こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「スパイダー」について解釈していこうと思います。
といっても、この八百屋さんの解釈というのは、普通のひとがやりそうな解釈ではなく、ちょっと変わった視点だけど、いかにもそれっぽい感じでこじつけをして、「まあそういう解釈もあるよね、面白いね」的な感じで捉えてもらえると丁度いい具合だと思うんですけど、今回の解釈は、まさにこじつけもいいところですので、いつもより「フーン」って感じで聴いてもらえれば幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
「スパイダーがアラビアンナイトだったって? こりゃあまた、トンチキなことを言ってるなぁ」
と思いましたか。そうですよね。私だって、別の人がいきなりそう言いだしたら、何を言っているのか、とビックリすると思います。
これから順番にご説明させていただきますので、ゆっくり洗脳?させていただければと思います笑
まず、アラビアンナイト、って、どういう話かはご存知でしょうか?
日本語訳では「千夜一夜物語」と書きます。「アリババと40人の盗賊」とか「アラジンと魔法のランプ」の原典にもなっている、中東の昔話です。このアラビアンナイトにはあらすじがあるんですけど、それはもうスリリングな話で。とあるペルシャの王が妻の不貞を知り激怒し、妻の首をはねてしまった。その後女性不信となった王は、街の生娘と一夜を過ごしては、その翌日に首をはねてしまうという悪行が続いた。みかねた才女シェヘラザードは、王の夜の相手に名乗り出ることに。彼女は命がけで毎晩、王の興味を惹く物語をする。話が佳境に入ったところで「続きはまた明日」と話を打ち切る。王は、話の続きが聞きたくなって、ついに1000日が経つ。という、すんごい話なんです。この、シェヘラザードが王に語った話の一部が「アリババと40人の盗賊」であり、「アラジンと魔法のランプ」だったんですね。
この、シェヘラザードの、命がけで王へ物語を説く状況が、どことなく、スパイダーの状況に似ているな、と感じたのが、私の仮説のはじまりとなっています。
つまり、歌詞中の「僕」というのは、スパイダーなわけです。
「スパイダーみたいに、汚くて卑しい人間」という比喩を表しているのではなく、完全に昆虫の「スパイダー」だったわけです。昆虫が、人間に恋をしている、というお話なのです。
みなさん、地下室に蜘蛛がいたらどうしますか? 駆除しますよね。殺虫剤で、シューッってしちゃいますよね。
この蜘蛛は、地下室にいることで、シェヘラザートと同じく、明日をも知れない命なわけです。でも、蜘蛛は君との対話を命がけで試みることで「千の夜」を越えようとしています。なぜなら、この蜘蛛は、君に恋をしたから。
と考えるのは、どうでしょう?
もう少し、詳しく見ていきましょう。
可愛い君が好きなもの ちょっと老いぼれてるピアノ
さびしい僕は地下室の すみっこでうずくまるスパイダー
洗いたてのブラウスが 今筋書き通りに汚されて行く
上記の解釈でいくなら、前半は難なく解釈できそうです。可愛い君が好きなものは、ちょっと老いぼれてるピアノです。つまり、ピアノを使うことができる、人間の女の子なわけです。一方の僕は、地下室のすみっこでうずくまるスパイダーなわけです。ここはそのまんまです。何も難しくないですよね。
「洗いたてのブラウスが筋書き通りに汚される」とは、どういうことでしょう? ひとによっては、これを「凌辱」と解釈するかもしれません。かわいい君を、汚れた存在である僕が、犯す。こんなふうにもとれます。
ただ、「筋書」という一文が、どうしても気になります。この違和感のある一文が、どうしても入れたいがために、こんな表現になったのではないか、と思えてならないのです。筋書とは、あらすじのことです。あらすじとはまさに、アラビアンナイトのあらすじと、スパイダーのこの場面とが、酷似しているではありませんか。
本来なら、君に殺されるべき存在だったスパイダー。でも、君がスパイダーの言葉に耳を傾けはじめたために、君のブラウスが汚れた、という表現ではないのでしょうか?
