こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、「大好物」について解説していきたいと思います。
スピッツのタイトルというのは、ほとんどダイレクトにそのものを表したものと、イメージとして使用されたものがあります。「恋は夕暮れ」「猫になりたい」「愛のことば」などは前者で、タイトルの後に「とは何か?」を付ければ、そのまま歌詞が答えになる構造になっています。「恋は夕暮れとは何か」と問いたとき、その答えは、歌詞の中に描いてありますよね。
逆に、「ロビンソン」「チェリー」「スターゲイザー」などは後者で、歌詞を眺めた時に、なんとなく頭の中に見えてきたものをタイトルにつけた、という感じです。
今回の「大好物」は前者です。
言い換えれば、「大好物とは何か」を表現した曲だと言えます。
大好物、といえば一般的には食べ物のことを指しますが、それだけではありません。事例は少ないですが、人やモノ、空間や時間、関係など、ありとあらゆる事象に当てはめて使うこともあります。字だけみると、「大好きな物」というわけですから、そういう使い方をしてもいいわけですね。
スピッツの「大好物」もまた、食べ物の話に限定した話かといえば、そういうわけでもなさそうです。もっと広い意味で、「君の大好きな物」という意味で捉えればいいと思います。
あとで触れますが、もしかすると「君の大好きなもの」というのは、実は「僕」だということかもしれません。
普通の使い方だと、大好物は、人に対しての使用例が少ないです。ので、わざと大好物、という言い方をすることで、ちょっとわかりにくくし、かつ、ストレートに、「君が好きになってくれるなら、僕も自分のことが好きになれる」ということを言いたかったのかもしれません。
このあたりを、歌詞をひとつひとつ眺めながら、詳しくみてくことにしましょう。
つまようじでつつくだけで 壊れちゃいそうな部屋から
連れ出してくれたのは 冬の終わり
ワケもなく頑固すぎた ダルマにくすぐり入れて
笑顔の甘い味を はじめて知った
全体の歌詞を通じて読み取れることは、僕はかつて「影が濃い場所にいた」ということです。差別とか偏見とか、いじめとかの、被害者の立場にいたということです。
この「大好物」は、「きのう何食べた?」という、男性同士の恋愛を描いた作品の主題歌になっています。いや、作品自体はタイトルどおり、お料理の調理シーンや食べるシーンがメインであり、その味付けとして男性同士の恋愛が絡んでくるという構図です。
男性同士の恋愛ですから、葛藤する場面もあります。その葛藤の裏側には、濃い影が潜んでいることは容易に想像ができます。
マサムネさんは、たぶん、この主人公たちの人生観に沿った内容で、詞を作ったのではないかなと思います。
「つまようじでつつくだけで壊れる」とは、脆い部屋ですね。でもこの場合は、ぼろい部屋に住んでいるという意味ではなく、自分の心境が不安定で、なんらかの刺激があったら、壊れてしまいそうだ、という意味なのだと思います。
マイノリティの方に対して、傷つけるような言葉を吐いたら、それはもう、その方との関係は一生修復不可能です。それもそうです。彼らは自分の尊厳を傷つけられたわけですから。立ち上がって、中傷者を完膚なきまでに叩き潰したいと思うでしょう。でも、それもできないので、ずっと心の底に、影が蓄積していくのです。蓄積していった結果、自分の部屋の中は影でいっぱいになってしまい、今にも壊れそうになっている、という話なのです。
でも、そんな影の中から、誰かが連れ出してくれました。このことで、「僕」の寒い冬の時代が終わるのです。
次の歌詞も似たような意味です。長年の鬱屈により、ぼくの顔はダルマさんのようになってしまっていました。ダルマさんは、口をへの字に曲げて、気難しい顔をしていますよね。あんな表情で凝り固まってしまっているのです。でも、君にくすぐられることで、笑った。
ここもまた、すごいところです。心を許していない人にいきなりくすぐられたら、どうでしょう? 普通は怒りますよね? 難しい顔をしているぐらい、神経がささくれだった時なら、なおさらです。
くすぐられて笑ったのは、それだけ僕の気持ちが、君に対して、氷解しているからなんです。
「笑顔の甘い味をはじめて知った」とも言っています。普通の人なら、笑顔は甘い味がするということは、なんとなく知っていると思います。嬉しいことがあると、絵顔になる。笑顔になると、嬉しい。これは普通のことです。
でも、「僕」は君に会うまで、そういう人生があることを知らずに生きてきたようです。暗い影の中で、恨みや憎しみを募らせていたわけです。
でも、君と触れ合うことで、笑顔が甘いことを、はじめて知った。
そういうふうに、解読していくことができます。
君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き
期待外れなのに いとおしく
忘れられた絵の上で 新しいキャラたちと踊ろう
続いてく 色を変えながら
「明日には好き、って、今すぐ好きになるんじゃないのかよ、なんでそんなに躊躇してるの? もしかして好き具合が足りないんじゃない?」と、好きな人の好物を好きになるまでに時間がかかることについて、気になった方はいらっしゃいますか?
