ったのでしょう。
これ、意味を解釈すると、こうなってしまいますが、詞が綺麗すぎて、意味なんてないほうがいいように感じてしまいます。マサムネさんが言ったように「説明するとつまんなくなっちゃう」というのは、羞恥心で言ってるのではなく、親切心で言っていたのかもしれません。
羊の夜をビールで洗う 冷たい壁にもたれてるよ
ちゃかしてるスプーキー みだらで甘い 悪の歌
「羊の夜をビールで洗う」は、羊を数えても眠れそうにないぐらい、悶々としている夜を、ビールを飲むことで浄化しようとしている様子です。この時点で悩んでいるということは、実際には性交をしていないということですね。
あんまり関係のない話かもしれませんが、ちまたではよく「やらなくて後悔するよりは、やって後悔しよう」と言われたりしていますが、「やらない後悔」のほうがいい場合もあります。そして、悩むことは悪いことではありません。しっかり悩んで、答えを出そうとしているあたり、ちゃんとしています。
スプーキーは、幽霊です。自分の耳元で「あの子と性交したら気持ちいいぞ」と、みだらで甘い悪の歌を歌っています。
悪の歌っていう自覚があるあたり、君との性交は「悪」なのでしょう。
このまま止めないで ざわめき避けないで ほら眩しい
不思議な出来事は 君へと続いてる ルナルナ
でも、サビでは、「悪の歌」に従ってしまおうとする様子が描かれています。女性の身体の不思議さを思うのは、君への強い気持ちからです。
いかがでしたでしょうか?
この解釈にたどり着くまで、とても長い時間がかかりました。「いやぁ、本当はこの曲は、野菜の歌なんですよ」としたいがために、なんとか強引に野菜の歌にならないかなと検討したりもしました。
でも、やっぱり難しいですね。そりゃあ、正攻法(?)である、性交の解釈でさえ、こんなに難しいんですから、ほかの解釈の難易度はとても高いです。
まぁでも、全体を通して、「解釈しない」という選択肢もアリアリなのかなと。綺麗な詞は、綺麗なまま心の奥底に沈めるのがいいのかなと。へんに暴いて微妙になるよりは、綺麗なままがいい。それもまた、一つの楽しみ方なのかなと。「ルナルナ」の解釈のせいで、綺麗なイメージが損なわれるとしたら、やらないほうがいいわけです。
探求心とは、難しいものですね…。
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