こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「ブチ」について解釈していきたいと思います。
この曲は、なにかをモチーフにした曲だと思います。私たちの周りの現実の日常を歌詞に当てはめようとしても、うまく当てはまらないので、ここは歌詞の内容に沿ったストーリーを探すのが、個人的にはしっくりくると思うんです。普通に生活していたら、ムエタイの女の子みたいな蹴りを食らうこともないし、千羽もの鶴を拝むこともないですからね。
これまでも、ストーリーを詞のモチーフにみたてた解釈を、このブログで行ってきました。セーラームーンがモチーフの「インディゴ地平線」、マクロス7がモチーフの「僕のギター」などです。奇しくも、この曲が収録されているアルバム「醒めない」において、同じくツンデレアニメがモチーフじゃないかと私が勝手に思っている「ナサケモノ」の解釈があります。
はたして、この解釈に、どれだけ信ぴょう性があるのか。
マサムネさんは、この時期ツンデレアニメを視聴していたのか、どうか。
「ブチ」の歌詞を順番にみていきながら、探っていきましょう。
心は言葉と逆に動くライダー
鏡を見ながら手紙書くみたいな
ジグザグ転ばずに かけ抜けて 消してしまった呪い
出だしが「心は言葉と逆に動く」から始まっています。いかにもチグハグで、現実ではあまり見かけない光景だと思います。私たちはだいたい素直に、やりたいことをやるし、嫌いなものは避けます。好きな相手をSNSで誹謗中傷とかやらないですよね。仮にやっていたとしたら、ドン引きです。とてもマサムネさんが表現する美しい世界観の対象にはならないと思います。
でも、好きな気持ちをひた隠しにして、溢れそうな気持を伝えられずに、表ではついツンツンした憎まれ口を叩いてしまう、という女の子が登場するアニメ、いわゆるツンデレアニメが、ひと昔前に流行しました。リアルでは遭遇したくない、面倒くさい性格ですけれども、それが作品として表現されると、途端に美しく綺麗なものになる、これがツンデレというやつです。ツンデレキャラに惹かれたアニメ好きの方も、当時はたくさんいらっしゃったのではないのでしょうか。そして、流行りのものを敏感に追いかけて、それを自分の作品の中に貪欲に取り込もうとする、曲作りについてはひたすら真面目なマサムネさんだったら、このツンデレアニメの流行現象もまた、敏感に追っていたのではないかと思っています。
この詞の文脈の前半は、ツンデレという性格そのものを表現した内容となっているようです。
そして後半の「ジグザグ転ばずに かけ抜けて 消してしまった呪い」の部分ですが、アニメが始まってから終わるまでの一連の動きを表現しているのではないかなと。ジグザグ、山あり谷ありのお話だったけれど、この物語を主人公とヒロインは駆け抜けていき、自分たちの呪いをついには消すことに成功した、ということじゃないのかなと。
この部分は、モチーフになっている話がわからないことにはイメージしにくいんじゃないかと思うので、「ゼロの使い魔」というツンデレアニメに沿って、解釈していこうかなと。
「ゼロの使い魔」は、世界観的には「ハリーポッター」です。魔物やドラゴンが跋扈する世界の中で、人々は武器のかわりに魔法を使っていました。魔法を使って戦うべき人間が貴族とされ、その貴族を養成しているのが魔法学園です。この魔法学園に通っている大貴族の娘でありながらも、魔法がろくに使えないことで「魔法力ゼロ」とバカにされているのが、この物語のヒロインであるルイズです。
またこの学園の貴族たちは使い魔を召喚することで、より魔法を強力にしています。例えば水の魔法使いは、水の精霊を。土は土の精霊というふうに。ルイズもまた召喚の儀式に挑戦しましたが、ところが、彼女が呼び出したのは、私たちの世界に住む、なんの変哲もない日本の高校生であり、この物語の主人公、平賀才人でした。
ルイズは、なんの能力もない平民を呼び出してしまい、周囲から笑いものにされてしまいました。ルイズは、恥ずかしさと怒りのあまり、才人をぶっ叩きます。才人は訳も分からないままぶっ叩かれて、ギャー、ってところから物語が始まります。
はたしてルイズは、魔法を使えないという「呪いを消すため」に、どう立ち向かっていくのでしょう?