普通に読んだだけでは、そういうふうに思うのも、当然です。
でも、この詞は、傷ついている人の詞なのだ、という前提があると、捉え方も違ったものになってきます。
まず、君の大好きな物というのは、食べ物のことではありません。「僕」のことです。
食べ物メインの作品のテーマソングに割り当てられて、「大好物」というタイトルまでつけたものですから、てっきり食べ物に関する曲だと思っていましたが、私の解釈する限りでは、そうではありませんでした。最初から最後まで、ずっと「僕」と「君」との関係を描いています。
そして、「僕」は、ずっと素直になれない人でした。
心に影を抱えている人というのは、幸せが、たとえ自分に向けられたものであろうとも、妬ましく感じるものなのです。特に、近くにいる人が幸せを感じているのを見るのは、耐えがたい苦痛なのです。反射的に、恨んだり、妬んだりしてしまいます。
「私はこんなに惨めな思いをしているのに、コイツはこんなに楽しそうにしやがって」と反射的に思うのが普通です。
なので、幸せをもらってから、本当に幸せだと感じるまで、かなりの時間がかかります。幸せは頂いたからといって、すぐにはお腹が満たされないものなのです。幸せの飢餓状態を解消するには、消化に長い時間がかかるのです。
大好きな君に「幸せになって」と言われたとしても、素直に幸せになれないのが、この場合普通です。
それがたとえ、「私が大好きになったアナタなんだから、もっと自分を好きになってよ」という、最上級に幸せなことを言われていたのだとしても。
でも僕は「明日」にはきっと好きと言える、という心持になっています。
これは早いでしょうか、遅いでしょうか。私はとても早いと思っています。
積年の屈折が、たった24時間で溶けているわけですから。
人間の心は樹木のようで、若いうちに曲げられたなら、そのまま曲がって成長してしまいます。一度曲がった樹木を真っすぐにしようとしても、治らないものです。「三つ子の魂百まで」という諺があるくらいですから。
でも「明日」には素直になって、君が好きだと思う、僕自身のことを好きになる、というのですから、相当なものです。
そう考えると、幸せを幸せと感じるスピードが、とても早いと思いませんか?
「忘れられた絵の上で~続いてく色を変えながら」という部分も、相当練りこんだものが見えます。差別や偏見を受けた過去というのは、消したくても消えないものです。ましてや、その差別や偏見を受けて傷ついた心は、誰かに何かを言われたところで、治るわけではありません。
でも、過去は消せなくても、これからの未来と、過去の意味は、変えることはできます。
たとえ暗い絵の上でも、そこで明るく踊ることができたら、その暗さは、明るさを引き立てることにはなりませんか?
