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スピッツ「ババロア」は、性的倒錯の話だった説。~スピッツ歌詞解釈~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツの「ババロア」について解釈していきたいと思います。

ここから先は、大人だけの話になります。まじで、18禁の内容になっています。スピッツファンで、18歳未満の良い子のみんなは、この先は読んではいけません。この八百屋さんとのお約束です。「ババロア」は、ババロアが美味しいという曲なのです。冷やして食べる、素敵なデザートなのです。それ以外にはありません。けっして、「ババロア」の意味を、大人に尋ねてはいけません。いいですね?


それでは、良い子のみんなは、次のブログでお会いしましょう。次に解釈するのは、君が気になっていたあの曲かも!? どうぞお楽しみに! バイバーイ!

あっ、エロが苦手な人も、これでサヨウナラです。つぎのブログでお会いしましょう。

























さて。

ブログタイトルでは、性的倒錯とか、なにやらよくわからない言葉を使ってしまいましたが、正直なヤツをタイトルとして堂々とつけるわけにはいかなかったからです。

性的倒錯とは、ここでは、SMプレイを行う人たちのことを指します。

つまり、「ババロア」はSMプレイの曲です。

「ババロア」に関しては、もともと「なんかエロい曲だなぁ」と勘のいい人は気が付いていたかもしれませんが、でも、どこがどうエロいのかは、はっきりとは認識している人は少ないのではないのでしょうか。

なぜなら、この詞の解釈には、感覚的な部分がけっこう入るからです。その感覚に共感できる感性が備わっていない人には、だぶん言葉を尽くしたところで理解できそうにありません。何をいってるかよくわからないと思いますが、とりあえず、話をすすめていきましょう。


って、どこから話を進めていいか迷うんですけど、とりあえず「SMプレイとは何か」について、基礎的なところに触れておきましょう。

SMは、サディズムとマゾヒズムから成り立っています。精神的肉体的な苦痛に快楽を感じるのがマゾヒズムで、苦痛を与えることに快楽を感じるのがサディズムです。これらの性的嗜好に基づいて行われるプレイが、SMプレイというわけです。SMといえば、よく鞭を打ったり、縛ったりする行為が思い浮かぶかもしれませんが、そうすることで、このお互いの快楽を満たすことが目的なわけです。ここまでは大丈夫ですか?


ところで、SMプレイは、勘違いされがちなんですけど、すんごい変態とすんごい変態がする、とても特別な行為、というわけではありません。それを愉しんでいる男女のほとんどは、平素は社会のルールを守る、マトモな人たちです。それもそのはず、「俺ってドSだから」とオラオラしている人を、Mは全力で避けます。だって何されるかわからないし、怖いじゃないですか。Mも普通の人も、普通の感覚を持っています。当然、いきなりぶたれれば痛いし、腹が立ちます。当たり前といえば当たり前ですよね。Sも同じです。Sだって人間ですから、大事な人を傷つけて喜ぶ感覚を、本来は持ち合わせていません。


じゃあなんで、アイツらはわざわざそんな、苦痛を与えたり与えられたりと、訳のわからないプレイしているんだ? そんなので快楽を得るなんて、やっぱり変態じゃないか? と普通の人からすれば当然の疑問がでてくるわけですが……。



ちょっと話は変わりますが、「ババロア」というタイトルは、何を表しているのでしょう。

歌詞を眺めると、これはデザートとしてのババロアではない、ということは一目瞭然です。ということは、ババロアは、何かの比喩なのです。

ババロアは、卵・牛乳・砂糖などで作ったカスタードソース(アングレーズソース)とゼラチン、泡立てた生クリームを合わせ、冷やし固めたフランス菓子です。

それぞれ違った材料をすべて混ぜ合わせ、固める。

これは、人間の心でいうところの「コンプレックス」状態です。

コンプレックスという言葉は、主に「劣等感」という意味で使われますが、そうではなく、さまざまな感情の複合体のことです。「ロリコン」とか「マザコン」とかにも、コンプレックスは使われていますよね。

このように、人間の心というのは、ババロアと同じく、様々な感情で形成されています。楽しい、嬉しい、といった表の感情だけではなく、嫉妬や妬み、支配欲や被支配欲など、ひとには言えない感情まで、さまざまな感情を抱えて、生きているわけです。そして、負の感情、特に支配欲や被支配欲などは、普段は意識の下に隠れてしまって、なかなか表には出てこない感情なのです。常識的な生活を営む上では、特に必要ではない感情ですので、そのまま隠れていてくれていっこうにかまわないものではあります。


