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スピッツ「名前をつけてやる」は、才能が爆発していたマサムネさん説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「名前をつけてやる」について解釈していこうと思います。

みなさんこの曲、エロい曲だと認識している方がけっこう多いように思います。私はそれまで、この曲の意味とか深く考えたことがなかったんですけど、私の友人が「子供に聴かせる曲じゃないなぁ…」と言っているのを聞いて「えっ、そうなの…?」と不安になり、それからグーグルで調べてみました。そしたら出るわ出るわ、「名前をつけてやるは、エロい曲です」という解釈ばかり。歌詞中に出てくる「むき出しのでっぱり」は、男性の性器のことで、一度勃ったら、自分の意思とは関係なく勃ちつづけるものですから、ひっこめることができなくて持て余して困っている、という意味として捉えていました。

なるほどなるほど。

これを見て、思い出したことがあります。私が高校生の時、夜の眠りが浅くて十分に眠れず、午前中がとんでもなく眠い時期がありました。勉強に支障がでるので、面談の際に学校の先生に相談しました。「最近、夜、興奮して寝られないのです」と。そうしたら横で聞いていた副担任の女性教師が眉をひそめて嫌な顔をしました。すぐさま担任の男性教師が「そういうことは自分の問題だから、自分で考えて自分で解決しなさい」と、話を打ち切りにしました。私は、ふーんそんなものか、とその時は思いましたが、ずっと後で思い返して「うわーっ」となりました。この二人の教師は、私の言い分を思い違いしていたんじゃないかなと。私は夜な夜なド変態になっており、それを公然と先生にまで「私はド変態なんですけど、どうしたらいいですか?」なんて申告しちゃう、ヤベー奴だと思われたんじゃないかなと。

この私の例のようなことが、「名前をつけてやる」でも発生していたとしたら、マサムネさんがかわいそうだなと思ったのが、このブログを書こうと思ったきっかけです。

本当はそういう意味ではないのに、エロい意味として捉えられていたとしたら、私みたいに夜中に「うわーっ!」ってなっているかもしれないではないですか。眠れぬ夜を過ごしているかもしれないじゃないですか。

ということで、このブログでは、「名前をつけてやる」を、エロではない解釈をしていきます。期待されていた方はゴメンナサイ。

でも、こじつけではなく、本当に私はこの詞を、エロい詞ではない、と思っています。「子供に聴かせられない……」と悩んでいるスピッツファンの方は、どうぞ安心して、子供にたっぷり聴かせてあげてくださいませ。

順番に見ていきましょう。




名もない小さな街の 名もないぬかるんだ通りで

似た者同士が出会い くだらない駄ジャレを吐き笑った

ぼやけた雲の切れ間に なぜなのか安らぎ覚えて

まぬけなあくびの次に 目が覚めたら寒かった

この部分ですが、無名のアーティストたちの集まりを表しているのだと思います。ただ音楽が好きで集まっている人たちが、「この曲はいいね」「この曲は難しいね」と、音楽談義を繰り広げている場面なのかなと。それは煌びやかなテレビの世界などではなく、「名もない小さな街の 名もないぬかるんだ通り」です。そこに集まる人の中にいる、若き日のマサムネさん。彼も無名の時代には、有象無象に交じって、ぬかるみの中を歩いていたのです。

この場面に出てくる「くだらない駄ジャレ」ですが、ジブリ映画の「耳をすませば」に出てくるシーンを思い出します。主人公の月島雫が遊び半分で、カントリーロードの替え歌「コンクリートロード」を披露し、ゲラゲラ笑うシーンがあります。天才マサムネさんもまた、有象無象の時代には、似たようなくだらない替え歌を披露して、仲間をゲラゲラ笑わせていたんじゃないかなと。

一方で、この時のマサムネさんは、まさに「耳をすませば」の月島雫と同じく、焦りの中にいます。少しでも早く自分のアーティスト性を開花させて、みんなに認められなければ、という焦りです。夢を追いかけるには期限があります。その期限までに成功をしたいのです。それができなければ、普通のサラリーマンとして、自分の才能をゴミ箱に全部突っ込んで、地味な会社勤めをすることになるでしょう。まさに人生の岐路に立っていると言えるでしょう。

でも、この時のマサムネさんは、ぼーっとしています。「まあ、なんとかなるっしょ」と楽観的です。なんか雲の切れ間から、光が指しこんできているような感覚があったのです。なので、「安らぎ覚えて」います。でも、そうやって「間抜けなあくび」をしているけれども、いっこうに状況がよくならず、曲も売れず、どんどん進路変更せざるをえなくなる期限が迫ってきている……まさに、「目が覚めたら寒かった」という状況に追い込まれてしまっている、ということなのです。



名前をつけてやる 残りの夜が来て

むき出しのでっぱり ごまかせない夜が来て

名前をつけてやる 本気で考えちゃった

誰よりも立派で 誰よりもバカみたいな

ここで「むき出しのでっぱり」とは何かという話ですが、これはマサムネさんの中に眠る才能が、めちゃくちゃ開花している状態を表しているんじゃないかなと。

他人からみても「マサムネさんは才能あるなぁ…」と思わせる何かがあるし、マサムネさん自身から見ても、「俺って才能あるなぁ…」と思っちゃうぐらいの何かが備わっているのです。自分の頭の上に生えたツノのように、才能がむき出しのでっぱりにまでなっていて、それを自他ともに認めるような状態になっているのです。

ごまかせない夜、とは、マサムネさんが親とか先生に呼び出されて「お前は、進路どうするんだ」と問われた夜なんだと思います。マサムネさんは「アーティストになります。音楽でメシを食っていきたいのです」と、宣言していたと思います。自分の才能が、もう自分でもごまかしきれないぐらい、巨大なものだと気が付いたのだと思います。