大好きな君と、そして、君が大好きだと言ってくれた僕とでなら、変えていくことができるでしょう。
吸って吐いてやっとみえるでしょ 生からこんがりとグラデーション
日によって違う味にも 未来があった
吸って吐くのは、呼吸です。呼吸とは、生きていることです。
恨んだり妬んだりしていた時代は、生きていたとは言えないです。「僕」は、君と生活するようになってはじめて、呼吸しはじめたわけです。
自分が食べるものに関しても、意味がでてきました。生きるためには、食べなければいけないからです。君の手を通じて調理されたものなら、なおさらです。
今までの「僕」が食べていたものは、タンパク質、糖質、脂質である以上のものではありませんでした。口に何かを入れるのは、空腹を満たすためでした。
でも、これからは違います。君がいる世界の食事は、どんなものにでもグラデーションがあり、「僕」の瞳には鮮やかに写っていたはずです。今まで、何を食べても同じだと思っていた食事の、ひとつひとつが、違う味だということに気が付いたんです。
君との未来があると信じれることで、「僕」の人生が華やかになっていったのです。
君がくれた言葉は 今じゃ魔法の力を持ち
低く飛ぶ心を 軽くする
うつろなようでほらまだ 幸せのタネは芽生えてる
もうしばらく 手を離さないで
「君がくれた言葉」というのは「君が大好きだから、君も自分のことを好きになって」という言葉だと思います。
愛情を受けられなかった人にとって、誰かに、自分のことを好きになってもらえるのは、魔法のように、生きる力が湧いてくるものだと思います。
そしてさらに、幸せをもらうだけでなく、自分にも、幸せのタネを芽生えさせることができる。今まで誰からも幸せを与えられず、与えもしなかった自分にとって、幸せを与え与えられる関係になれたのは、すごいことです。
時で凍えた鬼の耳も 温かくなり
呪いの歌は小鳥達に彩られてく やわらかく
鬼の耳をもっていたのは、凍える時の向こう側にいた、かつての「僕」です。
どんな些細な言葉でも、何気ない一言でも、鬼の耳を通せば、凶器となって僕の胸に飛んできて、心を傷つけていました。「僕」は、僕自身が育てた鬼の耳に、さんざん苦しめられていたわけです。
温かくなったことで、消え去ったわけではありませんが、少なくとも傷つくことは減ったと思います。「僕」を大好きだと言ってくれる君がそばにいてくれるから。
「呪いの歌」とは、恐ろしい表現ですね。中傷者に、ひどいことを言われたのでしょう。いや、それだけでなく、その中傷が「真実だ」と、自分自身が認めてしまったことが、呪いになっているのではないのでしょうか。「お前のことなんて、誰も好きにならない」と言われて、自分も「そうかもしれない…」と思い込んでしまった。これが、呪いの歌の正体でしょう。
でも、これもいきなり消そうとはしません。消えないことは知っているからです。でも、やわらかくしようとしてくれています。君が僕を好きになってくれたことは、その他世界中の誰からも好かれるという保証にはならないけれど、たった一人に大好きになってもらえることで、そんな保証なんてなくていい、という気分にさせてくれる。そんなふうに解釈できます。
君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き
そんなこと言う自分に 笑えてくる
取り戻したリズムで 新しいキャラたちと踊ろう
続いてく 色を変えながら
自信のない僕を励ますつもりで、君が、
「私は君が大好きだから、君も自分のことを好きになって」
といってきたとして、
「君の大好きな物なら 僕も多分明日には好き」
と返したとしたら、どうでしょう。笑えてくるでしょう。早く自分を好きにならなきゃという焦りと、自分のことを好きになってくれた君への感謝と照れくささで、笑うしかないですよね。
それから、僕は自分自身を無事取り戻すことができたのでしょうか? 少なくとも、リズムは取り戻したようです。
そこから君と僕との未来が、これからも続いていくようです。
こんな感じで解釈してみましたが、いかがでしょうか?
全体を通して解釈してみた感想ですが、とてもスピッツらしいな、ということです。どんなテーマでも、スピッツらしい優しさを失わないところが、すごいなと。
このブログのタイトルの話に戻って、どうしたら、重くつらい過去を乗り越えられるか、という話ですが、この「大好物」の解釈を通じて言えることといえば、「誰か自分が大好きなひとに、自分のことを大好きになってもらって、応援してもらう」です。
大好きな人に「大好きだよ。だからもっと自分を大事にして。好きになって」と応援されたら、もう頑張るしかないでしょう。がんばって、自分を好きになるしかないでしょう。つらい過去は消せないですけれども、大好きな人が応援してくれるだけで、未来へ進むことができそうです。
えっ、「大好きな人に大好きになってもらうほうが難しい」ですって?
そうなんですよね……。
でも、それがたとえ恋人でなくても、友人、家族、先生など、その関係で大好きな人っていうのは、どこかにいるのではないのでしょうか? まずは焦らないで、その人たちを、よき友人として、よき家族として、よき生徒として、応援することから始めるとどうでしょう? 誰かに好きになってもらうなら、まずは自分が、誰かを好きになって、応援するところからはじめてみてはどうでしょうか。
やがては、人生のどこかで、「大好物」みたいなシチュエーションがくるかもしれません。
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