こんにちは。八百屋テクテクです。
今回はスピッツ「未来コオロギ」について解釈していこうと思います。
この曲はみなさん、どんな心境で聴いているでしょうか? 歌詞はまず、チンプンカンプンですし、メロディーも不思議な感じです。出会いの曲なのか、別れの曲なのかすら、イマイチ掴み切れないという、不思議な曲となっております。
未来コオロギが収録されているアルバム「小さな生き物」ですが、これは未曽有の被害をもたらした東日本大震災の後に作られたアルバムです。よって、ファンの間では「震災についての曲が多い」と解釈されています。一方でマサムネさんは「いや、そんなに意識していないです」とも語っています。という事情があるとおり、解釈についての意見が錯綜する、これまたややこしい事情を抱えたアルバム曲たちのひとつなのです。
はたして、東日本大震災により身心に負担を負ったマサムネさんの「いや、そんなに意識してないです」は、どのくらい信用できるのでしょう? 「そんなに意識してない」ということは「ちょっとは意識している」と解釈しても、いいのでしょうか?
そういう前提も踏まえつつ、この詞を見ていくことにしたいと思います。
はたしてマサムネさんは、いったい何が言いたくて、この詞を作ったのでしょう?
ということで、八百屋テクテクが出した結論は、ブログタイトルにありますとおり、「人類が滅びた未来の地球を支配していた生物を表した曲」です。
どういうことなのか。順番に見ていきましょう。
描いてた パラレルな国へ
白い河を 飛び越えて
さあ、パラレルな国へ行きましょう。とこの詞はそう始まっています。パラレルとは、この場合、パラレルワールドを指します。これはSF作品とかでよく出てくる設定で、もし現時点でAという行動をした結果作られた未来Aがあったとして、そこからタイムマシンで過去に戻り、Bという行動をさせた場合、未来Bという未来が出来上がります。この場合、未来Aと未来Bは、パラレルワールドになるわけです。この、現時点での行動Aと行動Bが世界に及ぼす影響が大きければ大きいほど、未来Aと未来Bは、とんでもなく違ったものになるでしょう。
さて、「描いてた」と最初にありますが、これは「君」が描いていた未来となります。いや、この「君」は、特定の誰かというわけではなく、「この曲を聴いている君たちは」という、マサムネさんからのメッセージじゃないかなと解釈しました。この場合、私たちが描いてた「パラレルな国」とは、いったい何のことでしょう?
私は、「発電の手段を原発に頼らなかった場合の日本」のことなんじゃないかなと。
東日本大震災による、福島第一原発のメルトダウン。1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故と同じINESレベル7に分類される、歴史上もっとも重大な原発事故が発生しました。2022年の今でこそ、福島に安全が戻り、廃炉に向けての作業が安全に執り行われておりますが、この当時は原発周辺の半径20km圏内にわたって人の出入りが規制され、10万人以上の住民が避難しました。10万人以上の住民が住んでいた地域が、人の住めない街となってしまったのです。
絶望としか、いいようがありません。
この当時は、誰もが思ったはずです。「発電の手段を原発に頼らなければ、もっと違った未来があったに違いない」と。
私たちは、そんな「原発のないパラレルの未来」へと、タイムマシンを使って時空を「飛び越えて」みました。すると、どうなっていたでしょう?
