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スピッツ「ハイファイ・ローファイ」に学ぶ、バランスのいい生き方。

更新日:7月14日



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「ハイファイ・ローファイ」について解釈していこうと思います。

詞のタイトルにもなっておりますハイファイ・ローファイの意味ですが、これは音楽用語です。ハイファイは、High Fidelity(高忠実度、高再現性)の略語であり、音響機器などにおいて「原音や原画に忠実な再現」という意味だそうです。一方でローファイはその逆で、意図的に安っぽい機材を使用することで、雑音や不明瞭なサウンドを取り入れることを差します。どちらが優秀か、という話ではなく、どちらも必要に応じて使い分けていくことが大事だ、というわけなんですね。

一方で、私たちの暮らしを音楽に例えたとき、ハイファイばっかり選んでいる、または、選ばされていることってないでしょうか? たとえば結婚相手は高身長、高学歴、高収入がいい、だなんて話はよくきく話です。いやはや、確かに身長、学歴、収入は、ナイよりもアルほうがいいに決まっているんですけれども、でも、そればっかりに固執していたのでは、生き方としては面白みに欠けていて、バランスが悪いと、ハタから眺めていて思っちゃいます。タワーマンションを購買する層は、住んでいる階層が高い程マウントをとれるなんて話がありますが、ここの領域までいくと、ちょっと人としての何かを見失っているような気がします。このように、どんな場面においても常にハイファイを志向し続けることは、音楽においては表現の幅を狭めてしまうように、生き方としても幅の狭い、バランスが悪い生き方になると思うのです。ハイファイとローファイ、この二つをバランスよく使いわけることで、幅の広い人生を楽しめるんじゃないか。この詞はつまり、そういうことを言いたい詞なんじゃないかなと。

順番に詞を眺めていきましょう。




Fly high! 甘い囁きにもフラフラと

ハイファイ ローファイ 俺はそれを愛と呼ぶよ

OK!憧憬 キビしい時もあるけれど

ハイファイ ローファイ 俺はそれを愛と呼ぶよ

「ハイファイ・ローファイ」は、韻を大事にしています。音がなによりも先行するようにして作られていて、後から意味をつけ足していく形で形成されていったのかなと。なので、意味を見出そうとした時、少し歪な形になっていることが考えられます。ハイファイとローファイは意味としては真逆になりますが、同じポジションに置かれている「Fly high!」と「甘い」も逆の意味、「OK!」と「憧憬」も逆の意味として捉えるよう、解釈してみると、なんとなく読み取れるんじゃないかなと。

「Fly high!」と、自分を成長させていくために切磋琢磨する毎日。修行僧みたいな、すごいストイックな感じがします。その直後に「甘い囁きにもフラフラと」と、急に自堕落な一面をみせています。このバランス感覚こそが、「愛」なのだそうです。何に対しての愛かというと、「ハイファイ・ローファイ」という音楽用語をタイトルに使っているとおり、音楽活動全般に対する愛なのだと思います。例えば歌詞を作るうえで「これが究極の恋のカタチだ!」とい高尚なものを考えることもあるでしょうし、「まあこんな恋のカタチがあってもいいんじゃない?」みたいな低俗な考えに思いを馳せることもあるでしょう。どちらも大事だと考えています。

音楽性を突き詰めて対立した挙句に「音楽性の違いで解散しました」みたいなバンドが過去にありました。いい音楽であることを追い求めるあまり、お互い譲れなくなってしまったのでしょう。これは「憧憬」です。憧憬とは、遠く高い目標や理想に心を寄せ、それを追い求める心情を表す言葉です。確かに憧憬には、自分を高める効果がありますが、同時にそこに至っていない相手を排除してしまう厳しさもあります。それが心を傷つけあってしまい、対立となってしまうこともあるのです。

でも、スピッツは仲良くやってきました。「OK!」という精神があったからでしょう。なんでも「OK!」だといい音楽は作れませんが、かといって「憧憬」を求めすぎてもダメになってしまいます。この二つのバランスを上手にとっていくことが大事なのです。

このバランスを上手にとっていくことが、マサムネさんにとって、音楽活動に対する自分なりの愛だと、この詞は言いたいのだと思います。



誰も彼も イイこと言うが

欠けた夕陽が見えるだろう?