SMプレイとは、この、隠れているコンプレックスを刺激する作業であるといえます。

人には見せない感情、普段は隠している感情を、パートナーにさらけ出すことで、相手にすべてを委ねて信頼するという行為です。または、パートナーにさらけ出してもらうために、感情の奥底を引き出させる行為でもあります。「エッチしよう」と提案するよりも、「縛って」と要求するほうが、何倍も難しいことです。そして、それに応えて満足させるのもまた、難しいです。よっぽど愛がないとできません。

醜悪なものも含めて、心をすべてさらけ出し、さらけ出させる、という意味では、究極の愛のカタチであるかもしれません。

逆に、こういうことは、信頼できない相手とはまずできません。オラオラドSマンには、絶対に任せたくない行為ですよね。



という前提を踏まえますと、この曲がなぜSMプレイの曲なのかが、なんとなく見えてくるのではないのでしょうか。




輝くためのニセモノさ だから俺は飛べる

すぐにも消えそうな星ひとつ 揺れて旅はつづく

まだ壊れないでよ 柔らかな毛布を翼に変える

冒頭に「輝くためのニセモノさ」とあります。意味が難解なスピッツの詞ですが、そういう場合「ヒントは冒頭に出しておきましたので、この詞はこう読み解いてくださいね」という感じで、たいてい冒頭に最重要なワードが放り込まれます

「輝くためのニセモノ」で思いつくものは、世の中にそんなに多くはありません。輝くためには、たいていホンモノである必要があるのですから。しかしながら、ニセモノだからこそ輝く、という場面は、SMプレイだったら存在します。SMは、その名前の由来となったマルキ・ド・サドを目指してしまうと、世間を震撼させる大事件になっちゃいます。ニセモノであることが、凌辱ふうであることが、実際には傷つけないことが、大事なのです。その、パートナーとの間で「今日はどんなプレイをしようか」的な、ルールの中で「だから」こそ、その不道徳な姦淫の海を安心して自由に飛び回れる、ということです。

「すぐにも消えそうな星」とは、のことだと思います。被虐心からくる涙です。それがまぶたの中で揺れています。泣いても、まだまだ旅(プレイ)はつづきます。そして、涙を流した後に、たたみかけるように「まだ壊れないでよ」と囁いています。うーん、これはとてもSですね。パートナーを虐める気満々です。

「柔らかな毛布」は、いつもの寝起きしている、自宅の寝室のことです。これを、非日常的なSMプレイ会場へと変貌させている、ということだと思います。行為を行っている二人の間では、ここは寝転びながらユーチューブを眺める場所ではなく、鎖に繋がれた不幸なお姫様をいたぶり凌辱するための牢屋であるわけです。そういう想像の翼を羽ばたかせています。



驚いて欲しいだけの見えすいた空振り

ナイーブで雑なドラマ

もっと不様なやり方で宇宙の肌に触れる

ババロア 会いに行くから

「驚いて欲しいだけの見えすいた空振り」とは、鞭を空振りしている場面です。パートナーを驚かせるために、ぶんぶん空振りしています。いやいや、ちゃんと当てなよ、と思いましたか。実は、空振りこそが、SMプレイの真髄なのです。我ながら何目線なんだよと思うのですが、とにかく、そうなんです。

SMプレイの目的は、苦痛を与えることではありません。心の奥底に眠る被虐心を引き出すことです。「叩かれる可哀そうな私」という状況に陶酔させることが大事なのです。もっといえば、「このいやらしい姿、写真にとってバラまいてやろうか」とか「オマエの身体に『オレの奴隷』って一生消えない刺青をしてやろうか」とか、そういうことをするフリをするのが、SMプレイです。パートナーが、実際にやらないと信頼しているからこそ、安心して、これらをやられそうになっている「可哀そうな私」に酔うことができるわけです。これを本当にやったら重罪ですし、実際やりかねないヤツにそんなこと言われようものなら、一気に醒めて「おいやめろ!」となっちゃうでしょう。この「ナイーブ」な信頼関係の上に成り立っている「雑なドラマ」こそ、SMプレイなのです。