しょってきた劣等感その使い方間違えんな
空見上げれば南に鶴が千羽
キセキは起こらない それでもいい そばにいてほしいだけ
ルイズがゼロだったのは、魔法だけではありません。大貴族の娘ということで、お上品な美少女ではありながらも、みんなと比べて背が低く、胸が薄いのです。この身体的な特徴もまた、周囲にバカにされており、本人にとってはめちゃくちゃコンプレックスだったのです。このコンプレックスが、主人公の好意を素直に受け入れられない一因にもなっていたりします。ルイズの「しょってきた劣等感」により、このアニメの視聴者は「萌え~!」状態にもされ、また同時にヤキモキもさせられるというわけです。
「鶴が千羽」ですが、この世界に当てはめると、ドラゴンの群れのことかなと。鶴は昔から霊鳥とされ、地域によっては伝説の生き物とされていました。ルイズがいる国の隣の国では、ドラゴンに騎乗する騎士団があり、物語の終盤にて、この国と緊張状態になってしまいます。いくら魔法で火の玉を打てたとしても、強力なドラゴン騎士団の大群に空から襲われれば、ひとたまりもありません。さあ困った。
貴族として戦場に赴くルイズでしたが、魔法を使えないルイズにも、一般人の才人にも、キセキを起こす力がありません。ドラゴン騎士団の大群という状況を目の前にして、なんの役にも立てないという状況です。それでも、お互いがお互いを頼りにする感情が芽生えはじめています。「そばにいてほしい」、という本音が見えます。
君はブチこそ魅力 好きだよ凄く
隠れながら泣かないで yeh yeh
ブチは、普通に解釈すると、動物の模様となります。でも、この詞は動物ではなく、あくまでも人間が主体の曲だなと思ったので、この解釈では「動物の模様」というのは当てはまりません。
じゃあ何を表しているものなのでしょう?
ブチは、漢字で「斑」と書きます。斑は、主にまだらな状態になっていることを指しますが、シミやそばかす、そして蒙古斑のように、あざを指すこともあります。そばかすは思春期に多い症状でもあるので、この部分だけを読み解くと、「そばかすも君の魅力だよ」というふうに解釈できますが、前後の詞との繋がりに悩みます。また、「こそ」と強調する言葉が挿入されていることもまた、解釈が難しい点です。マサムネさんは、この詞の主人公はそばかすフェチです、と言いたかったわけではないと思うのです。また、そばかすは、歳月を経て消えることもあります。そばかすこそが君の魅力だとするなら、歳月を経て消えてしまうと、君の魅力が減ってしまうことになるのでしょうか?
ここはひとつ、今までの「ゼロの使い魔」説に準じて、ブチを解釈してみたいなと。ヒロインのルイズの特徴は、先ほども申した通り、胸が薄いことにあります。胸が薄いことにコンプレックスを抱えています。このコンプレックスを否定する意味で、薄い胸の形状を、白い肌に二つの赤い斑点のみがある、と捉えて、「ブチこそ魅力」と言いたかったんじゃないかなと。
半ばこじつけのように思うかもしれませんが、話が性に関するものになると、とたんに語彙力、想像力が豊富になるのが、詞を作ることにおいては大事なことなのです。「こうかもしれないけど、こうじゃないかもしれない」という余地を残しておかなければなりません。「こうだ!」と決めつけてしまえるものは、陳腐と評されてしまいます。一見わからないように作るのが、配慮であり、オシャレでもあります。
ルイズは、自分の体形について、隠れて泣いている場面があります。才人への想いが大きくなるにつれて、自分には才人を振り向かせるだけの魅力がないんじゃないかと、思い悩むようになります。こういう場面を視聴者は見せられて、ヤキモキさせられるわけです。そんなことないぞ、「ブチこそ魅力」だぞ、だと言いたくなってしまうわけです。
ムエタイの女の子みたいな蹴り食らって
足りないもの自問してさらにヤバくなって
優しくない俺にも 芽生えてる 優しさ風の想い
この詞での「俺」は、アニメをみている視聴者です。そして「君」は、アニメの中にいるルイズとなっています。詞で語られている内容は、基本的にはルイズに対しての感情でしょうけれども、ルイズを取り巻く状況に対してもコメントしているようです。なので、ほかの詞と比べて、対象になるものがあちこち移動しています。
