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スピッツ「ルキンフォー」にみる、マサムネさんの心の弱さ



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「ルキンフォー」の詞をじっくり見ることで、マサムネさんが何を考えているのかを覗いてみたいなと思います。

この曲は、応援ソングだと認識されている方は多いようです。ウィキにもそう紹介されておりました。私もまた、応援ソングであることには疑いをもっておりません。

ただ、どの立場からの応援ソングなのか、という点を、もう少し深堀できたら、もっと詞の世界、もといマサムネさんの世界を知ることができるんじゃないかと思って、このブログを書いています。

というのも、結論から申しますと、このルキンフォーを手掛けたマサムネさんは、自分のことを、ダメなミュージシャンだと認識しているのです。何をやってもダメだし、道は開けているわけじゃない、そんな成功なんてほど遠い人だと思っています。ロビンソンや空も飛べるはず、チェリーで大ブレイクしておきながら、まだ自分のことを、ダメなミュージシャンだと思っているのです。

なので、この詞は、応援ソングといっても、頂点を取って栄華や大金をものにした成功者による上から目線のアドバイスなどではなく、あくまでも自分の、頑張っている自分に対する慰めのメッセージなのです。誰かを救おうとか、成功の秘訣を教えてやろうとか、そういう烏滸がましいものでは決してないのです。むしろ、こんな僕だけど、僕なりに頑張ってます、という、そんな詞なのです。

どういうことなのか。詞を順番に見ていきましょう。




それじゃダマされない ノロマなこの俺も

少しずつだけれど 学んできたよ まだまだ終わらない

この部分。スピッツの詞において核心めいたことは、だいたい一番最初に語られています。この詞は応援ソングなのですが、それにしても「ダマされない」とか「ノロマ」とかが核心だとしたら、これをどう、応援ソングに結び付けたらいいのでしょう?

こう考えた時、上記で述べたようなスタンスになるんじゃないかな、と導き出されたわけです。

マサムネさんは、自分のことを本気で「ノロマ」だと思っています。私たちから眺めると、そんなことは全然ないし、客観的にみても、そんなことはないと思います。あいみょんさんとか、川谷絵音さんとか、スピッツに影響を受けた後続が続々と世に出てきていますが、彼らは主にこの時代のスピッツ、もしくはそれまでのスピッツに影響を受けたのです。めっちゃ感銘を受けて、アーティストになろうと思ったのです。彼らを作り出したのが、この時代のマサムネさんなのに、自己評価だけが著しく低いのは、いったいどういうことでしょう?

まあ、マサムネさんの自己評価が低いことは、これまでもたびたびこのブログの歌詞解釈にて、取り上げてきました。思考のクセといってもいいかもしれません。自分を評価しすぎない、慎重な姿勢が、これまでのマサムネさんを形作ってきたのだと思います。おかげで、不用意な発言で炎上もしないし、不倫や、ふしだらな熱愛報道とも無縁です。強すぎる自己評価の低さが、マサムネさんを守ってくれた側面もあるのかもしれません。

なにより、マサムネさんは、「自分はノロマだ」と、自分を蔑む部分を、曲として表現してきました。これって、めっちゃ辛い行為だと思うんです。精神的に辛いと思うのです。詞を考えている間ずーっと、「自分はノロマ、自分はダメ、自分はノロマ、自分はダメ…」って考えているんです。普通の人には耐えられないことです。精神に支障をきたすギリギリまで自分を追い込んで、刃物のように神経をとがらせていく。そうやって詞を作っているからこそ、私たちの胸に鋭く刺さる詞がかけるのだと思うのです。

マサムネさんの自己評価の低さは、詞の完成度の高さと、密接な関係がある、ということですね。



疲れた目 こすった先に

探し求めていた 灯りを見た

ルキンフォーどこまでも つづくデコボコの

道をずっと歩いていこう

初めてだらけの 時から時へと

くぐり抜けた心 君につなげたい 届きそうな気がしてる

ここもまた、マサムネさんらしい、着地の仕方だと思います。「絶対成功する」とか「君ならできる」とかといった、学習塾や進研ゼミみたいな、無責任なことは言いません。ルキンフォー(Looking for)がもっとも大事な事であり、「どこまでも つづくデコボコの道をずっと歩いていこう」が、この詞の中で、もっとも言いたいことなのかなと。

マサムネさんの目的とはなんでしょう? 大金を稼ぐことでしょうか? 美女を侍らすことでしょうか? たぶん違うと思います。スピッツの音楽を通じて、自分の想いを「君」に伝える、ことなのだと思います。そのために、終わりの見えない旅にでて、歩きにくい道を歩いたりしながら、その方法を探していく、という、途方もないやり方で実現しようと頑張っているのです。