いきなりで 驚かせたかも
チョコレートは いかがでしょう
そこは、驚くべき世界でした。すでに人類は滅亡していて、地球は虫たちが支配していたからです。
原発のない世界であるにもかかわらず、人類は放射能汚染により滅亡していたのです。なぜなら、核戦争が起きたからです。当然といえば当然なんですけど、原発を廃止したからといって、核兵器を根絶できるわけではありません。今もアメリカ、ロシア、中国などの大国はもちろん、それよりはるかに小国ながらもパキスタン、イスラエル、北朝鮮にまで、核兵器があります。これらの国が追い詰められれば、核兵器の使用という手段に出るでしょう。使われた側も、応酬として核兵器を使うでしょう。呼応して、敵味方の陣営が、核兵器を次々と使わざるを得なくなります。結果、原発一基の事故どころではない、とんでもない被害が、世界中に及ぶでしょう。核の冬による放射能と、気温の急激な変化により、地球上のほとんどの生命は死滅することでしょう。
そんな中、放射能と温度変化に強い生命だけが生き残りました。その生命体は、やがて地球を支配していくことになる、というわけです。その中のひとつが、知能を持った「未来コオロギ」だったというわけです。
コオロギみたいな虫は、ハエやゴキブリなどと同じく、放射能や温度変化にめっぽう強いんですよね。さらにコオロギは、昔から娯楽として人間に楽しまれてきました。未来にあっては、もっとも人間との友好関係を築いてくれる生物なんじゃないかなと思います。すくなくとも、ハエやゴキブリよりかは。曲における、コオロギのチョイスは、こういう条件に適う虫だったんじゃないかなと。
この、未来コオロギは、過去からの渡航者に対して、友好的に話しかけてきました。「やあやあ、よく来ましたね。お腹が空いていませんか? チョコレートはいかがでしょう? このチョコレートという物質は、過去に存在していたジンルイが食していた食べ物だと、古文書に書いてありましたので、作ってみました。お気に召すといいのですが……」と。
未来コオロギ 知らないだろうから
ここで歌うよ 君に捧げよう
消したいしるし 少しの工夫でも
輝く証に 変えてく
未来コオロギは、過去からの渡航者である私たちに、その後何があったのかを歌にして聴かせてくれている場面です。未来コオロギたちにとっては、気の遠くなるような昔の歌でしょう。私たちが過去の恐竜に対して語りかけてみるようなものですから。私たちが恐竜に対してするような「アナタたちは絶滅した後、長い時間をかけて新しい生命が生まれました」みたいな話を、今度は私たちが、はるか未来にいる未来コオロギから聴かされている場面です。「知らないだろうからね。君たちに捧げますよ」と。
「消したいしるし 少しの工夫でも輝く証に変えてく」の部分ですが、これは、私たちが今抱えている問題に対しての話です。私たちが何のためにタイムマシンに乗って未来に来たかというと、「原発のない未来は、もっと明るいはずだ」ということを確認したかったんですよね。ところが、原発のあるなしに関わらず、核戦争により人類は滅んでしまっていました。そう、未来コオロギが語るわけです。
驚いている現代人に、未来コオロギは、こう語りかけます。
「消したいほどに重大だと思っていた君たちの選択ミスも、僕たちみたいな未来人にとっては、些細なことだよね。地球も現代と同じようにイキイキしているし、未来コオロギたちもイキイキしている。それに、君たちが残してくれた沢山の古文書。チョコレートの作り方とか、君たちとの交流をする上で、すごく役にたったよ。過去の選択は変えようがないけれど、このチョコレートのように、現在の少しの工夫で、未来において輝くものを、自分たちが生きた証を、残していくしかないんじゃないかな」
つながりを 確かめるために
片道メール 送ってるの?
