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スピッツ「孫悟空」にみる、人間の逞しさ



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「孫悟空」について解釈していこうと思います。

この詞の主人公は、西遊記に登場するサルの妖怪である「孫悟空」がモデルになっていると思います。と紹介しても、あんまりピンとこないと思います。というのも、日本でよく知られている孫悟空は、三蔵法師と出会った後のお話しか語られていないからです。一緒に冒険する下僕のひとりとしてしか見られていないのではないのでしょうか。

でも、孫悟空には、もっともっと長いエピソードがあります

孫悟空は、霊山にある石から生まれました。勇気と力があったので、近くにいる猿を従えて、猿の王となります。その後は不老不死を求めて仙人に弟子入りして、多くの術を学びます。(この時に孫悟空という名前と、筋斗雲を貰いました。)ところが調子に乗って術を見せびらかしたことから仙人の怒りを買って、破門されてしまいます。

帰郷した後、王になり、配下の猿たちを武装させ軍団を作り、近隣を平定しました。その後さらに強力な武器を求めて竜宮城に行き、如意棒を無理やり譲ってもらいます。またその際、冥界より使者があらわれて「アナタはもう寿命です」と言われましたが、「そんなはずはないやろ」と強弁し、今度は地獄までクレームをつけに出かけ、地獄の裁判官を殴り倒し、閻魔帳に書いてあった自分の名前と寿命、さらに配下の部下たちの名前もすべて墨で塗りつぶしました。これにより自分と、それに付き従う猿は不老不死になりました。

不老不死になったことで孫悟空の軍団は、他の妖怪なども取り込んで勢力を拡大させました。これを危険視した天界は討伐軍を派遣しましたが、孫悟空は天界の討伐軍さえも退けてしまいます。

その後天界は手の付けられない孫悟空に対して、懐柔策を試しましたが、結局のところ孫悟空を増長させるだけでした。怒った天界は、今度は本気で孫悟空を叩き潰すため全勢力を総動員します。戦いは苛烈を極め、ついに孫悟空は捕らえられます。が、ここでも大暴れして、手が付けられません。

困った天界は、釈迦如来に助けを求めます。お釈迦様は孫悟空と知恵比べを挑みます。お釈迦様の前から逃げ出せたら、孫悟空の勝ち、というものです。孫悟空は、これまでの力を駆使して全力で逃げ出そうとしましたが、どこまでいってもお釈迦様の手のひらの上でした。孫悟空は力を使い果たし、ついにお釈迦様によって取り押さえられ、三蔵法師との旅が始まるまでの500年もの間、山に封印されてしまうのです。

三蔵法師との旅における孫悟空は、まさに、この封印された状態から始まっているわけなのです。

どうでしょう? 孫悟空の逞しさに、びっくり仰天したんじゃないでしょうか?

マサムネさんもまた、この孫悟空のエピソードに触れた時、「なんて逞しいんだ」と感銘をうけたのではないのでしょうか。マサムネさんは自分の楽曲でよくサルを登場させていますが、その場合、「性欲に従順」とか「頭がよくない」みたいなニュアンスで使ったりしています。というのも私たち視聴者もまた、サルにたいして、そういうイメージを持っているからでしょう。

でも、猿は、人間のご先祖様でもあります。そして猿の中の王たる孫悟空は、なみの人間をも凌駕した知恵と勇気、そして生命力を持っています。生き抜くことにおいて、めちゃくちゃ粘り強いのです。

この、孫悟空の、生に対する貪欲さが、この詞のテーマになっている、と私は解釈しています。マサムネさんは孫悟空の、生命力という部分をテーマにしたくなったんじゃないかなと、想像しました。

というのも、この曲を手掛ける前までのマサムネさんはよく、生の儚さとか、死をテーマにしていました。確かにその時代は、他人のメシを奪ってでも生きる、みたいな醜悪な生が多かったのです。「騙すより、騙されるヤツのほうが悪い」とか「人をみたら泥棒と思え」とか「男はみんな狼だ」とか、そういう風に言われていました。こういう世の中においては、「死」は美しいのです。生が醜ければ醜いほど、「死の綺麗さ」が際立つのです。