熱きソウル 蹴とばして今日も

追いかけて行く

「誰も彼も イイこと言うが 欠けた夕陽が見えるだろう?」とは、この時期のマサムネさんの、めちゃめちゃ注目されている状況のことを表現しているのかなと。

この詞を手掛けた時期のマサムネさんに当てはめてみると、ロビンソン、チェリー、空も飛べるはずの大ヒットにより、まわりからめっちゃチヤホヤされていた頃だったんじゃないでしょうか。「高収入ね!ステキー!」とか、「女の子にモテモテじゃん、うらやましー!」とか。いやこんな低俗な誉め言葉ばかりではなく、ちゃんとした音楽業界の偉い人とかから「うーむ、君は才能があるよ!」とか言われたことも多かったと思います。そうやって「誰も彼も イイこと言う」状況に遭遇しましたが、マサムネさんの気持ちは、驕らず、バランス感覚を失っていません。「欠けた夕陽」とありますとおり、陽は永遠に輝いているものではなく、時間とともに欠けていき、やがて水平線の向こうに沈んでいきます。自分の人気が永遠のものではないと知っていたのです。

だからこそ、熱くなりすぎるソウルを蹴とばして、冷静に、ハイファイとローファイという二つの属性をうまく使い分けて、周囲の声にも浮かれず慌てず、自分の理想をコツコツと追いかけていく、という姿勢が大事なのです。



Ride on! 毎度 カワイイだけで大好きさ

ハイファイ ローファイ 俺はそれを愛と呼ぶよ

「Ride on!」と「毎度」も、対義語のように使われているのだと思います。上記の状況を参照するなら、「Ride on!」はロビンソン、チェリー、空も飛べるはずの大ヒットにより、ノリに乗っている状態。「毎度」はそれ以前の、裸のままでがめちゃめちゃヒットすると思いきや全然売れなかったという時代の、ポンコツアーティストとしての自分。どちらもスピッツであり、草野マサムネなのです。それら全部を認めています。「カワイイだけで大好きさ」と。

どちらの状態も、自分が積み重ねてきた結果です。ロビンソンがめっちゃ売れたとしても、裸のままでも、どちらも等しく愛しています。それがアーティストとして誠実な姿勢だと思っているようです。



さあ逃げろ 白い壁 突き破って

骨の音が 空に響くまで

ここもまた、ハイファイ・ローファイらしい、対義語で遊んでいる部分なのかなと思います。

「逃げろ」と「突き破って」は、通常の使い方だと真逆の意味になりますが、これがヒットチャートのことを表しているのだとすると、どちらも同じ方向に進んでいるような感じがします。ロビンソンなどの大ヒットにより、スピッツは後続から追われる立場になりました。とはいえ、上を眺めるとまだまだ高いところにも上っていけそうです。

「骨の音が 空に響くまで」は、死ぬまで音楽をやります、という意味なのかなと。マサムネさんが死んで白骨になっても、自分の骨を打楽器にしてビートを叩いて、そうやって作り上げた曲がヒットチャートの空を賑わす、なんて妄想をしている場面なのかなと。



ムダなことが こぼれそうでも

交尾のための生じゃなく

熱きソウル けとばして 今日も

追いかけて行く

「交尾のための生じゃなく」は、生まれたからには交尾するのが動物として自然だ、という思想に対する疑問です。

恋とは、最終的には交尾にいきつく過程ですが、タイパとかコスパとかを考えたら無駄なものといえるでしょう。さっさと交尾をしてしまえたほうが、効率的なのです。動物だったらそうするのに、なぜ人間は、恋という、ムダなものに頭を悩ませるのでしょう? ……と、交尾視点で物事を考えて行くと、そういう思考になってしまうでしょう。

でも、恋視点でものごとを考えると、交尾のほうが、むしろ邪魔なものになるのです。恋をしている時間が長ければ長い程、創作できるものが増えてきます。なのでアーティストとしては、さっさと交尾するという状況をなるべく避けることが大事です。とはいえ、これって本来の生物的な節理からすると、ムダなことをしている、ということにはなりませんか。

でも、マサムネさんはアーティストです。こういうムダなことを積み上げて、私たちに良質な音楽を届けようとがんばっています。「熱きソウル けとばして 今日も追いかけて行く」のです。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしたでしょうか。

詞の中は、もっぱらマサムネさんのアーティスト目線で進行していますが、これは私たちにも当てはまる感覚だと思います。この詞を、私たちの生活にも当てはめてみると、応用できる部分ってあると思うのです。というのも、マサムネさんの音楽に対するバランス感覚は、日常生活にも通じているんじゃないかなと思うんです。音楽では酸いも甘いも貪欲に取り入れて、地道にコツコツやっていく姿勢なのに、日常生活はもっぱらハイファイ寄りです、またはローファイ寄りです、とはならないと思うのです。金にモノを言わせて、毎晩歓楽街に通って美女を何人も侍らせてドンペリをがぶ飲みする、なんてこともないし、かといって「お金が入ったとはいえ、贅沢は絶対しないぞ!毎日カップラーメン生活だ!」ともならないと思います。これからもずっと音楽生活を順調に続けていけるように、適度にバランスのいいところを選択していっているのだと思います。

この詞を通じて、マサムネさんのこういう感覚を知ることができると思います。




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