こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ最大のナゾである「点と点」について解釈していこうかと思います。
「ルナルナ」「惑星のかけら」「Y」などに続いて、最大のナゾって言っちゃいました。最大のナゾが最近乱発しているような気もしますが、でも最大のナゾなものはしょうがない。それ以外、表現のしようがないですものね。
そのぐらい、「点と点」は、難解な曲です。
いったい、なにを表した曲であるのか、よくわからない、というのが、多くのスピッツファンの本音なのではないのでしょうか。
私もその一人であります。
長年のナゾでしたが、今日こそ、この「点と点」のナゾを解き明かし、ひとつの結論を出していきたいなと。
ヒントになったのが、数年前にツイッターでフォローしていたスピッツファンの女性による「これは、女性の両胸の乳首のことではないか」というツイートでした。
このツイートを発した女性は、もちろん、悪ふざけでした。「点と点」という単語から連想したものが、自分にもあるそれだったわけです。歌詞の意味とかをとくに検証したわけでもなく、その一事だけで断定しておりました。「いやぁ、マサムネはエロいなぁ」という目線で、この曲を捉えていたわけです。
でも、その当時、そのツイートを見た私は、妙に納得していました。この時は私も、それほど深く考えることなく、「ふーん、そうなんだ」という感覚で、この曲を捉えていました。
そもそも。マサムネさんには”前科”があります。「おっぱい」という曲をインディーズ時代にリリースしており、さらにこの曲はデビュー後のアルバム「花鳥風月」に堂々と収録されています。若気の至りですまさない覚悟を、私たちに見せつけています。また「うめぼし」という曲も、女性の乳首を模したものだそうです。これが続くと、「点と点」もまた、おっぱいのことを指しているのですと言われると、そうなのね、と納得してしまいたくなります。
ただ、歌詞全体を眺めてみると、妙に数学的な部分があるんですよね。
「方程式」というのがまず気になります。あと「ナイルのほとり」。これらに加えて、タイトルが「点と点」だと、数学的な解釈に傾きたくもなります。
女性の身体と、数学。
これらのワードで、思い浮かんだことがひとつ、あります。
黄金比です。
黄金比とは、建物や芸術に使われている比率のことで、人間の視覚的にもっとも美しくみえる比率のことです。古代ローマのパルテノン神殿、ミロのビーナス、モナ・リザ、そしてナイルにある、ピラミッドにも使用されています。
もしかすると、目の前にいる女性の身体を眺めた時、その美しさのあまり「あっ、黄金比だ…」と感嘆してしまった様子を曲にしたのが、この「点と点」なんじゃないかなと、私は考えました。
胸高鳴る点と点 にわか雨冗談でしょ
待ち合わせの場所へ 恋の都 薄化粧
ナイルのほとりにいた 前世からの鼻歌
やっと気づいてくれた ふりむいて笑いました
「恋の都」というのは、ネオンライトで彩られたラブホ街のことです。主人公と「君」は、たぶんラブホにいくことを約束し、待ち合わせをしているところから、この曲は始まっています。
ただ、主人公にしてみれば、これはいつもの待ち合わせではなく、はじめてレベルの会合になります。にわか雨に「冗談でしょ?」って慌てているし、「ごめんごめん、にわか雨にあっちゃった」って事実を淡々と伝えればいいものを、なにやら彼女の気を引くために、普段やらないことをやって笑われたりと、はじめてあう男女にありがちな、待ち合わせ前後のグダグダ感が表現されています。
ナイルのほとりにいた、ということは、主人公の前世は、ピラミッドの石材を引いていた奴隷だったのでしょう。前世では、黄金比を駆使して、ピラミッド工事を行っていた記憶があったので、同じく黄金比を持っているに等しい、この女性の美しさに惹かれた、ということでしょうか。
まっすぐに君を見る ナナメの風ん中
どうでもいいことなんて 無くなる
昨日の朝飯も 思いだせそうだし
一緒に行こうよ
もう、ラブホの部屋の中に入っていることが、ナナメの風という表現でわかります。天然自然の風は、ナナメには吹きません。必ず平行に吹き付けるものです。ナナメに吹くのは、部屋の上についているエアコンが、温風または冷風を吹かしているせいです。ナナメの風は、人口の風です。
にわか雨のせいで、グダグダさを露呈してしまった待ち合わせだったけれど、これからは緊張しないようにしよう、と、「昨日の朝飯」を必死に思いだしています。戦国時代のいくさ人みたいですね。でも、そういう心境なのだと思います。
落ち着かせて、目の前にいる裸の女性を眺めます。その整った美しい裸を見て、主人公は、やはり驚嘆します。「どうでもいいことなんてなくなる」つまり、彼女に関するすべてのことを、知りたいと思うようになっています。
桜色のホッペが 煩悩を正当化してった
悲しい記憶の壁 必死こいてよじ上った
交情しているシーンです。女性の頬が、桜色になっています。
主人公は、女性の身体について、神聖で、侵すべからざるモノとして考えていたフシがあります。こんなに美しいモノを、自らの手で壊してしまっていいのだろうか、と。
でも、彼女が自分を受け入れてくれているのをみて、やっと正当化しはじめます。
いや、もしかしたら、神聖だと思いこんでいた裏側には、性に関する悲しい過去があったのかもしれません。自分の欲望が、彼女、もしくは別の誰かを傷つけてしまった。そんな過去が。
彼女との交情は、その忌まわしき過去との決別でもあります。悲しい記憶の壁を乗り越えるため、交情に必死になります。
まっすぐに君を見る うしろは知らない
平気なフリしてても 震えてる
有名な方程式を 使うまでもなく
一緒に行こうよ
まっすぐに君を見ています。彼女の姿かたちを、平面で捉えている場面です。その美しい身体に気を取られて、彼女の裏側には気が回らない状態です。
今この瞬間に関しては、それでいいはずです。目の前の彼女の、身体の美しさだけに一生懸命になることが、ここでは必要なのです。
彼女の身体に触れることを、怖い、と思っています。
方程式は、解を導き出すことに使われます。でも、黄金比を持つ彼女の身体を解かす答えは、方程式では解けないでしょう。
わかりますか? それまでの 思い込みをぶち壊すような
新しい組み合わせ 固い心 フワフワに変える
ここまで詞をなぞってくると、「わかりますか?」というのは、自分自身に問いを発していることだとわかります。「それまでの思い込み」とは、記憶の壁に封印されている悲しい出来事のことを指しているのでしょう。
彼女との交情が、それをぶち壊してくれる、と思っています。
この交情の様子は、第三者の目線で描いています。鏡に映った自分たちの姿でも見て、そう思ったのかもしれませんね。
黄金比が見える自分の眼でそれを見たら、思いのほか美しく見えたのでしょう。彼女の美しい身体を汚していると思いきや、交情の姿もまた、美しかった。それを発見した時、自分の固くなっていた心が、ずっと軽くなった、というわけです。
「点と点」の解釈、いかがでしょうか?
それなりに、納得できるような解釈になっているでしょうか?
正直、どういう解釈でも、やろうと思えば、いくらでできてしまうものです。
そのぐらい、多種多様な解釈の余地のある曲だと思います。
今回は八百屋さんにあるまじきエロティックな感じになってしまいましたが、野菜や果物に関する曲として解釈できなかった、私の技量不足ですね。
もし、「点と点」が野菜の曲だという新発見がありましたら、このページをまるごと改変していきたいと思いますので、それまでの間、この解釈を残しておきます。
どうぞ、「点と点」を聴いて、エロティックな感覚に浸ってみてくださいませ。
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