でも、みんなが「死の綺麗さ」に気づき、陶酔するような時代になってしまったら、それはそれで不健全なのです。今の世の中は、誰にも迷惑をかけず、目立たず主張せず、他人とは表面上だけのにこやかな付き合いをし、ひっそりと死ぬことが美徳みたいになってきていますが、それもまた、不健全なのです。

「醜く生きること」に対する「美しい死」がロックだとするなら、「美しい死」に対する「生の醜さ」もまた、ロックなのです。マサムネさんは、孫悟空のエピソードに、自分が描きたかったロックのテーマを見出したのではないのでしょうか。

詞を順番に見ていきましょう。




グラスにあふれてる 水を飲みほしたら

新しい十字路を目指す

できるだけ単純な それでいて頑丈な

仕組みでもって 歩いてく

ここは、「目標のため、一つ一つの課題をクリアしていく。そうやって目標にたどり着いたら、また次の目標を目指す」という部分なのかなと。上記において見てもらったとおり、孫悟空は、わがまま放題に生きてきたわけではありません。貪欲ではあるものの、ちゃんと考えて、行動して、課題を克服し、結果を出しています。これがつまり、生きるということです。

困難に直面した時、この生命力が問われるのです。グラスに水がなかった場合、水を求めて誰かを頼るのか、水を自分でろ過して作り出すのか、それともただ嘆くだけなのか。孫悟空は持ち前の生命力で水をグラスたっぷり手に入れて、次の十字路を目ざしたようです。

また、生きていく上では、「できるだけ単純な それでいて頑丈な」仕組みを作ることが大事です。例えば、日々の仕事も仕組みの一つですが、「できるだけ単純」で「それでいて頑丈」になっているでしょうか。

給料のいい仕事でもハードワークで神経が磨り減る、なんて仕事は、この条件を満たしていませんね。同じだけ給料は貰うけれど、仕事の内容の改造を行い、もっと単純で神経がすり減らない、楽になるような仕組みを自分で構築していくことが大事です。少しでもそう思考することが大事なのです。

孫悟空は、不老不死になるためにはどうしたらいいかを思考して、閻魔帳に書いてある自分の名前を消すことに尽力しました。また天界に攻撃されても反撃できるよう、自分の軍団を武装させ、強力な武器を手に入れました。生きるために、いろいろ頑張っていたのです。こういう強引なまでの力強さが、生きるために必要なのです。

仕事が大変だ大変だと嘆いてばかりで、仕事の内容を改善するように動こうとしないのでは、そりゃあいっこうに良くなりません。それを孫悟空のエピソードが教えてくれています。



胸に火を灯そう もがき続けてよう

初めてを探してる

あまりに暗い夜 中途ハンパな毒

手が届きそうな明日

胸に火を灯すことは「情熱」、もがき続けることは「粘り強さ」、はじめてを探すのは「探求心」と言えます。

どれも、強く生きていくうえで、必要になってくる要素です。

「あまりに暗い夜 中途ハンパな毒 手が届きそうな明日」は、私たちが日々置かれている状況といえそうです。あまりに暗い先行き、まわりには毒が散らばっているけれど、即死するような毒でもない。その向こう側に目標としているものが見えるけど、さてどうしたものか…。

こういう場合って、生命力が試されるシチュエーションですよね。目の前に少しの毒があるとすぐ、「毒がある! こんなのおかしい! 絶対に許せない!」と現状の理不尽さ、不公正さを嘆いて、立ち止まってしまう人、いると思います。一方で孫悟空は、持ち前の生命力で毒を気にせず進み、なんとかして明日を手に入れました。手に入れたい明日があったから、毒の痛みを乗り越えられたのです。



ああ 狂いそうな 時をひきずって

新しい十字路を目指す

横にある快感や あつらえた偶然に

寄り道したりしながら

大人になって、活躍の場が増えるということは、それだけ自分をとりまく環境が大きくなっていくということです。学生時代は親や兄弟、学校の先生、クラスメイトぐらいしか交友関係がありませんでしたが、社会人になれば、取引先、顧客、上司に部下と関係する人間が増えていきます。そしてそれは、自分が活躍すればするほど、無尽蔵に増えていくのです。

それはまるで、孫悟空が大きくなっていった時のようです。味方も増えましたが、当然敵も増えました。敵の妨害により、自分の思い通りにならないことが多くなっていくのが、社会人です。

