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スピッツ「sandie」は、都会に憧れる人の曲だった説~スピッツ歌詞解釈~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回はスピッツ「sandie」について解釈していこうと思います。

この曲は結構あかるい曲だと思います。この曲が収録されているアルバム「ひみつスタジオ」の感想や評論なんかを流し見してみますと、「今までのスピッツと比べて、明るい曲が多い」という印象を持たれた方が多いようです。これまでのスピッツといえば、「さわやかだけど、どこか暗くて幻想的」みたいなイメージを持たれてきたんですけど、そのイメージを覆したのがこのアルバムです。

そんな「明るい」曲の代表が、この「sandie」だと思います。

ファンにとって、思いがけない方向性の曲、それが「sandie」です。


また、アルバム「ひみつスタジオ」全体を通して、「i-O(修理のうた)」や「跳べ」の項目で解釈しておりますように、「なにか現状に満足できないことがあった→でも未来は明るいよ」的な、2重のメッセージ性が込められているような気がするのです。

明るい曲の背景にある、満足できていなかった現状。これが今回のアルバムに共通して語られているような気がするのです。

「sandie」もまた、そんな構造になっています。

詳しく見ていきましょう。




初めて君に 出会った時から

僕の心は桃のようなカタチのまんまだよ

しがみついてた 枝を離れて

抜け道はすぐそばにあるって教えてくれたっけ

「君に出会った時から、僕の心は桃のようなカタチのまんまだよ」からはじまるこの曲。それ以前は、桃じゃなく、別の形状だったことを匂わす内容からスタートしています。イガグリみたいな心だったのかもしれません。「触るな!怪我するぞ!」みたいに、他人をけん制していたけれど、君と出会ってからは、桃みたいに「食べて食べて~美味しいよぉ~?」みたいな感じになったのかもしれません。

イガグリみたいに、枝にくっついていれば安全だと思い込んでいた頃。まるで田舎のルールで生きている人のようです。「都会に出てみたい? バカいえ、都会は怖いところだから、お前みたいな世間知らずは、悪い人間に食い物にされて終わりだ。それよりも地元の高校、大学を目指して、地元で就職して、地元の人間と結婚しろ。それがお前の幸せだ」だなんて教えられて、その通りに生きている人みたいな感じがします。「都会に出てみたいのに、そんな俺の気持ちを踏みにじりやがって」と心の中では反発しているけれど、実際にすべてを捨てて都会に出る勇気まではなく、くすぶっている人。「都会に行けなかったら、俺の人生つまらないぞ」と嘆いてはみるものの、いろんなしがらみがあって行動できないまま、田舎で暮らしている人。そんな感じがします。

でも、「君」が、僕を都会に連れ出してくれました。「都会にいくなんて簡単だよ。新幹線に乗ればすぐだよ」と、教えてくれたのです。

田舎を出たことのない人からすれば、まるで「抜け道」のような、あっけなさでしょう。あれほど憧れた都会に、憧れるだけの世界だった都会に、いとも簡単にいけるわけですから。



違う世界があったから救われた

欲望とか悔しささえ 手に入れたし

虎の威を借るトイソルジャーたちに

さよならして古ぼけた壁 どう壊そうかな

「都会という、田舎とは違う世界があった」という事実は、田舎の慣習に困っていた人間にとっては、救いになるのではないのでしょうか。

「欲望」や「悔しさ」というのは、どちらも「個」に由来するものです。田舎では「個」を持つことが許されず、つねに「集団」であることが優先されます。プライベートとかない場合もありますよね。女性の自立にしても、「こういう仕事について、こういう未来を描きたい」という欲望のひとつです。そういう欲望は、田舎では嫌われます。「田舎で結婚して子供をもうけるのが女性の幸せだ」だなんて、今でも真面目に言われたりします。

たとえ都会に出て失敗して、「悔しさ」を手に入れたとしても、それは自分の願望の結果です。願望をかなえるために突き進むことができた結果なのです。「悔しさ」を感じることは、田舎で意思のない奴隷のように生きることに比べたら、人として断然意義があることなのです。

「虎の威を借るトイソルジャー」とは、この場合、「田舎で威張っている本家の長男と、その取り巻きたち」と言い換えることができるかもしれません。「本家の長男が一番偉い」だなんて価値観に染まっている人々の中で暮らすのは、都会の人からみれば、トイソルジャーみたいなものです。なんの能力もない人が、血統だけを根拠に威張っているわけですから。

そんな奴らにさよならして、都会に出ることに決めた。自分の中にある古い壁を壊して、外に出ようと決めた。そう言いたいのだと思います。



洒落てる仮面も 投げ捨てたけれど

ぎこちない顔陽に晒して歌ってられるんです

生真面目な田舎者ほど、都会にいったとき、「都会に染まろう」とします。100年前から都会に住んでました的な感じで、生活のすべてを都会色に染め上げようと努力します。自分に似合わない「洒落てる仮面」も無理やりつけたりして、頑張ろうとします。

そんな様子を「君」に笑われたのでしょう。「無理しなくてもいいんじゃない? 気楽にやろうよ」と。

そんなこんなで、肩ひじを張らないようにしてみた、という部分だと思います。洒落てる部分を脱ぎ捨てたばかりで、ちょっとぎこちないけれど、自分らしくやってみます、という状態。



違う世界を知ったから今日までも

明日からの自由な荒野も 楽しめそうさ

しなやかでオリジナルなエナジーで

凍れる向かい風を受けて 駆け抜けてく

「凍れる向かい風」とか「荒野」とか、やはり都会で生活することも、それなりに大変な部分も感じているようです。そりゃあ、都会だろうが田舎だろうが、良い面もあるし悪い面もあるでしょう。

それでも、ここでの生活を「楽しめそうさ」と前向きな気持ちでいます。新天地での生活は「僕」にとって、正解だったようです。持ち前のオリジナルなエナジーで、頑張っていくことを決意したようです。



違う世界があったから救われた

叶いっこない夢をもう一度 描きちらして

しなやかでオリジナルなエナジーで

新宿によく似てる魔境 駆け抜けてく

駆け抜けてく

「新宿によく似ている魔境」とは、どのあたりなのでしょう。私のような、田園育ちの福井の民からすれば、オフィスが立ち並ぶ金沢駅周辺なんかでも「新宿によく似ている魔境」になり得たりします。

「叶いっこない夢」と田舎にいたころには諦めていた何かを、新天地で再びチャレンジしてみる、という様子なのだと思います。

「駆け抜けてく」は、新天地に希望をもっている様子を、よく表現していると思います。



中島みゆきの「ファイト!」では、田舎の女性が周囲の圧力に結局負けて、都会に行けなかった様子が歌われています。そういう悔しさがにじみ出た曲になっています。

スピッツの「sandie」もまた、戦う人の曲になっています。でも、戦い方が違います。悔しさをバネに、どうしよもない現実に抗うのも戦いなら、環境を変えてイキイキとチャレンジするのもまた戦いの方法の一つです。中島みゆきのように戦うなら「震えながら登っていく」ことになるでしょうし、スピッツの「sandie」のように戦うなら「駆け抜けてく」ことになるでしょう。

どちらが正しいかとか、そういうことは言えないですけれども、でも、いろんな戦い方があるということを知るのは、損ではないはずです。

スピッツは、「こういう生き方もあるんだよ」と、苦しむ私たちに対して、選択肢を提示してくれているような、そんな気がするのです。





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