こんにちは。八百屋テクテクです。
本日は、スピッツの夏の名曲「渚」について、解釈していこうと思います。
みなさん、夏の曲といえば何を思い浮かべますか?
湘南乃風みたいな、ウェーイって感じの曲でしょうか。ちょっと時代が古いですけど、私などはプリンセスプリンセスの「世界で一番熱い夏」が好きです。夏の暑さと相まって、とてもテンションがあがります。
夏の涼しさを表現した曲もいいですね。桐谷健太が扮する浦島太郎の「海の声」など、夏になると聴きたくなりますよね。いや意識的に聴こうとしなくても、スーパーなどの「夏のバーベキューコーナー」みたいなところで、BGMとしてかかっているのを見かけます。自然に耳に入ってきちゃったりするんですよね。
さてさて、我らがスピッツにも、夏の曲がたくさんありますが、一番有名な曲はどれ? と聞かれたら、まず真っ先に名前があがるのが、今回のテーマである「渚」でしょう。
それこそ、スピッツを知らない人でも、一度は耳にしたことがあるんじゃないかというぐらい、有名な曲です。
しかしながら、その歌詞の意味はとても難解です。
スピッツを聴きなれているスピッツファンでも、意味はよくわからない、という感想をお持ちの方が、ほとんどなのではないのでしょうか。渚の歌詞の意味について、深く考えたことのある方は、どのぐらいいるのでしょう?
今回は、「渚」をもっと深く知りたいという方と一緒に、「渚」の意味を深堀していきたいと思います。
この曲は、歌詞をそのままなぞっても、意味を読み取ることができません。
ふんわり解釈するのなら、「プライドが高いせいで君に想いを伝えることができないでいたけれど、君のところに行きたい。そのために水になったり風になったりしたい。渚で君と交わりたい」みたいな感じでしょうか。そう解釈することも、できなくもないと思います。いやむしろ、そう解釈している方がほとんどなのではなのでしょうか。
かくいう私も、1996年の夏に渚を初めて聴いてから、2021年の今まで、20年以上、渚の意味を深堀することなく、上記のような意味として自分の中で消化して「あ~夏っぽいなぁ~」で過ごしてきました。
でも、スピッツのいろんな曲の歌詞解釈をしていくうちに、渚もまた、歌詞の裏に潜んでいるものが沢山あるんじゃないかと思うようになったんです。
スピッツの歌詞を担当している草野マサムネさんの頭の中は引き出しが多い、ということはファンにとって有名な話ですが、渚の歌詞もまた、引き出しの中にいろんなものが詰め込まれているような雰囲気がします。その引き出しの中に手を突っ込んでみて、何かを引っ張り出してみるのもまた、スピッツの曲の楽しみ方なのかなと。
いったい、どんなものが入っているのでしょう?
まず、渚という言葉を検索してみたんですけど、本来の意味である「湖、海などの波打ち際」よりも、スピッツの曲名としての渚のほうが検索上位に来ているんですよね。
スピッツがすごいということもあるんですけど、本来の意味としての「渚」を普段使いの言葉としてあまり使用していない証拠でもあるのかな、と感じています。
海に行って、「あっ、波打ち際だあ~」ということはあるかもしれませんが、「あっ、渚だ~」と雅な言い方をする人、あんまりいませんよね。
とはいえ、「渚」と書くと、私たちは「なぎさ」と普通に読めます。意味も知っています。
あまり使われなくなった言葉だけど、みんなのよく知っている言葉。それが「渚」という言葉なのだと思います。
あ、ここまで書いて思ったんですけど、人名によく「渚」が使われていますよね。私が高校生の時、同級生に渚という名前の女子がいました。そのほか、グーグルで検索すると、有名人が何件かヒットします。
人名に使われるぐらいですから、「渚」という言葉には、たんなる「波打ち際」以上の意味を、私たちが感じているのかもしれません。
そんな「渚」を、曲のタイトルにした。
この一事からしても、一筋縄ではいかないような気がしますね。
そして、スピッツの渚は、「恋の舞台としての渚」ではなく、「渚そのもの」を表現した曲、だとしたら、どうでしょう? 渚のイメージがガラッと変わるかもしれません。
インディゴ地平線には、空や大地、太陽をモチーフにしたであろう曲が多いです。タイトルにもなっている「インディゴ地平線」はもちろん、「ほうき星」「夕陽が笑う、君も笑う」「虹を超えて」なんかも、タイトルが壮大ですよね。「渚」も、このアルバムに組み込むことを想定して作られた曲なのかなと。もしくは、「渚」にインスピレーションを感じて、「インディゴ地平線」が出来上がったのなかなと、想像しています。
アルバム「インディゴ地平線」に収録されている、これらの曲を見渡すと、ただ単に言葉として「地平線」や「ほうき星」を使用してみました、という程度のものではなく、ガッツリテーマとして、歌詞に組み込まれています。スピッツが楽曲のテーマとしてきた「恋」のほうが、むしろ添え物みたいな扱いです。
スピッツの渚には、一応、「恋」という言葉は入っていますが、これを言葉どおりに受け取っていいものか、どうか。
改めて、歌詞を眺めてみましょう。
★★★★★
ささやく冗談でいつも つながりを信じていた
砂漠が遠く見えそうなときも