こういう、目標や計画が「狂いそうな」状況でも、そのまま「引きずって」目的地まで強引に進んでいく力は、人間の生命力と言えるでしょう。

また、その過程において「横にある快感や あつらえた偶然」に寄り道するのもまた、人間力が試されることです。取引先に誘われて、美人のオネエチャンがいるお店に行くことになったら、アナタならどうしますか? そこで営業力を発揮して気に入られて、自分の重要性を高める方向にもっていくのか、それとも「私は、仕事の時間以外は、仕事上のお付き合いをしないので。だいたい恋人でもない女性と話をしても、楽しくないので」と正論を言って煙たがられるのか。中国では、「その人を知りたかったら酒を飲ませろ」と言われているように、快楽が伴う時にこそ、人間力が試されるのかもしれません。もちろん、目の前の快楽に溺れるようでは、信頼を失います。酒の席や接待の席は、いわば本当の面接なのです。こういう時、どう振舞うか。どう楽しむか。それが試される場なのです。

ちなみに孫悟空は、酒の席で、伝説の武具である如意棒をゲットしています。



胸に火を灯そう 月を見上げろよ

言葉を並べていく

分かるはずもなく 終わることもなく

ただ生まれる言葉を

胸に火を灯そうは「情熱」で、月を見上げることは「上を目指す」ことを指していると思います。

問題は「言葉を並べていく 分かるはずもなく 終わることもなく ただ生まれる言葉を」の部分です。これはめっちゃすごい文ですね。

今のSNSとかを眺めてみると、何かの意見に対して、別の意見がつくことがよくあります。それも罵詈雑言に近いような。その意見が正しいか正しくないかを討論して、よりよい方法を探すとかならまだしも、意見に怒りの感情を乗せることで、ただの言い合いになってしまう例が散見されます。こういう環境だと、萎縮してしまって、言いたいことが言えなくなってしまいますよね。いつ自分が攻撃の対象になるのかわからないので、自分の意見を言わない。それがベターになってしまうのです。

でも、「自分の意見を言わない」が、自分の生き方そのものにまでなってしまうと、これまたよくないんですよね。争いを避けたい、そのためなら自分が我慢すればいい、という生き方は、生命力が高いとは言えないでしょう。

なので、たとえ正解が何かはわからなくても、自分はこう思う、という意思を表明して、ひたすら自分の言葉を並べていくことが大事なのです。好き勝手言うのとは違う、考えて考えて、言葉を並べる。これが人間としての力が試される部分だと思います。



すべての魔法が消えていく

脳無しの孫悟空さ

今こそ動き始める

釈迦如来に捕まって封印された後は、孫悟空は力を制限されてしまいました。天界の軍勢を退ける最強軍団のトップではなく、不老不死でもない、ただのちょっと強いサルでしかなくなりました。脳無しの孫悟空として、三蔵法師の前に現れたのです。

だからといって、孫悟空の生命力まで奪われたかというと、決してそんなことはありませんでした。三蔵法師には理不尽なことを言われるし、また無実の罪を着せられて破門されたりと、ひどい目にあいます。が、持ち前の生命力で乗り越えて、どうにかこうにか天竺までたどり着くことができたのです。日本だと三蔵法師と出会った後からが有名ですが、まさに孫悟空の物語は、すべてを奪われてからが始まりなのです。

私たちの場合は、どうでしょう? 積み上げてきたものが崩れ去った後、再び立ち上がることができるでしょうか? 受験で失敗した、仕事で失敗した、恋愛に失敗した…いやいやもっと深刻な、会社が倒産したとか、愛する人と死別したとか、孫悟空の当時の状況って、そういう悲惨な状況だったのだと思います。

それでも孫悟空は、持ち前の生命力で再び立ち上がり、困難を乗り越えています。今こそ、動き始めるのです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

私は孫悟空が本当に好きで、ずーっと聴いていました。が、なぜ好きなのかは、よくわかっていませんでした。歌詞の意味もよくわからなかったのですが、「胸に火を灯そう」とか「すべての魔法が消えていく」とか、単語単語はとても気に入ってて、曲を聴くたびにズンズン元気になっていくような気がしていました。歌詞を解釈した今となっては、実は孫悟空の物語に生命力を貰っていたのかもしれません。



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