顔上げて 遠くを見てくれよ
生き返った 鳥の群れを
未来コオロギにとっては、私たち現代人の慌てぶりが面白いようです。「おい大変だ、俺たち人類は、未来に滅んでるぞ! 今すぐ各国に核兵器を放棄させるんだ!」だなんて、このパラレルの未来から現代に向けて通信メールを送ることを試みる人類がいたのでしょう。頭のいい未来コオロギにとっては、それが無駄なことだとわかります。人類が滅ぶのが本当だとしても、だからといって核兵器を捨てる国家は皆無なのです。膨大な過去の積み重ねの先に生きている、未来コオロギだからこそ、そういう機敏が知識として備わっているのです。むしろ、人類同士の戦争で人類が滅んでしまうということが、未来に来なければわからないという愚鈍さが、面白かったのかもしれません。「向こうに聞き入れる余地のない、一方通行の片道メールを、このヒトたちはせっせと送っているけれど、それは何故だろう? 受信側にとっては、繋がっていることを確かめるぐらいしか意味のないメールなのに」と、未来コオロギ側は不思議に思っています。
人類が滅んでしまうのか……と嘆く君に対して、未来コオロギは笑います。「顔上げて遠くを見てくれよ。生き返った鳥の群れを」と。鳥は一度滅んでいるので、まったく同じ鳥類ではないかもしれませんが、その後の未来では、鳥の群れが大空を滑空しているようです。人類は核戦争という大きな過ちを犯しましたが、その後の未来では、それすらも目立たない傷跡になっているようです。
未来コオロギ 不思議な絵の具で
丸や四角や 名もない形も
堕落とされた 実は優しい色
やわらかく 全てを染める
今まで解釈してきた内容の、繰り返しになります。未来コオロギが生きている頃の未来では、人類による核戦争の歴史は、たんなる歴史的な出来事として、ほとんど事務的に処理されてしまっている案件でしょう。人類が経験し、選択してきた、助け合いの歴史も、愚かな歴史も、未来コオロギが不思議な絵の具を使って、過去から渡来した人間たちに教えている部分です。人間たちが「堕落だ」と怒る場面でも、未来コオロギは特に感情もなく描いていきます。未来コオロギからすれば、種族の違う人間たちの行動は、それが堕落と解釈されるものであろうが、優しい色を使って描いていきます。どれも未来コオロギにとっては、私たちが恐竜を眺めるのと同じように、どれも愛おしいものだったのでしょう。
時の流れ方も 弱さの意味も違う
でも最後に決めるのは さっきまで泣いていた君
未来コオロギは、言います。
「こんなに未来に生きている僕たちコオロギからすれば、君たちが生きている時代の時間なんて、ほんの一瞬に過ぎないんだよね。時の流れ方も、事件事故の意味も違う。でも、僕たち未来コオロギも、君たちも、過去を変えることができないのは一緒だけど、過去の解釈なり、捉え方なりが、全然違っているよね。変えられない事実を泣いて嘆くのも、僕たちみたいに笑っているのも、自由に決めていいと思うけどさ」
行ったり来たり できるよこれから
忘れないでね 大人に戻っても
未来コオロギ いろいろなメロディー
ここで歌うよ 君に捧げよう
消したいしるし 少しの工夫でも
輝く証に 変えてく
「行ったり来たりできるよこれから」とは、未来の歴史を知る未来コオロギからの言葉でしょう。タイムマシンが開発されて、未来コオロギの時代へと自由に行き来ができるようになると。
でもここで「忘れないでね大人に戻っても」とあります。パラレルな国に行ってからの、この未来コオロギの物語は、すべておとぎ話だったという結末です。未来コオロギは、マサムネさんが創作した、子供たちに聴かせるための、未来のことを考えてもらうための話だったというわけです。
この話で大事なのは、「消したいしるし」を「輝く証に変えてく」ということです。ここは未来コオロギの物語を通じて、何度も語られていたことです。今の状況に絶望している私たちに必要なのは、変えられない過去を嘆くのではなく、過去の意味を良いものに変えれるよう、未来に向かって生きるということなのです。
これを言いたくて、マサムネさんは、この長い未来コオロギの話を創作したのだと思います。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
ブログの最初のほうで述べた通り「小さな生き物」は、東日本大震災の影響を受けて制作されたような印象をもっている方も多いと思います。マサムネさん本人はやんわりと否定しておりますが、実際に、まったくの無関係、というふうには、いかなかったでしょう。
ですが、影響といっても、「多くの被害がでて悲しい」というのみに留まっていない、というのが、この詞を解釈してみた感想です。マサムネさんにしては、というと大変失礼な言い方かもしれませんが、過去には幻想に逃げ込みたいという風な曲を多く制作していたマサムネさんにしては、かなり踏み込んだ、どっしりとした内容の曲になっているのではないかなと思います。もっとも、私の解釈が正しければ、の話ですけれども。
もし仮にそうだとしたら、この、未来に対する強いメッセージ性のある曲を、アルバムの先頭に配置するあたり、一連の出来事に対するマサムネさんの強い姿勢が見て取れるようです。
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