ぼやけた六等星だけど 思い込みの恋に落ちた
はじめてプライドの柵を超えて
風のような歌届けたいよ
野生の残り火抱いて素足で走れば
柔らかい日々が波の音に染まる 幻よ 醒めないで
捻じ曲げた思い出も 捨てられず生きてきた
ギリギリ妄想だけで君と
水になってずっと流れるよ
行き着いたその場所が 最期だとしても
柔らかい日々が波の音に染まる 幻よ 醒めないで
渚は二人の夢を混ぜ合わせる 揺れながら輝いて
輝いて…輝いて…
★★★★★
はい。意味がよくわからないけれど、すごい歌詞だということはわかりますね
感動する歌詞です。
そして、あることに気が付いたので、今回はちょっと歌詞を因数分解してみたいと思います。
というのも、口の悪い人などは、スピッツの歌詞について「なんか思いついた言葉を適当に並べて作っただけ」などと言ったりします。言い方の是非はともかく、なるほど最初に歌詞に組み込みたい言葉をあらかじめ決めておいて、それをリズムに合わせて組み立てていく、という歌詞作成の方法をとったのかもしれません。
もしそうだとするなら、組み立てた歌詞を因数分解することで、主張したいことが見えてくるようです。
まず、この歌詞には、水、風、火、砂が入っています。ゲームなどによく出てくる、四元素ですね。古代ギリシャでは、この世界を構成している物質だと考えられてきました。
さらに、これに日と、月と、木が加われば、七曜になります。月火水木金土日ですね。暦にもなっているとおり、古代バビロニアにおいて、やはり世界を構成している物質だと考えられていたものたちが、七曜です。歌詞中には月は出てこないですけど、ぼやけた六等星というのは、もしかすると他の惑星からみたら、太陽の輝きを反射した月が、うっすら小さく見えるだろうから、そういう表現をしているのかもしれません。そして柵という字は、木偏です。日は、そのまま出てきています。
ついでに言えば、元素の素という文字が、さらっと歌詞中にでてきます。まるで、これがヒントだと言わんばかりに。
こじつけといえばこじつけですが、これだけの要素が、渚の短い歌詞の中に見つかるのは、はたして偶然でしょうか。
そして、歌詞中には、生、恋、があり、最期、があります。最後ではなく、最期、つまり、死です。こう並べてみると、恋という言葉は、恋そのものを表しているのではなく、この並びとして、パーツの一部として、使いたかったのではないか、と思えるのです。
加えてさらに、それらとは逆の意味である、夢や幻という言葉がサビで強調されます。これだけ物質的な言葉を散りばめ、練り上げた歌詞で、もっとも強調するべきサビに、逆の意味である夢や幻といった言葉を使うのは、いったいどういうことなのでしょう?
散りばめられた物質的な言葉、生と死。そして、その逆の夢幻的な言葉たち。
これらのことを総合して考えると、「渚」に込められた、ひとつの意味にたどり着きます。
それは、現実世界と、夢幻の世界が混じりあった、混沌を、渚という場所に感じているということです。そして、「渚とは何か」というテーマで歌詞を作ったら、こういうふうになった、ということだと思います。
普通の人だったら、「渚」というタイトルで曲を作る場合、「渚での思い出」とか、「渚にいる若い男女」みたいなテーマで曲を作るのだと思います。「渚」というのはあくまでも風景で、メインとして登場させるのは、自分の想いだったり、男女の恋だったりするわけです。でも、常人ではない感性の持ち主であるマサムネさんは、「渚」そのものを、曲で表現しようとした。そう、思えるのです。
そして、マサムネさんにとって、「渚」とは、何か。このあたりは、渚ではしゃぐ男女ではなく、渚そのものをじーっと眺めていたときに、思いついたんじゃないかなと思います。波が押し寄せ、そして還っていく。地球が誕生してから現在に至るまで、途方もない時間を、ずーっと繰り返してきた渚に、何か特別なものを感じて、そこから世界が生み出されていく。人間が考えるものよりももっと巨大な何かであり、元素とか生命とかだけでなく、もっと目に見えない何かまでをも、生み出してきた渚。そして、これからも生み出し続けるであろう渚。こういう、表現しにくい畏怖の感情を、元素や生死などといった大きな言葉を用いて、表現しようとしたのだと思います。
因数分解でわかる、渚の世界はここまでです。
答えが出たようで、答えになっていないかもしれません。渚が、何を表現した曲なのかということが、よくわからないままなのですから。
突き詰めて考えていくと、ひょっとすると渚は、現世と黄泉の往還という、わけのわからない次元の話なのかもしれません。
でも、そんな巨大な素材を散りばめて作り上げているはずの曲ですが、確かに夏の匂いがします。ちょっと苦くて苦しい、青春の味がします。
今まで私たちが感じてきたとおり、渚からは、爽やかな夏の風を感じることができます。うまく言語化できないですけれども、マサムネさんもまた、渚から、心地のよい夏の何かを感じ取ることができたのでしょう。それが言葉を超えて、感覚として、私たちの心に届いているんじゃないかなと思います。
渚はすごいですね!
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