だからもっと遠くまで君を奪って逃げる
ラララ 千の夜を飛び越えて走り続ける
もうひとつ。この歌詞の場面を、誘拐だという捉え方もあります。そりゃ、さきほどの場面が凌辱だとしたら、ここが誘拐と解釈しても、なんら不思議はないと思います。
でも、それだと前後の文に不自然さが現れますよね。誘拐した相手と四六時中一緒にいなくちゃいけない状況になったとして、ラララ千の夜を飛び越えて走り続ける、なんて明るいテンションでいられるでしょうか。そりゃ一時の快楽に身をまかせたら、気持ちのいい瞬間も確かにあるでしょうけれども、そんなのすぐになくなります。ましてや、傷つけた相手から憎悪されながらの千の夜だなんて、地獄そのものでしょう。
ここは、やはりアラビアンナイト説がしっくりきます。逃げるのは、死からです。スパイダーである僕は、シェヘラザードと同じく、毎日毎日、死から紙一重のところで逃げ続けているのです。奪ったのは、君の関心です。僕がこうして語り続けていることで、関心を惹き、死から遠いところまで逃げ続ける、ということを言いたいのだと思います。
命がけの恋。これが、スパイダーという曲なのです。
もうずっと、このブログで何回もでてきていますが、「千の夜」という言葉がサビで使われていますが、アラビアンナイトの邦題が「千夜一夜物語」です。千の夜を飛び越えるというのは、アラビアンナイトの物語に当てはめれば「シェヘラザードは殺害から逃れ、王とシェヘラザードは正式に結ばれる」つまり「君と一緒になる」ということになります。
可愛い君をつかまえた とっておきの嘘ふりまいて
さびしい僕に火をつけてしらんぷり ハート型のライター
こがね色の坂道で加速したら二度と戻れないから
「可愛い君をつかまえた とっておきの嘘ふりまいて」
この部分は、いままでの解釈をなぞれば、難しくないですよね。嘘とは、物語のことであり、この物語によって、僕は君の関心を惹くことに成功している場面です。
問題は、次です。
「さびしい僕に火をつけてしらんぷりハート型のライター」
これ、「僕のハートに火をつけたな~!」的な、恋をする表現に思えるかもしれません。
でも、私の解釈だと、これはスパイダーが死にかけている表現です。実際、君がスパイダーを捕まえて、ハート型のライターをこすり、火であぶっている場面です。これは、僕がしくじったところでしょう。千の夜のうち、たった一夜でもしくじれば、すなわち、死です。
「こがね色の坂道」とは、夕陽が当たった綺麗な風景のことを想像しがちですが、ここでは「黄泉平坂」つまりあの世の入り口のことかもしれません。この坂で加速して転げ落ちたら、その先は死者の国です。もう二度とこの世には戻れません。
だからもっと遠くまで君を奪って逃げる
ラララ 千の夜を飛び越えて走り続ける
だからもっと遠くまで君を奪って逃げる
力尽きた時はそのときで笑い飛ばしてよ
ここでも、「力尽きたときは」と、死の表現がでてきます。スパイダーの僕にとって、君との恋は、死と隣り合わせなわけです。
でも、「そのときで笑い飛ばしてよ」と明るく言っています。壮絶な覚悟です。恋に命をかけるとは、こういうことを言うのでしょう。
マサムネさんは、「恋に命をかけるとは、どういうことなのか」と考えた時、この詞を生み出したのではないかな、と思いました。恋に命をかける、だなんて、通常では遭遇しない場面ですが、それをスパイダーに置き換えたら表現可能じゃないか、と思い至った、のかもしれません。
そう考えてみると、マサムネさんの非凡さが、またひとつ、明らかになりましたね。すごいですね。
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