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スピッツ「会いに行くよ」は、自殺説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「会いに行くよ」について解釈していこうと思います。

この曲は、私的にはめっちゃ青春の歌だと思っていました。恋している相手のもとに、会いに行くというのが、この詞で言いたいことだと思っていました。いや、本当に、そんな曲なのかもしれません。これが恋の歌だと思っている人も、すごく多いと思います。

でも、詞が不穏なのです。不穏さが、隠れているのです。

この、不穏さに正面から挑んでみたら、すごい曲になりました。自殺、というと嫌悪感を示す方もいるかもしれませんが、この詞を自殺という観点で眺めた時の、死の綺麗さは、この世のどんな生よりも美しいとも思えてきます。そのぐらい、美しいのです。

ぜひ、この私と一緒に、この詞を眺めて、マサムネさんが表現しようとした死の綺麗さを、発見して欲しいのです。

マサムネさんが表現する、美しい死の世界を、体験してほしいのです。




届くはずない想いばかりが でかくなって陽をさえぎる

君が住む街 窓から窓へ 見えない鳩 解き放つ

「届くはずない想い」と、矛盾した言葉から始まっているこの詞。どう矛盾しているかというと、君に「会いに行くよ」というのがテーマなのに、その想いが届くはずないと思っているところです。しかも、この弱気な気持ちが陽をさえぎるぐらいでっかくなっている、とのことです。これでは、君に会いに行くどころではないではありませんか。

と、恋しい君に会いに行くルンルンな曲だと考えていると、こうして矛盾が現れてしまうのです。

でも、この言葉が矛盾しない条件が一つだけあります。そうです。「君」がすでにこの世の人ではなくなっている場合です。

これでは、こちら側がどれだけ会いたいと念じていても、天国にいる君には届かないですよね。

「君が住む街」とは、天国にある街のことです。ここには当然、通信をするための道具がありません。電話もパソコンもスマホもありません。でも建物に住んでいるのなら、窓があるはずです。鳩は昔、窓から窓へと飛んでいき、メッセージを伝える役割を担っていました。伝書鳩と言います。天国に住んでいる君と通信を図ろうと思ったら、「見えない鳩」くらいしか方法がないのです。

もし、この詞が「後追い自殺」のことを表しているとするなら、「届くはずない想いばかりが でかくなって陽をさえぎる」という一文は、不吉なものとなります。この世にいてもどうにもならない、という想いが、でかくなって、陽をさえぎらんばかりだ、というふうに解釈できてしまうからです。ここの「陽」は、陽気のこととも解釈できます。彼女への強すぎる想いが、主人公の、前向きに生きていこうとする力を奪っていってしまったことを表している、というふうにとれます。



捨てそうになってた ボロボロのシャツを着たら

外に出てみよう

なぜ、ボロボロのシャツを着て、外に出ようと思ったのでしょう? なぜここは、ボロボロのシャツという表現でなければいけなかったのでしょう?

たぶん、このシャツは、生前の彼女との思い出のシャツだったのだと思います。

ここの表現には、かなりの時間経過を感じます。彼女が亡くなってすぐに、彼は後追い自殺を決意したわけではないと思うのです。彼女が亡くなって、落ち込んで落ち込んで、そして落ち着いたんだと思います。気持ちの整理がついて、一旦は前向きに自分の人生を歩みだそうとしていたのだと思います。彼女を忘れるために、仕事に打ち込んだり、別の人と付き合ったりして。でも、どうしても亡くなった彼女のことが忘れられず、ここまで時間が経過してしまった。

風化してボロボロになってしまった当時のシャツ。一度は、前向きに生きていくために、捨てようとさえ思っていたシャツ。でも捨てきれなかった。

この時間経過に、衝動的ではない、からこそ、執念ともいえるほどに凝り固まった強い自殺の決意が現れているような気がするのです。一度は捨てよう、前向きに生きよう、と思えた瞬間もあったはずなのに、それより、彼女に会いたいという想いのほうが強かった。彼女への想いのほうが、生きようとする意志より強くなってしまった

捨てそうになってたボロボロのシャツを着るということは、死ぬことを決意したということなのです。



会いに行くよ 全てを捨てるバカになれる 心のまま

広げた手は 当たり前じゃない風をつかみ どんな夢も叶えてみせる

「全てを捨てる」とは、文字通り、全てを捨てるのです。「心のまま」つまりそれは、彼が強く望んだことなのです。

高いところから、彼は身を投げました。彼が広げた手は、「当たり前じゃない風」を掴んでいます。落下による風圧だからです。地上に生きて地上で死ぬ普通の人には、感じることのできない風です。その風を、身投げした彼は手のひらに掴んでいるのです。

彼は、幸せに思っています。もうすぐ彼女に会うことができるのですから。彼女と死に別れてから、彼女のことを一日たりとも忘れたことはありません。彼女と天国で再会したら、こんなことをしてあげたい、こんな言葉をかけてあげたい。……そんな夢にまで見たことが、もうすぐ叶うのです。叶えてみせるのです。



孤独な雲に語りかけたり 弱気なネコ追いかけたり

何気ないこと頭の中で やけに詳しく浮かべた

この部分は、彼女が亡くなってから今まで、彼が思い描いていた「彼女がもし生きていたら、こうだったに違いない」ということです。

彼は、彼女の幻と一緒に生きていました。いや正確には、生きながらにして、彼もまた死んでいたのです。心が死んでいました。この世のどんな快楽も、彼を楽しませることができず、ただ唯一、彼女の幻を想像して、幻と一緒に過ごすことだけが、彼の楽しみであり、平穏でした。



明日が来るよ 同じような明日が来て…

僕はもう決めた

「明日が来るよ 同じような明日が来て…」の、…、の部分が、すごく不穏です。他人には、特に自分を生んだ親には、言えないことを考えています。

「僕はもう決めた」は、彼女に会いに行くことを決めたということです。



会いに行くよ 赤い花咲く真夏の道を 振り向かず

そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る 感じてみたい君のとなりで

真夏に咲く赤い花といえば、彼岸花を想像します。彼岸花の花言葉は「情熱」「独立」「再会」「あきらめ」「悲しい思い出」「旅情」だそうです。恋人の後追い自殺を連想してしまいます。

また、死者の国のことを彼岸とも呼びます。もし、彼が歩いている真夏の道が、死者の国へと続く道なのだとしたら、そこには真っ赤な彼岸花が咲いていることでしょう。その道を、彼は振り返らずに進んでいます。

彼は、まっすぐ彼女のもとに行ったはずです。彼女が住んでいる丘に登って、彼女の隣で、彼女と同じ景色を眺めるのが、彼にとっては死ぬほど恋焦がれた夢なのですから……。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

スピッツの詞の中には、死を連想させるワードを当てはめたものもあります。猫になりたい、の「霊園」とかは、まさにそうですね。

でも、この詞には一見して、死を連想させるものは出てきません。なので昔の私のように、恋人にルンルンで会いに行く曲だ、と解釈していたとしても、十分に意味の通じるものだと思います。その一方で、「後追い自殺」という観点をもってこの詞を眺めてみると、こんなふうにかみ砕けてしまうのは、すごいとしかいいようがないです。

どんなふうに解釈してもいいのがスピッツの詞の楽しいところですが、私としては、この詞に「後追い自殺」を当てはめたいです。そう解釈したときの、死の美しさは、いまだかつてないほどのすさまじさです。後追い自殺を、こんなに苦しく、せつなく表現できるのは、天才としかいいようがないですね。




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