ここで蹴りを食らっているのは、ルイズではなく、視聴者でもなく、才人です。才人はルイズの役に立ちたいと思いながらも、ほかの女の子が絡んでくるせいで、ルイズに誤解され、そのたびに強烈な蹴りを食らっています。
これはもう、ツンデレアニメのお約束といえるものかもしれませんが、才人がアレコレ頑張るけれど、裏目裏目にでて、状況がさらにヤバくなって……、という展開になっていきます。周りにいる女の子の悩み事に手を貸したり、あるいは助けられたりするたびに、それを蚊帳の外から眺めているルイズがいじけていきます。でも強がりで、弱いところを見せたくないルイズは「アンタなんか…!」みたいな態度をとり、その態度をみた才人は、「なんだこいつ…!」みたいに反発します。そういう状況を視聴者は見せつけられます。
テレビごしに、この状況を眺めている「俺」は、のめり込んでしまっています。「俺」は、もともと他人の恋愛について「好きなら、付き合えばいいし、嫌なら、やめればいいんじゃない?」ぐらいの感想しか抱いてなかったのだと思います。これは普通の感覚ですが、ルイズと才人の関係にとっては、「優しくない」意見なのだと思います。もっとなんかこう、いろんな意見を出してあげて、もう少し関係がうまくいくようにお節介をしてあげたいという、そんな思いに駆られます。
そういう思いを抱かせるアニメとなっているのです。
君はブチこそ魅力 小町を凌ぐ
本気出して 攻めてみろ wow wow
「小町」は、美しい女性を指します。では、私たちは、何をもって美しい女性と定義しているのでしょう? 恵まれた容姿、透き通るような肌、ツヤツヤの黒い髪、いろいろあると思います。
でも、それを凌ぐと言っています。美しいとされる定義を纏った女性たちよりも、君が持っているモノのほうが、魅力的だと。君がコンプレックスを抱えている部分こそ、俺にとっては魅力だと。「それ」があっても魅力、ではなく、「それ」があるからこそ魅力なんだと。「こそ」に力が入っていることが、この詞で一番言いたいことだったんじゃないかなと。
「本気出して 攻めてみろ」は、才人に言っています。才人はルイズのことが気になるくせに、大人ぶって、「アイツが心を開いてくれるまで、待っているつもりだよ」的な、受け身の態度に終始しています。
そんな才人に対して、「本気で気持ちを伝えにいけば、ルイズは気持ちにこたえてくれるのに、なにをグズグズしているんだ」と、ヤキモキしています。
安全は信用すんなちょっと危ないはずよ全部
アンサーは七変化して迷い続けてる
キセキが起こるかも ならなおいい
例えば、物語後半で、「幼い時のルイズの憧れの人」というイケメン騎士が登場します。この騎士は、登場した際、完全無欠みたいな描かれ方をしており、武勇でも精神でも、才人よりも格上だと思い知らされます。このイケメン騎士とルイズですが、隣国と一触即発の緊張状態になった際、2人で隣国の王子のもとに交渉に向かうことになりますが、でもそれは、イケメン騎士の罠で……みたいな、ルイズと才人の二人を危機に陥れる罠がたくさんあります。
物語の終盤では、能力ゼロと思われていた二人の力が覚醒していきます。「まさにキセキが起こるかも ならなおいい」です。
お上品じゃなくても マジメじゃなくても そばにいてほしいだけ
私たち庶民は、お上品であることは特に求められていません。なので、お上品じゃなくてもいい、というのは、それほど意味のあるものではありません。ただこれが、「もともと上品であるべき立場の人」に向けられた言葉だったとしたら、けっこうな意味を持つことになります。このことから、この詞は「貴族」を題材にしているんじゃないかなと。
という感じで解釈してみました。
「ゼロの使い魔」のストーリーに近いなと思ったので、これを当てはめてみましたが、もっと似合う作品がほかにもあるかもしれません。
それを探してみるのも、マサムネさんが普段なにを見て、何を思っているかを知れるようで、楽しいと思います。もちろん、あっているかどうかはわかりませんけれども、「かもしれない」という想像をすることができるだけでも、いいんじゃないかなと思います。
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