こんにちは。八百屋テクテクです。
今回はスピッツ「リコリス」について解釈していきたいと思います。
ブログタイトルにて、「性と死」という、なにやら壮大な話を持ち出しちゃいましたけれども、これ、ものすごく説明するのが難しいです。正直、わけわかんない話になるかもしれません。倉橋由美子さんとか、澁澤龍彦さんの世界です。誰それって? 大丈夫です。知らない人にもわかるように説明します。でも、あんまわからなかったら、ごめんなさい…。
まあ、順番に行きましょう。そもそも、あくまでも私の解釈なので、気張ってもしょうがないですよね。
まず、なんでこの曲が「性と死」についての曲なのかと解釈したかについてなんですけど、それは「リコリス」というタイトルから判断しました。リコリスの和名は、彼岸花です。彼岸とは、三途の川の向こう側にある岸、つまりあの世という意味です。
なんでリコリスが彼岸花だという名前が付けられたのかと、この花には毒があり、口にすると死に至る場合があるからです。また、死者が往還するお盆の時期に咲くことも、命名されるに至った特徴になります。
これをふまえて、歌詞を眺めていきましょう。
おもしろく哀しい 旅人の話 めくる頁の先に
いきなり現れ 外した口笛 その笑顔はリコリス味
主人公が「頁」をめくっているところから、詞がはじまっています。何かの本を読んでいるようですね。いわく、「おもしろく哀しい 旅人の話」だそうです。これだけは確実です。
それから先の展開は、あくまで想像で補完していくしかなくなります。私の想像ですけれども、この旅人は彼岸花から連想すると「死神」のはずです。死神が書き記した、不思議な本を、主人公はめくっていたわけです。
そして、死神が、いきなり本から出てきたんです。
死神は「口笛」を外しました。こう書くと、音程を外したかのように思えますが、本来死神の顔は骸骨で、唇がないので口笛が吹けません。なので、音程のことではないのかなと。「口笛」は能面のことを指すこともあったそうなので、ここは、仮面を外した、と言い換えるとどうでしょう?
死神の象徴である、骸骨の仮面を外した。そこには笑顔があったのです。
その笑顔は、「リコリス味」、つまり死の味がしました。
どういうことかと言うと、たぶん、この死神の中身は絶世の美女だったのだと思います。そして、主人公にこう語りかけたのです。「アナタを、死の世界に連れて行ってあげる。そこでは、死ぬほど気持ちのいい性行為ができるわ」と。
一方の主人公は、この世の快楽を一通り味わった経験のある、とても裕福な人物だったのでしょう。自由に使えるお金が多くあり、これまで多くの恋愛をし、いろんな人と性行為を重ねて、もうこの世にはこれ以上の快楽は何もないな、と悟り、日々を退屈に送っていた人物。この世の快楽には満足できなくなっていたので、こういう怪しい本にも、救いを求めて手を出してみた、という経緯があります。
彼にとっては、死神の提案は、とても魅力的だったのでしょう。
この世の快楽を一通り知り尽くした彼には、この世には未練がありません。いても、死ぬまで退屈が続くだけですから。あの世に、これまで以上の快楽があるのだとするなら、ぜひとも連れて行ってくれ、ということになります。
ねむたい目をしてさ 君は風の中
乾いてあれてる指で
触れ合うことからはじめる 輝く何かを追いかける
ここの「君」は、死神です。「乾いてあれてる指」をしています。主人公を誘惑する時の顔は絶世の美女でしたけれども、手は骸骨のままなので、「乾いてあれてる」のかもしれません。
でも大丈夫です。主人公は、この世のどんな快楽をも知り尽くした人です。いまさら、相手が生身の身体であるかどうかなんて、気にもしないでしょう。むしろ、「死神との交情は、どんな具合なんだろう?」と、興味がわいています。
生と死の狭間の、風が吹き荒れる中に佇む骸骨と触れ合うことから始めています。数々の女性を抱いてきたように、死神もまた、優しく愛撫していきます。極上の、輝くような快楽を追い求めて。
よくできた機械 まじないの後に 冷たいラムネを飲み干す
となりの町まで 裏道を歩け 夕暮れにはまだあるから
ここからは、死の世界の光景です。「よくできた機械」とは、オートマタのことです。といっても、現実のからくり人形のことではありません。人間の快楽のために考案された、自動性欲処理人形、とでもいいましょうか。人間の快楽が的確にプログラムされているので、それに従って動きます。なので、どんなにセックスを練習した女性よりも、的確に、男性を歓ばせることができます。もちろん、現実のものではありません。だからこそ、完璧な動作をします。
「まじない」とは、この「よくできた機械」との性行為のことです。もともとの、まじないの意味は、何かを叶えるための儀式のことです。このオートマタにとっては、射精をさせるための儀式、ということになります。
この行為の後、すっきり疲れた主人公は、ふーっ、と「冷たいラムネを飲み干」します。快楽を、これでもかと味わっています。
なお、彼岸花は、種をつけることがありません。遺伝子的に子孫を残せない植物なのです。死神やオートマタとの性行為は、あくまでも快楽のみの行為なので、子孫を残すことはありません。このことも、彼岸花というタイトルに即しているんじゃないかなと、想像できます。
「となりの町」とは、彼岸のことです。つまり、今主人公がいるのは、生と死の狭間の世界です。主人公は、生きたまま連れて来られたので、正しい道を歩くことができません。正しい道には門番がいて、送り返されてしまうからです。なので、裏道を歩いて、彼岸にいこうとしています。
なおかつ、この生と死の狭間は日が出ているうちに渡りきらなければいけません。日没後は、恐ろしい物の怪が支配する世界になるからです。
つまらないことなのに 言いだせないまま
煙と消えさる前に
触れ合うことからはじめる 輝く何かを追いかける
「つまらないこと」とは、「やっぱり現実の世界に戻りたい、死にたくない」ということです。やっぱり、この期に及んで、死ぬことの恐怖がちょっとあります。
でも、死神には「言いだせないまま」、彼岸まで歩いていってしまいます。彼岸にたどり着けば彼は「煙と消えさって」しまいます。
彼岸につく前に、もう一度、死神と交情します。最期まで極上の、輝くような快楽を追い求めて。
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
あんまりよくわからなかったかもしれません。そりゃそうだと思います。よくわからないのが正常なのだと思います。
ただまあ、話の流れとして、こういう感じかもしれない、と思ってもらえれば幸いです。
彼岸花は、死を連想させる花なんだな、とか、そういう想像の組み合わせで、この詞を解釈したものですから、あってるかどうかも自信がありませんし。
あくまでもいち解釈として、楽しめる人は、楽しんでもらえれば、という感じです。
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