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スピッツ「Suginami Melody」は、時間経過を想う曲だった説。




こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「Suginami Melody」について解釈していこうと思います。

といっても、今回はあまり解釈することがありませんね。この詞は東京都杉並区の杉並区役所前からずーっと伸びている、杉並通りの様子を、美しい言葉で表現しているものだと思います。

ただまあ、解釈の余地があるとするなら、時間経過という点でしょうか。この詞が発表されたのは2002年です。「ハネモノ」のカップリングですね。それから20年以上が経過しています。さらにさらに、詞の中で語られている内容はどうもそれ以上に昔の思い出みたいです。マサムネさんが当時眺めていたであろう杉並通りの様子は、それぞれの時間軸において、別々の顔を見せていることでしょう。

と思ったんですけど、私もこの詞の解釈を試みるにあたって、グーグルのストリートビューで杉並通りを調べてみたのですが、遡れたのは2009年まででした。なので2009年と2024年現在を比べてみたら、そんなに変わっていないようでした。2009年の時点で広い整備された道路と杉並、所せましと並ぶビルと、都市としてけっこう完成された景色が続いていました。うーむ、これが田舎の八百屋さんの限界です。もし私が東京に住んでいたなら、当時の杉並通りの景色を頭に焼き付けていたでしょうに。そうすればもっとクリアーに、この詞を解釈できたというものです。

でも嘆いてもしょうがないです。私は私なりに、今ある材料で、この詞を解釈していきたいと思います。




眠る野良猫 人は旅人

鮮やかによみがえる青いメロディー

泣いた次の日 生まれる笑顔

飽きることなく回る風車よ

「眠る野良猫」とありますが、杉並通りのストリートビューを眺める限りでは、もう2009年の時点では野良猫なんて存在しようのない感じになっていました。大通りに、車がバンバン走っているのです。それに動物愛護と公衆衛生の観点から野良猫の保護が活発化していって、今では街から野良猫が姿を消しています。でも昔は、よくそのへんで見かけたのだと思います。

私の解釈ですけれども、この詞において「眠る」は時間が止まっている表現。「旅人」は時間が動いている表現なのだと思います。つまりこの杉並通りにおいては、人も街もどんどん移り変わっていく一方で、野良猫だけは変わらずそこに留まっている、という感じです。今の風景からでは想像しにくいんですけど、そういうことなんじゃないかなと。

「鮮やかによみがえる」とは、思い出される、という意味です。あとで「何も殺せない」という物騒なワードが出てきますが、ようはここにかかっているわけです。記憶が「よみがえる」は、一度衰退したものが再び盛んになるという意味です。とするなら、「殺す」は衰退させるという意味になります。殺せない、なので、この街の発展を衰退させることができない。思い出のままの綺麗な景色に、とどめておくことができない、という意味になります。

このように、時間経過を感じさせるような詞になっていると思うのです。

「泣いた次の日 生まれる笑顔」もまた、思い出の中にある話だと思います。泣いたと思ったら、すぐに笑顔になっている、と。本当は、彼女と触れ合っていた当時は、泣いたり笑ったりするのには紆余曲折があったでしょうけれども、詞にした時点では彼女は思い出の中にしかいません。頭の中でヒューンと早送りされてしまって、ただ泣いたり、笑ったりする光景だけが浮かんでくる、という感じになっています。

「飽きることなく回る風車よ」も、時間経過を感じます。止まることのない風車は、月日がたっても、あの日と同じような、杉並通りに吹き付ける風を感じることができます。



あの人の名前のような

正夢を探しながら

長い並木道 木漏れ日を浴びて

歩き始める

「あの人の名前」は想像するしかないんですけど、ぱっと思い浮かんだのは「紡」という名前です。「言葉を紡ぐ」とか「想いを紡ぐ」という意味で使われたりするんですけど、つなげて一つの意味にしていく、という使われ方をします。時間経過によって変化したものと、しないもの。それらが同居している空間が、杉並通りなのです。このような観点から杉並通りを眺めたとき、そういう意味の名前が連想されます。

あるいは「結」という名前かもしれません。過去と未来を繋ぐ、という意味で。

一方で、彼女そのものを探しているような表現ではありません。そうです。「人は旅人」なのです。マサムネさんが、この杉並通りから引っ越していなくなったのと同じように、彼女もまたこの街から姿を消したのだと思います。あるいは、すでに故人になっているのかもしれません。

だとしても、彼女がいなくなったことを嘆いているのではないと思います。彼女を失ったことを悲しむ時間もまた、とうの昔に過ぎ去ってしまっています。記憶がマサムネさんから衰退していって、杉並通りを歩き始めることでよみがえってくるぐらいにまで、記憶が薄くなっていました。そのぐらい、多くの時間経過があったようです。



騒めいた街に浮かぶ

三日月に想いはせる

何も殺せない 指をあそばせて

時を撫でている

「時を撫でている」とありますが、「Suginami Melody」で表現したかったのは、この一言に尽きると思います。杉並通りの現在の景色と、自分の記憶の中にある当時の景色を見比べて、「紡」や「結」になっている部分を探すことで、彼女が確かにこの街にいたんだ、と感じている部分なのだと思います。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか。

個人的な話ですが、私はこの曲が大好きです。杉並区民でもないんですけど、めっちゃ好きです。

もし東京に行くことになったら、杉並通りを歩いてみたいですね。歩きながら、マサムネさんと同じように景色を眺めてみたいと思っています。もっとも、当時の景色なんて知る由もないので、そこだけは心残りではあります。

よくツイッターで、スピッツに関する場所を訪問している人を見かけますが、杉並通りの光景を映してはしゃいでいる人はなかなかみかけないんですよね。たぶん日常的すぎて、面白くもなんともないと思っているからだと思うんですけど、福井で暮らす私にとっては、この詞が大好きなのも相まって、杉並通りに行けることがめっちゃ羨ましいです。マサムネさんの思い出が詰まっている、まさに聖地だと思います。

そういう想いを抱いている八百屋さんがここに一人いることを念頭に、改めて杉並通りを眺めてみると、また特別な感じがすると思います。




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