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スピッツ「P」は、視覚障碍のことを表した曲だった説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「P」について解釈していきたいと思います。

この不思議なタイトル「P」ですが、読み解くヒントは歌詞中の「ピー音」です。たぶんこの部分がタイトルになっています。そして、この部分をタイトルにしたいという強い願いが現れているのだと、読み解くことができます。

さて、ピー音とは、放送禁止用語のことです。つまり、タイトルにしたいと思った言葉が放送禁止用語なので、Pと表現せざるをえなかった、ということなのだろうと思います。

放送禁止用語であることに加えて、詞の内容から判断すると、「盲目」つまり「視覚障碍」のことを言いたかったんじゃないかな、と私は思うのです。

目の不自由な方を表す「盲目」や「盲人」は、現在では差別用語として使用されなくなっています。盲という言葉の中には、たんに目の不自由な方という意味のほかに、物事に昏い人、という意味もあるので、差別用語とされたのです。啓蒙も同じように、昏き(蒙)を啓くという意味なので、差別用語としてグレーゾーンになっているのだとか。

詞の中にいるマサムネさんは、視覚障碍を患っている彼女との交流を通じて、イラだっていたり、情けなく思ったりと、そういう心の揺れを感じているようです。それが、「P」という、わざわざ放送禁止用語を表すタイトルにしたことの意味にも繋がっているのだと思うのです。

いったい、どういうことなのか。詳しく詞を見ていきましょう。




全部それでいいよ 君はおてんとうさま

果てそうな時も 笑ってくれたよ

電話しながら 描いたいくつもの

小さな花 まだここにある

時は流れてゆく すべり落ちそうになる

はぐれてなんぼの純情だけど

もし、この詞が視覚障碍を表すのだとしたら、ここの部分はまあまあ解読できると思います。

最初に「全部それでいいよ 君はおてんとうさま」と、君を全肯定しているところから始まるのは、マサムネさんの優しさでしょう。君は、目が不自由な人です。でも、何も気に病む必要はないよ、君は君のままでいてくれればそれでいいよ、太陽のような人だよ、と言ってくれています。

「果てそうな時」とは、スピッツの曲がブレイクして急に忙しくなって、ツアーとかであちこち連れまわされて、マサムネさんがヒイヒイ言っていた時期のことなんじゃないかなと。マサムネさんは彼女に対して「死にそうだ」と深刻なトーンで相談したのでしょう。でも彼女は、カラカラと笑ってくれました。「でも、よかったじゃない。活躍できて。アナタならきっと、みんなの期待に応えられるよ、頑張って」と、逆に応援されるぐらいの関係だったのではないかなと。

視覚障碍なので、電話はできます。が、彼女が知らない花の名前とかを会話に出すと、そこで会話が詰まってしまいます。「今度ガーベラって花の名前がタイトルの曲を作ったんだけどさ…」「ガーベラ? どんな花」「えっと…」という会話の後、マサムネさんは彼女に、ガーベラの花の形状をなんとか伝えようとしたでしょう。メモ帳にガーベラを描きながら「花びらがいっぱいあって、中心はツブツブしていて、いろんな色があって…」と、詳細に伝えていったのだと思います。その、彼女との電話にて使用したメモ書きが、まだ手元にある、ということを言いたいんじゃないかなと。たんなる花のラクガキではなく、彼女がどんな状態だったのかを表している、重要な手がかりなのだと思います。

そして、この彼女とのやりとりは、時が流れて、すでに過去のものとなっています。

「はぐれてなんぼ」とは、彼女が独り立ちした、ということなのだと思います。目が不自由ながらも、介助なしで仕事をして、ひとり「はぐれて」生きていっているのです。これは、本来なら喜ばしいことです。でも、マサムネさん的には、話す機会がなくなってしまって、ちょっと寂しくも思っているよ、と言いたいのかなと。



抱きしめた時の空の色 思い出になるほど晴れ渡る

こんなして再び会えたから 話そうとするけれど何でだろ?

知らぬ間に戻される 恥ずかしき炎

以前、マサムネさんは彼女を抱きしめたのでしょう。彼女には見えていないけれども、マサムネさんは、自分の腕の中にいる彼女と、彼女の背後に広がる空の色が、くっきり見えていました。この時のことが、思い出になるぐらい晴れ渡っていたそうです。

この日、彼女と再会したマサムネさんは、彼女に問われました。「アナタから見た、あの時の情景は、どんな感じだった?」と。

マサムネさんは、電話で花の形状を話した時と同じように、彼女に伝わるよう、情景を話そうとしました。でも「何でだろ?」と自分でも疑問に思うぐらい、言葉が詰まってしまって、話ができませんでした。

