こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「旅の途中」について解釈してみたいと思います。
とはいえ、解釈の余地があんまりないので、ブログタイトルがおかしなことになっています。この曲を語るのに、そんなに難しく考える必要がないんじゃないかなと。ストレートに、詞を読んだまま感じ取ればいい曲なんじゃないかなと。
通常のスピッツの曲は、結構掘り下げないと見えない部分とかあるので、この八百屋さんなどは必死こいてスピッツ歌詞解釈ブログを1曲につき何千字と費やしてきたわけです。
でも、この曲は珍しく、そんなことをする必要はなさそうです。スピッツらしからぬ?めっちゃストレートな詞だと思います。いやぁ、勝手に歌詞解釈をしている側がいうのもなんですけど、何千字も書かなくていいのは、楽でいいですね笑
というわけで、詞を眺めてみましょう。
君はやって来た あの坂道を
かけのぼってやって来た
どうでもいいはずの 小さい思い出を
拾い集めたりしながら
ここでの「君」というのは、昔のマサムネさんのことを指しているのだと思います。それを眺めているのは、今のマサムネさんというわけですね。
これまでのマサムネさんの人生は、まさに、坂道をかけのぼるような人生だったのだと思います。
ハタからみていると、トントン拍子のように思えるかもしれません。本人たちも「いやぁ、ロビンソンはどうして売れたのか、さっぱりわからない…」だなんて謙遜してみせているものですから、それを真に受けて、「訳も分からず曲を作ってたら、たまたま売れたって言ってるらしいぞ。ラッキーな奴らめ」だなんて、知ったかぶりをする口の悪い人たちも出てくるのです。
でも、マサムネさんの人生は、けっして楽なものではありませんでした。私はこれまでスピッツの詞を、1曲1曲、穴が開くほど眺めて、解釈してきました。その私から言わせれば、マサムネさんはずーっと悩んでいるし、もがいています。曲以外のところで述べたことも、本当にそう思っている部分があるのでしょうから、嘘ではないとは思うんですけど、曲の中に込めた思いこそ、心から思っていることだと思うのです。それは悩みだったり、願いだったり、祈りだったりします。それらの強い思いを曲に込めて、発表し続けてきてくれたのです。そのことが「あの坂道を かけのぼってやって来た」に表現されていると思うのです。
また、「どうでもいいはずの 小さい思い出を 拾い集めたりしながら」の部分。これも重要なことですね。
詞を描く際に必要なのが、体験です。それも、ただいろんなことを体験さえすればいいというものでもありません。おのれの感性を磨いて磨いて、その研ぎ澄まされた感性をもって、体験に挑むということが大事なのです。のちの楽曲「歌ウサギ」にて「君の耳たぶに触れた感動だけを歌い続ける」という詞がありますが、これができる人はマサムネさん以外で、どれだけいるでしょうか? たぶん、好きな人がいたとしても、耳たぶに易々と触れるだけで、とくになんの感想も抱けないひとが、ほとんどなのではないのでしょうか。
あっ、すみませんつい興奮しちゃって、文章量が多くなってしまいました。
でも、この詞の部分だけで、このぐらいの情報量が詰め込まれているということもまた、事実なのです。すんごいですね。
ゆううつな迷い子をなでるように
風は吹き抜けてく 旅の途中
「ゆううつな迷い子」もまた、マサムネさんのことだと思います。さっきの項目で述べた通り、マサムネさんはずっとゆううつだし、ずっと彷徨っています。
でも、そんなマサムネさんを、世論は支持してくれました。今では大勢のファンが、彼の音楽をずっと待ち続けています。
時代の風が、優しく吹き抜けていったのを、マサムネさんはその繊細な感性で、感じ取っていたのでしょう。
そして、これからもまた、ゆううつのまま、彷徨ったまま、旅を続けていくのでしょう。
腕からませた 弱いぬくもりで
冬が終わる気がした
「腕からませた」の部分については、別の女性とのことだと思います。女性と腕を絡ませたときに、彼女から伝わって来たぬくもりが、冬の終りを感じさせたのだと思います。そのまんまですね。
でも、さきほどの「歌ウサギ」の例と同じように、こう感じる感性があるかどうかが重要なんだよ、といいたげな部分です。この感性の積み重ねが、マサムネさんを作っているのであり、スピッツを作ってきたのだと思います。
正気な言葉をポケットに入れて
たまにはふり返る 旅の途中
ここは、難しいですね。「ポケットに入れる」には二通りの意味があります。大事にする、ということと、隠す、という意味です。
そして、何をポケットに入れたのかというと、「正気な言葉」だそうです。大事にするという意味で使ったのなら、普通の人がきいてもちゃんと理解できる言葉を使っていることになりますし、隠すという意味なら、訳のわからない言葉を並べるという意味になります。
これがマサムネさんの作った曲のことだとするなら、はたしてどちらなのでしょう。そして、旅の途中なので、これからもそういう方針で作っていく、ということになります。はたして、マサムネさんのメッセージは、詞を通じて、ちゃんとみなさんに伝わっているでしょうか?
こんな感じで、解釈というか、いろいろ思ったことを並べてみた感じになりましたが、いかがでしょうか?
「旅の途中」は、この詞のタイトルだけではなく、のちに発売されるエッセイ本のタイトルにもなっています。それだけ、この詞に対する思い入れがあったからだと思います。大事にしたい詞だと、マサムネさんが思ったのだと思います。
だから解釈しやすいようにしてくれていたのだと思います。
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