「宇宙の肌」とは、生命を生み出す、女性の性器の内側部分だと思います。通常の方法とは全く違う、「不様」なやり方で、女性の性器の内側の肌に指で触れることが、SMプレイのクライマックスです。「不様なやり方」は、足を開いた状態で身動きできないよう拘束して、その状態で触っているのかな、ぐらいしか思いつかないんですけど、とにかく、「不様なやり方」を採用することで、パートナーの、心の奥底に閉じ込めている被虐心に出会おうとしているのです。



奥の方にあった傷跡も 今は外にさらす

闇を這う風が鳴いていた ずっと鳴いていた

着地する日まで 温かい嘘も捨てないでいる

ここでの「傷跡」は、コンプレックスそのものです。「マザコン」や「ロリコン」と同じく、心の奥底に被虐心を持つに至った経緯というのは、過去のどこかに存在していたのでしょう。それが、プレイによって、露わになっている状態です。

闇の中で鳴いているのは、パートナーです。すでに自分は、パートナーをベッドに残して明るい別室に移動し、別のことをしています。もちろんこれは、放置プレイという、SMプレイの一環です。パートナーは暗い部屋で身動きが取れないように縛られて、ずっと悶えています。その声が、部屋の隙間から漏れ出てきており、それを自分は愉快に聴いている、という状況です。

「着地する日まで~」なんですけど、今現在は毛布を翼に変えて「飛んで」いるわけです。飛んでいる時は、非日常にいるわけですね。それが日常になることを「着地」と表現しています。

「飛んで」いる最中ですので、日常ならまず出てこないような「君が俺の奴隷になるって誓うまで、ここから逃がさないよ」などといったバカバカしい嘘も、非日常の場面では真剣な顔をして言わなければいけません。どこが温かい嘘なんだ、と普通の人なら思うかもしれませんが、そういうプレイ中だとしたら、温かい嘘になりえるでしょう。プレイ中はずっと捕まえていてくれるし、途中で何か急な電話で出なきゃいけない事情ができたとしたら、「アッハイそうなのね、大変だね。じゃあこの続きはまた今度ね」とか言って、拘束している縄をほどいて、いそいそとプレイ道具を片付けてしまえるでしょう。こんなふうに、「温かい嘘」だとお互い認識しているなら、それはもう、どんなにひどい言葉であったとしても、「温かさの篭った嘘」となりえます。



君がいた夏の日から止まらないメロディ

まっすぐに咲いた白い花

まるで不様なやり方で宇宙の肌に触れる

ババロア 会いに行くから

メロディは、リズムに従うものです。この場合は、胸のドキドキをオシャレに言っている部分だと思います。君と明け暮れた、あの夏のプレイが忘れられない、という、翻訳してしまうと、なんとも陳腐な表現になってしまいます。これはそのまま載せるわけにはいかなかったでしょう。

「白い花」は、これまでいろんなスピッツの詞に出てきましたが、どれも精液が飛び散っている表現でした。ここもまた、そうです。

精液が飛び散った後に、例の不様なやり方へと移行しています。一旦外に出した精液で手でぬぐい、パートナーの性器の中に入れている場面かもしれません。これは、さらに陰湿で不様なやり方になります。被虐心を刺激するという点からすれば、他に考えられないぐらいの不様さではないのでしょうか。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか?

私的にはもっともエロく、そして最も解釈がキツイ詞になりました。もしマサムネさんによってこの詞の解釈が発表され、私の解釈が全然違っていたら、私はもう切腹するしかなくなります笑 そのぐらい、ヤバい詞でした。

また、エロ苦手なので、普段こういうこと書きなれておりません。なので、このブログめっちゃ時間かかりました。時間がかかったわりに、伝わるかどうか、微妙なところです。上手く意図が伝わらず、「なんか訳わからんこと言ってる変態がいるぞ」だなんてことになったら、それはそれで、切腹です。

こういうリスクを冒すのがヤなので、他の解釈でお茶を濁そうかなとも思ったんですけど、でも、やっぱり詞を眺めていると「すごいなぁ」と感嘆してしまったんです。いろんなところに気を配って、緻密な計算によって、この詞は描かれている、と感じたのです。このすごさを、少しでも共有したいな、と思ったのが、このエロブログのはじまりです。ブログを見に来てもらった人すべてを納得させるのは、そりゃあさすがに無理でしょうけれども、でも、ひとりでも、ふたりでも、「なるほどね」と思ってもらえる人がいれば、幸いです。



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