それもそのはず、あの時の情景が、くっきり思い出されたからです。くっきり思い出されて、恥ずかしくなってしまった、というわけです。

あるいは、「恥ずかしき炎」とは、彼女への思いを言葉にできない、自分自身の技量の無さを恥じているという意味なのかもしれません。この恥ずかしき思いが、「P」というタイトルに込められた意味になっているんじゃないかなと。

このことについては、次の項目で詳しく出てきます。



ピー音で隠した 今じゃ当たりまえの

古いコトバ 道を転がる

寂しくてイラだち 真夜中に駆け出す 孤独を気取る余裕もなく

ここはちょっと、社会的な話になります。

言葉と意味は、密接につながっています。意味は、それを表す言葉を持つことで、はじめて認識されます。社会とか政治とかは概念上のものであり、物体として形を持っていたりはしませんが、私たちは認識できていますよね。

逆に言えば、言葉が無くなってしまえば、たとえ物体として存在していたとしても、意味を認知しにくくなる場合もあるのです。ピー音で隠してしまったことで、それ自体がなかったことのように取り扱われることにも繋がるのです。

もちろん、侮蔑や差別、卑猥な言葉など、取り締まらなければいけない言葉もあります。が、「盲目」はその範疇にはないと個人的には思います。そういえば「八百屋」も差別用語に該当しています。なので私がテレビで紹介された場合、青果小売業テクテク、となります。

マサムネさんが、この視覚障碍の彼女のことを詞にしようとした時、適切に表現する言葉がピー音になってしまうことに気が付いて、イラだってしまったのではないのでしょうか。言葉で表現できないということは、彼女のことも、彼女に対する自分の気持ちも、無かったことになってしまうではありませんか。こんな寂しいことはないですよね。



君へと続く登り坂を すりへったカカトでふみしめて

こんなして 再び会えたから 笑おうとしたけれど どうしたんだ?

ぎこちなく おどけてる 情けなき命

視覚障碍を患っている君への道は、スロープになっています。このスロープを、いつも彼女に会いに行くのに履いていた、もう履けないほどカカトがすり減ってしまった靴で登っていきます。こうすることで「ああ、この足跡はマサムネさんだな」と彼女に伝わるからです。新しい靴だと音が違って聞こえちゃうかもしれないですから。こういう心遣いが見える場面です。

そして、久しぶりに会えたけれども、マサムネさんは「どうしたんだ? ぎこちなく おどけてる」という状況になっています。彼女に対する詞を何度も作ろうとしたけれど、ピー音に該当してしまうため、あるいは、受け取り方によっては「この表現は身体障碍者にたいする差別だ」と誤解を生じてしまいかねないので、そういうことに気をまわしすぎて、うまく詞にできないのです。

「はぁ、情けない。世間では歌詞の天才だと騒がれている草野マサムネとあろうものが、君への思いすら、うまく詞にできないなんてね。俺は情けないよ……」と、半分おどけて、半分落ち込んで、彼女に言ったのではないのでしょうか。



抱きしめた時の空の色 思い出になるほど晴れ渡る

こんなして再び会えたから 話そうとするけれど何でだろ?

知らぬ間に戻される 恥ずかしき炎

知らぬ間に戻される 消せなかった炎

自分の言葉を詞にできない「恥ずかしき炎」だけど、同時にこの思いは「消せなかった炎」でもあります。何度挑戦してもダメだったけれど、それでも、詞にすることを諦めたくないという思いが、最後の「消せなかった炎」という言葉に込められていると思います。

詞にさえできれば、目が不自由な彼女にも、「抱きしめた時の空の色」を伝えることができるではありませんか。自分の思いを伝えることができるではありませんか。これは、諦めたくないですよね。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

詞の中には、視覚障碍であることは一切触れられていないので、正直、本当に視覚障碍のことを表現した詞なのかについては、よくわかりません。

が、詞のいたるところに、それを思わせる表現があるのは、これまで見てきたとおり、確かなものだと思います。

そして、それをうまく表現できない、もどかしさのようなものも、この詞から伝わってきます。

どうでしょうか? もしこの詞に該当する目が不自由な彼女が実在したとして、彼女の気持ちになって考えてみると、マサムネさんはこの詞にて、めちゃめちゃ綺麗に表現できていると思うのですが、どうでしょう? マサムネさんは不満に思っているかもしれませんが、私はこの詞はめちゃめちゃ綺麗だと思います。いろんな部分に配慮した、考えうる限りの、精一杯の表現になっていると思うのです。

言葉が制限されている状況での詞を通じて、かえって言葉の無限の可能性を感じてしまうのは、マサムネさんの詞のすごさだと思うのです。




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