こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、涙がキラリ☆について、考察していきたいと思います。
といっても、この曲が他のスピッツの曲を比べて恵まれていると思う点は、マサムネさんから意味のようなものが述べられている点にあると思うんです。なので、私たちファンは、涙がキラリ☆について、ほとんど迷うことなく「こういう意味なのね」と解釈することができるわけです。
涙がキラリ☆は、七夕の夜に、恋人と二人で星を眺めていることを表している曲です。
涙がキラリ☆のシングルの発売日が7月7日だったこともあり、この点を強力にPRしていますね。彦星と織姫が出会う話は誰もが知っていますが、だからといってクリスマスやバレンタインデーのように「恋人の日だ」という認識は、当時は薄かったように思います。どちらかといえば、小さな子供がメインの日で、短冊に願い事をかく日です。まぁ、今もそうかもしれませんが。
確かに、クリスマスやバレンタインデーにちなんだ、恋人同士の曲はいくつも思い浮かびますが、七夕の曲はあまり思い浮かびません。ドリカムの「7月7日、晴れ」ぐらいでしょうか。
そこに、スピッツの「涙がキラリ☆」ですよ。
とはいえ……。
気になるのは、タイトルの「涙がキラリ☆」です。
どこに、泣く要素があるのでしょう?
ひとは、理由なく涙がこぼれることはありません。七夕の日に、二人は別れちゃったんでしょうか? それとも、夜空があまりにも美しかったので、泣きたくなったのでしょうか?
実は、どちらも、考えにくいです。
なぜなら、この清く正しい七夕のイベント中だというのに、「俺」は、なにやら邪(よこしま)な考えで頭が満たされてしまっているようなのですから。
目覚めてすぐのコウモリが飛び始める夕暮れに
バレないように連れ出すから カギはあけておいてよ
冒頭は「コウモリ」ではじまるこの曲。マサムネさんは動物を歌詞の中に使う時、とても効果的に使っています。犬や猫を登場させる時は、愛される対象として表現しています。猿の場合は、好奇心とか冒険心とかでしょうか。鳥は自由、魚は力強さや進化を表しています。それぞれ、動物から受ける印象をうまく引き出しているわけなんですね。
さてコウモリの場合はどうでしょう? 私たちがコウモリから受ける印象といえば「悪い奴」です。吸血鬼ドラキュラは、コウモリに変身するという話は、誰もが知っている話です。吸血鬼は、コウモリに姿を変えて美女の背後に忍び寄り、その首元に牙を突き立て、生き血を啜る。そういう、不気味で悪い存在が、コウモリです。
そんな、悪い奴の象徴であるコウモリが飛び始める夕暮れ、というのが、この曲の冒頭です。とても、今から七夕の美しい夜空を天体観測しにいくという感じには見えないですよね。まぁ確かに、コウモリが飛んでいたのが事実だったのかもしれませんが、天体観測に期待を膨らませている純真な心をもった少年だったら、わざわざ歌詞に描きません。もっと違った表現になったでしょう。
だけど、ここは、コウモリである必要があった。なぜなら「俺」は、純真な心を持った少年ではなかったからです。
バレないように連れ出すのも、このためです。彼女の実家には門限があって、ご両親は、それ以降の出入りを厳しく取り締まっていました。彼女を夜中に連れ出して娘の純血を啜ろうとする、コウモリみたいな悪い男子に備えていたわけです。
そんな彼女を、バレないように連れ出しているあたり、「俺」は彼女のご両親が危惧しているような、悪い男子だったわけなんです。
それを表現するのに、冒頭のコウモリが必要だったのですね。
君の記憶の片隅に居座ることを今決めたから
弱気なままのまなざしで夜が明けるまで見つめているよ
とはいえ、「俺」には、君をどうこうしようとか、そんな勇気までは持ち合わせていません。ただ一緒にいられればいい、ただ七夕の日に、天体観測さえできればいい、と、本当にそう考えています。君の記憶の片隅に居座ることさえできればいいと、思っています。
同じ涙がキラリ 俺が天使だったなら
星を待っている二人 せつなさにキュッとなる
心と心をつないでる かすかな光
ここで、このブログの表題の疑問がでてきます。
なんで泣いているのかと。どこに泣く要素があったのかと。
結論から申し上げますと、泣く要素はどこにもありません。なので、涙も出ていません。
この涙は、「俺」や君の瞳からこぼれたものではない、というのが、私の解釈です。
じゃあ何かというと、たぶんこの涙は、彦星と織姫のことなんじゃないかなと。
七夕の主人公である彦星と織姫は、夏の大三角でおなじみの、アルタイルとベガです。ともに1等星で、強い光を放っています。
