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スピッツ「花と虫」は、衰退する故郷を思う曲だった説~スピッツ歌詞解釈~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「花と虫」について解釈していこうと思います。

この曲は、北海道を舞台にした朝ドラ「なつぞら」の主題歌を考えていた時に、制作された曲だそうです。「花と虫」というタイトルどおり、北海道の自然に関係した曲だと想像できますね。

とはいえ、ただ自然を歌った曲というわけではなさそうです。曲の端々に寂寥感があります。寂寥感を感じるのは、人間が主体となっているからでしょう。自然を描きつつも、中身は人間の曲だというわけです。

どういうことか。歌詞を追って、詳しく見ていきましょう。




おとなしい花咲く セピア色のジャングルで

いつもの羽広げて飛ぶのも 飽き飽きしてたんだ

北へ吹く風に 身体を委ねてたら

痛くても気持ちのいい世界が その先には広がっていた

暮らしているジャングルが「セピア色」だ、というところから、この詞が始まっています。セピア色は、古いアルバムによく見られる色で、古い思い出などを表現する際に使われる色です。ということはつまり、これは過去の話です。ジャングルで暮らしていたのは、今という視点から見て、過去ということになります。

過去にジャングルに暮らしていた頃は、いつもの変わり映えのしない毎日に、飽き飽きしていたそうです。

なので、北へ吹く風に身体を委ねていきついた先は、「痛くても気持ちのいい世界」つまり刺激的で楽しい世界だった、とのことです。

これは、虫の話ではなく、もしかしたら田舎育ちの人間の話ではないか、と想像ができます。彼を虫に例えて、話が進んでいるんじゃないかと。



終わりのない青さが 僕を小さくしていく

罪で濡れた瞳や 隠していた傷さえも

新しい朝に怯えた

「終わりのない青さ」は、青菜を主食としている虫にとっては、天国のような光景です。人で例えたら、田舎から出てきた人間が、都会の限りない誘惑に溺れている様子でしょう。

この誘惑が、「僕を小さくしていく」といっています。「罪で濡れた瞳」とか「隠していた傷」とかを、彼が抱えているんですけれども、そんな彼の抱えているものが小さくなっていくことを表しているのではないのでしょうか。「罪で濡れた瞳」や「隠していた傷」が、「新しい朝に怯えた」と。つまり、僕の抱えていた負の部分は、新天地での朝の光によってかき消されていくことになります。

でも、この表現はちょっと不穏な感じです。

普通、「新天地での暮らしは楽しい」ということを表現したいなら、「罪で濡れた瞳」や「隠していた傷」の目線では語らないはずです。新天地で幸せだぞーやったぞー!っていう、喜びの歌になるはずなのです。でも、「罪で濡れた瞳」目線になっていることに加えて、かつ、怯えたことを強調しているような作り。これはいったい、どういうことでしょう?



それは夢じゃなく めくるめく時を食べて

いつしか大切な花のことまで 忘れてしまったんだ

巷の噂じゃ 生まれ故郷のジャングルは

冷えた砂漠に呑まれそうだってさ かすかに心揺れるけど

1番は、過去の話をしていました。そしてここからは「めくるめく時を食べて」つまり、長い時時を消費してしまい、たどり着いた今現在の話になります。それにしても、時が経過した表現が「めくるめく時を食べて」になるマサムネさんの頭の中は、どうなっているのでしょう?すごすぎませんか?

まあとにかく、時がだいぶ経過して、故郷のことを忘れてしまっていました。ところが彼は、噂を聞きます。生まれ故郷が、「冷えた砂漠に呑まれそうだ」と。

花と虫目線で、この現象をみてみましょう。花と虫というのは、きってもきれない関係にあります。虫は花の蜜を吸い、花は虫の足に花粉をつけ、花粉を別の花へと飛ばしてもらいます。虫が活動すればするほど花が繁殖しますし、花がたくさんあれば虫も繁殖できます。ということは、逆にいえば、一方がなくなれば、もう一方も消えてしまうともいえるわけです。花がいなくなれば虫は食べて行けず、気候の変動や農薬などで虫がいなくなった土地では、花も交配が行われず、やっぱり絶えていきます。

ジャングルで共存していた虫と花ですが、虫が移動してしまったために、花が絶え、ジャングルが消滅してしまった、というわけです。

同じことが、彼の住んでいた田舎でも起きているようです。過去の田舎では、たくさんの彼のような境遇のひとが働いていましたが、その生活に「飽き飽き」してしまっため、新天地である土地に生活の拠点を移しました。彼だけではなく、彼に似た大勢のひとたちも、彼と同じように思い、行動したのでしょう。ひとり、またひとりと出ていき、閑散としてしまったわけです。

人がいなくなるのは、たんに人口が減るだけではありません。作業に2人必要な仕事のうち、1人がいなくなれば、もうその仕事が成り立たなくなります。野球は9人必要ですが、8人しかいなかったらチームが組めないのです。これが町のあちこちで発生すると、インフラ設備などの社会システムが維持できなくなるのです。

人間と町との関係は、まさに、花と虫との関係に似ているのです。



終わりのない青さの 誘惑に抗えずに

止まらなかった歩みで 砂利の音にこごえて

新しい朝にまみれた

「花はどうしてる?」つぶやいて噛みしめる

幼い日の記憶を払いのけて

故郷がピンチだと聞いた彼ですが、でもだからといって、今の新天地での生活を捨ててまで、戻る気はないようです。「故郷がダメになるのは悲しいけれど…」と、悲しみをもって、遠くから見守ることにしたようです

「幼い日の記憶」の部分は、彼に故郷愛、というより、故郷が衰退していくことにうしろめたさを感じさせる部分だと思います。彼の同郷がやってきて「お前、故郷がこんなになっても、帰らないつもりかよ。故郷でアイツ、お前のこと待ってるんだぞ。アイツの想いはどうなるんだよ」と責めたとしたら、どうでしょう。いや彼が実際に責められなくても、そういう心にひっかかる出来事が何かあったとしたら、心が苦しいことでしょう。

この心の苦しさが、「罪で濡れた瞳」や「隠していた傷」なのかなと。



終わりのない青さは 終わりのある青さで

気づかないフリしながら 後ろは振り返らずに

終わりのない青さが 僕を小さくしていく

罪で濡れた瞳や 隠していた傷さえも

新しい朝に怯えた

爽やかな 新しい朝にまみれた

新天地には、終わりのない誘惑があふれていたと思いきや、当然ですが、何事にも限界ラインはあります。彼がそれに、ふと気が付く瞬間がきました。新天地も、故郷と同じで、いつか終わりがくるかもしれない、と。

でも、気づかないフリをしています。これでいい、これでいいんだ、と自分に言い聞かせるように。



という、心が苦しいまま、「爽やかな 新しい朝にまみれた」で終わるこの曲。

曲のテーマとしては愛とか勇気とか、そういうものを取り上げがちですよね。もしくはフラれて悲しい的な、別れの歌とか。

もちろん恋愛は、人間のこころを揺さぶります。それを曲に乗せて歌われると、その状況がよみがえってきて感動するんですよね。

そして、ひとの心を揺さぶるのは、何も恋愛ばかりではありません。故郷への想いもまた、そうでしょう。

スピッツの「花と虫」は、故郷への悲しみを抱えて生きている人の、よりどころになれるかもしれません。




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