夢を追いかける人は、「こんな風になれたらいいなぁ…」みたいな、フワッとした思いで創作活動をしている人もいると思いますが、たいてい自分の才能の無さに気が付いて、夢を諦めていくのだと思うのです。こうなったらいいなぁ、という願望だけでは、夢をかなえるのは難しいということです。才能というのは、ある日突然、何者かに宿るものです。マサムネさんはある日、自分の頭の上に生えている、才能という名前のツノを発見したのです。その才能は、マサムネさんを凡人として生きることを許してくれませんでした。マサムネさんは才能に導かれるように、音楽に手を出し、デビューし、ステージに降り立ってくれたのです。

ウィキの「名前をつけてやる」の項目によれば、「その辺の猫や草木に名前をつけてやると強がっている曲」なのだそうです。これは、あふれる才能をまさに表現したものですね。マサムネさんの瞳で、猫や草木を眺めた時、それが自然と、曲となり詞となって、マサムネさんの頭の中に次々と入ってきては、マサムネさんの口から出ていくのです。そうやって出来上がった曲は「誰よりも立派」つまり、「僕が考えた曲や詞は、どんなアーティストよりも優れている」ということですし、またある曲は「誰よりもバカみたいな」つまり、「どんなアーティストでも思いつかないような、奇想天外なもの」ということを言いたいのだと思うのです。

この、マサムネさんの才能が爆発している様子が「名前をつけてやる」ということなのだと思うのです。



マンモス広場で8時 わざとらしく声をひそめて

ふくらんだシャツのボタンを ひきちぎるスキなど探しながら

回転木馬回らず 駅前のくす玉も割れず

無言の合図の上で 最後の日が今日だった

こんな才能が爆発している状態のマサムネさんでも、今はまだ無名の、ただの人なのです。

いつもの、うだつのあがらない集まりの輪の中に入っては、くだらない駄ジャレを言ってゲラゲラ笑っている、という日々の繰り返しを送ってきます。

この中でも、目立とう、としちゃっているのが、「ふくらんだシャツのボタンを ひきちぎるスキなど探しながら」という部分です。マサムネさんの胸の中には、音楽に対する志でいっぱいになっていますが、これを仲間内にぶちまけるスキを狙っている、というのが、この部分だと思います。マサムネさんは優しい性格をしているので、誰でも彼でも音楽議論を吹っかけて、自分が一番音楽に詳しい、とマウントを取るなんてことはしません。でも一方で、自分の才能を認めてもらいたいので、才能を見せつける機会がないかと、つねに探っています

あっ、そうそう。「ふくらんだシャツのボタンを ひきちぎるスキなど探しながら」は、意中の女性のシャツのボタンを引きちぎるスキを狙っている、エロ目線だと解釈している人もおりました。なるほど、胸が大きいから、シャツが膨らんでいるというわけですね。それを引きちぎるとは、エロさ全開です。これはエロい曲だと勘違いされても仕方がありません。ここまで解釈しておいてなんですけど、性的な表現になるように、あえて言葉を選んだという可能性もあります。才能とは、エロと結びついている部分もありますから、それを間接的にでも表現したかった、という意図があってもおかしくはないと思います。「むき出しのでっぱり」の部分もそうですけれども、複数の効果を狙っていくのもまた、マサムネさんの才能の爆発具合がデカいということでしょう。

んで、「回転木馬~」の部分ですが、1番と同じような状況を表しています。「目が覚めたら寒かった」という状況です。周囲に自分の才能をチマチマ見せつけようと意気込んでいるマサムネさんですが、相変わらず、自分の運命が良い方向に転がっていくような感覚はないようです。「回転木馬回らず」と、「駅前のくす玉も割れず」が、それを表現しています。周囲が自分の才能に対して「無言」でいることが、合図になっています。「お前には才能がない」という、残酷な合図です。

そして迎えた「最後の日」つまり、親とか教師による「進路どうすんの?」という日を迎えてしまいました。周囲に、なんの才能も認められることなく、この日が来てしまった、というわけです。

この後、怒涛の「名前を付けてやる」のサビが来ますが、これは、切羽詰まったマサムネさんの叫び声だと捉えることができます。「うおーっ、俺には才能があるんだ、猫でも、木々でも、いろんなもので曲や詞が作れるんだ、才能があるんだーっ!」と言いたいのだと思います。一方で、周囲の「無言」の空気。これはちょっと怖くなりますね。空回り具合がすごいです。空回りしていることを、こんなに表現できるなんて、やはり天才でしかありません。好きや嫌いといった感情は、いとも簡単に曲で表現できますけれども、空回りの薄寒さを表現できるのは、天才にしかできないことだと思います。




といった感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

この解釈なら、子供に聴かせても恥ずかしくないでしょう。と、ここまで書いていて思ったんですけど、それを説明するのに、エロい部分もあるよ、ということを把握していないと、伝わらない部分もあるかもしれません。エロと芸術というのは、切っても切れない関係にありますし、この曲でエロを回避できても、スピッツの別の曲でエロにぶち当たる可能性だって十分にあります。避けて通りたい気持ちはわかりますが、なかなか避けて通るのは難しいかもしれませんね。

でも、この「名前をつけてやる」だけは、マサムネさんの才能のことを表しているのだと、私は思っています。しかも、才能を持っているにもかかわらず、誰にも認めてもらえないという、苦しい胸の内を語っている、めちゃくちゃよくできた曲だと思うのです。単なるエロい曲だとして敬遠するには、あまりにも勿体ないと思うのです。

ぜひ、この解釈が広まることで、「名前をつけてやる」のすごさ、初期スピッツのすごさが、みなさんに伝わるといいなぁ、と思っています。




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