ただ君に伝えたい、という一心のために、デコボコの道をずっと歩いていくつもりでいます。



ダメなことばかりで 折れそうになるけれど

風向きはいきなり 変わることもある ひとりで起き上がる

はたから見ていて順風満帆なスピッツの歩みでも、マサムネさん本人にとっては、ダメなことばかりだと感じています。

この感覚は、他人の視点から見ているうちは、理解できないでしょう。でも、自分に置きかえると納得できるかもしれません。私は八百屋さんなので、野菜の品質がよくない時期を知っています。なので、そういう時期を避けるよう、旬のものをご案内するのですが、どうしても旬じゃないモノを食べたい、とご要望されたとき、品質の悪さと、要望をどちらを取るかでいつも悩みます。こういう場合って、どちらを選んだとしても、満足してもらえる内容にはならないんですよね。同じように、ダメな結果しかない選択肢を選ぶことで、ダメな反応を貰わざるを得ない。ダメな結果になるとわかっているけれど、割り切れない。マサムネさんは、そういう性格なのだと思うのです。

割り切れる人は「ダメに決まってんじゃん。そんなの俺のせいじゃないし」と、逃げるのがうまいのです。自分のせいじゃない、と責任転嫁することで、負担をなくしています。そうですよね。考えてみたら、食べたい野菜が旬じゃないのって、八百屋さんのせいじゃないですし。自分の責任か、そうでないかの割り切りが明確にできる人は、「そんなことで悩むなんて、おかしいんじゃない?」と、へっちゃらです。こう考えることができたなら、ダメな事ばかりで凹むなんてことはないでしょう。

でも、目の前にいる人を満足させられなかった、ということを、自分の責任にできる人が、マサムネさんなのだと思うのです。だから、こうして自分を必要以上に責めて、心が疲弊をしてしまうのです。

そのうえで、「ひとりで起き上がる」としています。こんなに沢山の負担を抱えて、それからの起き上がる。これは、並大抵の精神の強さではありませんね。すんごい話です。



思い出で 散らかった部屋を

出てゆくよ 言ってたより少し早く

ルキンフォーめずらしい 生き方でもいいよ

誰にもまねできないような

燃えカス時代でも まだ燃えそうなこの

モロく強い心 君につなげたい かないそうな気がしてる

「思い出で 散らかった部屋を出てゆく」の部分は、「あの時こうすればよかった…」と後悔と責任でがんじがらめになったマサムネさんが、前に進むために、いったんこの思考から離れることを表しているのかなと。マサムネさんのやりたいことは、後悔ではなく、前に進んで、ルキンフォーすることです。なので、ダメなことばかりに囚われるのはダメだと、わかってはいます。でも、「部屋から出る」ぐらいの思い切りのよさがないと、その思考から抜け出せない、ということもまた、わかっています。

「めずらしい 生き方でもいいよ 誰にもまねできないような」とは、これもマサムネさん自身に言い聞かせている言葉なんじゃないかなと。こんなしんどい生き方、マネできないし、したくもないでしょう。普通の人なら、悩まなくていいようなことに悩まされるのは、嫌なはずです。でもマサムネさんは、アーティストということもあって、わざわざこんな心に負担のかかる生き方を選んでいるのです。

いや、そのほうがいい曲がつくれるから、と計算づくてやっているというより、そういう思考のクセがついちゃっているのだと思うのです。最初こそ、自分を追い詰めて曲を作っていたような時期があったのかもしれませんが、この思考にマサムネさんが乗っ取られてしまって、ぴったりくっついてしまっているのだと思います。この思考から編み出されるのが、今のマサムネさんの詞であり、曲なのです。切っても切り離せない関係に、なってしまっているのです。

「モロく強い心」とは、今まで長々と語ってきた部分です。どうですか、マサムネさんが、心をすり減らしながら作った曲の想いが、伝わっているでしょうか? 燃えカスをまだ燃やすような、心のすり減らし方を自分に課してまで作り上げた、スピッツの曲たちに込められた思いが、アナタに伝わっているでしょうか?



不器用なこの腕で 届きそうな気がしてる

不器用ながらも、マサムネさんの作ってきた曲が、アナタに届きそうな気がしているそうです。そのぐらい、自分でもいい曲になったんじゃないかな、という手ごたえを、最後に感じている部分です。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

長くスピッツの曲を聴いてきた人なら、マサムネさんの心の弱さというのは、なんとなく知っていると思います。でも、それが実は心の強さだということは、どれだけの人が気が付いているでしょう? 心の弱さを表現できる、心の強さ。それが、詞の中に現れています。自分を弱いと自己申告できるひとが、強い人なのだと思います。

同時に、どうしたら心が強くなるんだろう、とか、そういうことは悩まなくてもいいんじゃないかと思うのです。心の強弱とは思考のクセのことなので、筋肉みたいにトレーニングで強くなれるものでもありません。心を強く保とうとするなら、他責思考を心がければよいのです。「俺関係ないし~」って思うようにすればいいんです。失敗したと認めなければ、失敗ではないのです。失敗しなければ、傷つくことはありません。

ただ、本当に心の強いひとは、心の弱い人なのです。自分と向き合って、失敗と向き合って、それでも前に向かって進もうとしている人なのです。これを繰り返すことで、成長ができて、もっといいものを作り上げていくことができるのです。マサムネさんをみれば、ルキンフォーを聴けば、それがよくわかると思います。スピッツの曲は、マサムネさんの心の弱さ、そして心の強さで、作られているのです。



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