こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「ラクガキ王国」について解釈していきたいと思います。
この曲は、たぶん、マサムネさんの感覚を表現した曲なのだと思います。
わかりやすく言うと、「ラクガキを続けていたら、それが本業になってしまってしまい、今では日本武道館を満員にするぐらいの有名ロックミュージシャンになりました、てへ」という内容なのだと思います。
いや、この説明だと、いわゆる今流行している、「俺才能ないし無自覚だけど実は最強スキルを持っていて、勝手に色々問題解決しちゃいましたけど、またなんか俺やっちゃいましたかぁ?」的な、愉悦のみの空想マンガと同じになってしまいます。マサムネさんは天才なので、凡人から眺めると、確かにそれと同じなのに思う方もいるかもしれませんが、ちゃんと苦悩している時間がありました。それでも諦めずにハンマーを振り続けたので、不可能という石を割ることができたのです。今のスピッツが出来上がるまで、相当な苦労をしていました。
そういう触れられていない、いろんな前提はあるんですけど、でも今のマサムネさんから振り返ったとき、「思えば、あの時教科書に書いていたラクガキから、すべては始まったのかもしれないな…」なんて、自分の才能の不思議さに感傷を浸らせることだって、あると思います。
「今のスピッツ」から、「ラクガキを書いていた頃」を眺めた時、あまりの違いに、ビックリしている自分と、「でも、やってることは子供の時から変わんないよな」と、どこか達観している自分。そういう感覚が交互に来るような、そんな感覚。それを曲にした内容なのだと思います。
歌詞を順番に見ていきましょう。
紙で作った冠 誇らしげ
太陽色のマンダリン 現実味
スピードオーバーのチビグルマで
君もかけつけてくれるかい?
ここは、幼児の頃のマサムネさんが書いた、絵日記なのだと思います。「紙で作った冠」で誇らしげにしている日があったり、マンダリンオレンジを食べて感動した日があったり。幼児用の小さい車で、君が駆けつけてくれたけれど、スピードオーバーだったりした日があったり。それはそれは、楽しい日々だったのだろうと思います。
才能というのは、ある日突然宿るものではありません。いろんな経験をして、表現する。その連続性の先に、大きな芸術が完成するのだと思います。
絵日記は、幼児の頃は誰もが通る道ですが、大人になった今でも絵日記を継続してつけている人は、ほとんどいないと思います。どこかの段階で、飽きて辞めてしまったり、苦手だからと辞めてしまったり、バカにされて辞めてしまったりしているはずです。
でも、マサムネさんは、絵日記が好きだったのだと思います。ヘタでもダメでも、とにかくいろんなモノをずーっと描き続けたのでしょう。
マサムネさんの底なしの表現力が、「紙で作った冠」や「マンダリン」を描いた瞬間から始まったのだとしたら、私たちスピッツファンにしたら感慨深いものがあります。
教科書のスミっこのラクガキが
強大な王国になりました
それから学年が上がって、マサムネさんは小学生になり、教科書で勉強する年齢になりました。
「教科書のスミっこのラクガキ」は、みなさんどんなものか覚えていますか? 偉人の鼻毛ですか? ペラペラで動く棒人間ですか?
絵日記をずーっと続けていたマサムネさんだったら、ほかの人より、表現力が備わっていたはずでしょうけれども、所詮は絵日記やラクガキ程度。高い月謝を払って絵画教室に通っていた、なんてことはないと思うので、目に見えるほどの才能が開花しているというほどではなかったと思います。
ただ、ずーっと好きで、続けていた。
この「教科書のスミっこのラクガキ」を続けていたことが、将来、日本武道館も大阪城ホールも、ファンで満員にするぐらいのロックバンド、スピッツという、「強大な王国」に繋がるとは、妄想はしていたかもしれないけれども、予定はしていなかったでしょう。
日曜の真夜中に脱走しよう
邪魔者も眠ったし フェイントで
静かすぎる街を抜けて
ケムリが消えたら 見えるだろう
ナゾめく廃墟のラクガキが
素朴な王国になりました
「日曜の真夜中に脱走しよう」としていたり、一緒に暮らしている親のことを「邪魔者」と言っているあたり、マサムネさんは反抗期に差し掛かっています。中学生、といったところでしょうか。中学生のマサムネさんは、深夜にそっと家から抜け出して、秘密の場所に向かっています。
彼はいつもの「廃墟」に行きました。
その廃墟で彼は、何をしていたのでしょう? 深夜にコソコソと、何をしていたのでしょう?
普通に廃墟にラクガキをしていたのかもしれないんですけど、ここは思春期に差し掛かったということで、「廃墟が、怪獣やゾンビ、悪い奴らに占拠されていて、そこに囚われている裸の美女を助けるべく、襲い来る彼らをバッタバッタとなぎ倒すマサムネさん」とかを妄想していたんじゃないかなと。廃墟で浸った、思春期特有の恥ずかしい妄想の類を、ラクガキと表現しているんじゃないかなと。
悪者を倒す妄想や、裸の美女を助ける妄想には、臨場感が必要です。臨場感があったほうが楽しいのです。両親のイビキが聞こえてくるような自分の部屋では、なかなか妄想の世界に入り込めません。なので、わざわざ脱走して、廃墟までくる必要があったわけです。
いやいや、バカにしたものではありません。この、稚拙で恥ずかしい妄想が、やがては「ロビンソン」や「空も飛べるはず」といった、「青春でさわやかな曲だよね」と言われるような、素朴だけど超売れた曲を制作する原点となったのです。
わかりやすい理由などなく
すべて新しい掟の上
教科書のスミっこのラクガキが
強大な王国になりました
マサムネさんがもしインタビュアーとかに「スピッツみたいに売れるには、どうしたらいいと思いますか?」という、ド直球な質問をされたときに、こう答えるんじゃないでしょうか。
「スピッツが売れたことについては、わかりやすい理由なんてないと思います。ただ、ボーカルと作詞作曲を務める私に関して言えば、想像力を鍛えることは大切だと思います。それは何も、先生に勉強を見てもらうといった形式のものではなく、私のように、妄想をしたものを自分なりに表現するといったものでも構わないと思います。自分で新しいルールを作って、それにしたがってコツコツとやるのが、力になってくると思います。私のように、教科書に書いたラクガキみたいなものが、将来の大きなモノに繋がることもあるのですから」
という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?
ブログタイトルにもありますとおり、スピッツ「ラクガキ王国」からは、継続の大切さが伺えます。これまで見てきた通り、詞の中では、幼少期、小中学校時代、そして高校時代と、いろんな場面のマサムネさんの様子が語られています。そこでずっと、妄想に浸っていたマサムネさんですが、それを前に進むためのパワーに変換できたのは、すごいことだと思います。マサムネさんがずーっと「ラクガキ王国」を開墾し続けてきてくれたおかげで、私たちスピッツファンは、豊かで広い彼の王国に旅行し、その素晴らしい景色を眺めることができるのです。
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