この強い光が「同じ涙がキラリ☆」ということなんじゃないかなと。
涙に例えるなんて、すごい感性だなと。零れ落ちそうなぐらい大きな光だったので、そう連想したのかもしれませんが、それにしても常人にはできない発想です。天才だと思います。
あと、それに続く「俺が天使だったなら」の部分。本当はコウモリだけど、君にとっては天使でありたいと思っています。そういうジレンマを抱えた部分なんじゃないかなと。
君の純血を欲しているコウモリな部分と、君に頼られたい天使な部分。これが自分の心の中で争っている。そんな様がみてとれます。
浴衣の袖のあたりから漂う夏の景色
浮かんで消えるガイコツが鳴らすよ恋のリズム
ここは、彼女の浴衣の隙間から、彼女の肢体が見えてしまったことを表しています。袖の隙間から見える景色は、たしかに夏にしか見ることのできない景色です。浮かんで消えるガイコツは、やはり浴衣の隙間から見えた彼女の肢体です。胸元から覗いた鎖骨のことだと思います。
恋のリズムは、それを見てしまった「俺」の心臓がばくばくしている様のことだと思います。
映し出された思い出はみな幻に変わってくのに
何も知らないこの惑星は世界をのせてまわっているよ
ここは「俺」のもっとも悩ましい部分だと思います。
「俺」の目に一瞬映った、浴衣の隙間から覗く君の肢体は、しかしながら、次の瞬間には浴衣の布の防御により、もう目の前から消え去っているわけです。そんな一瞬ではうまく思い出として記憶することができず、君の肢体がどんな感じだったのかよくわからないまま、幻に変わってしまいました。
「何も知らないこの惑星は…」の部分ですが、これは、肢体が見えた瞬間に、地球に止まって欲しいと願っている部分なのだと思います。地球の時間が止まれば、そこで俺はずっと、君の肢体を眺めていることができるではありませんか。
でも、そんな俺の願望も知らないで、地球は無情にも、静止することなく、ぐーるぐる回り続けています。
同じ涙がキラリ 俺が天使だったなら
本当はちょっと触りたい南風やって来い
二度と戻れないこの時を焼きつける
涙がキラリ☆が発売された当時、まことしやかに噂されたことがあります。
それは「南風やってこい」という部分は「南風の突風がいきなり吹き付けることで、彼女の浴衣がめくれて、下着があらわになることを願っている」ということを表したものなのだということです。
これ、出展が不明なのですが(ちゃんと探していないので、本当はあるのかもしれませんが)公式のものなのでしょうか?
だとしても、これまで解釈してきた内容からすると、この説でほぼ間違いはなさそうですね。
「二度と戻れないこの時を焼き付ける」のは、今まで「みな幻に変わってく」くらい、君の肢体の記憶にことごとく失敗している俺にとっては、とても大事なことです。ちゃんと目に焼き付けなければいけません。
おいおい天体観測はどこいった。これはパンチラ披露会じゃないんだぞ。と彼女が俺の心のうちを知れば、激怒することでしょう。なので、彼女に悟られないよう、俺は天使であるふりをし続けなければいけません。本当はちょっと触りたいけれども、我慢です。大変ですね。
みたいな感じで、俺が終始どぎまぎしている曲だというふうに解釈してみましたが、いかがでしょうか。
どこにも泣く要素がありませんでしたし、夜空を眺めて感動するという表現も薄いことから、これは本物の涙じゃないんじゃないかなと思いました。
とするなら、同じ涙とは、同じ輝きを持つふたつの恒星、彦星と織姫のことを指しているんじゃないかなと。
もっといえば、彦星だって、「俺」と同じような葛藤を抱えているんじゃないかと。織姫には1年に1回しか会えないのだし、その一回で不手際を晒せば、1年中ずっと織姫に嫌われたままになってしまいますので、めったなことができません。なので、彦星は慎重にことを運ぶ必要があるわけです。なかなかしんどい立場ですね。終始天使を装うのか、コウモリになるのか。そんな想像を、地上にいる「俺」は、していたのではないのでしょうか。
まぁ、今回はこんな感じで、少しくだけた解釈にはなってしまいましたが、もちろん、涙がキラリ☆の涙は本物の涙だというふうに解釈しても、まったく問題はありません。そのように解釈している方だって、大勢いると思います。げんに私だって、泣ける曲なんだな~、と思っていた時期もありましたし。
ひとの数だけ、解釈の数がある。そういうのが、スピッツの曲の魅力のひとつなんじゃないかなと思っています。
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