こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、スピッツ「ジュテーム?」について解釈していこうと思います。
この曲、「いくつもの間違い重ねてる」とか「君がいるのはイケナいことだ」とか、なにやらイケナいことをしているように解釈する人もいるかと思います。
浮気でしょうか? はたまた不倫でしょうか?
「ジュテーム?」というタイトルなので、恋愛がらみのイケナいことと言えば、それが思い浮かぶと思います。
が、はたして、そうなのでしょうか?
この詞にて、表現されている内容とは、浮気もしくは不倫相手に「ジュテーム」と言っているということなのでしょうか?
ところで、「ジュテーム」とはフランス語で「君を愛している」という意味になるそうです。
「ジュ」が、私、で、「テーム」が「大好きだよ」という意味です。
では、大好き、とか、愛している、とはいったい、何なのでしょう?
恋愛って、そもそもどういうことを表す言葉なのでしょう?
新明解国語辞典によれば、
「特定の相手に特別の愛情をいだき、高揚した気分で、二人だけで一緒にいたい、精神的な一体感を分かち合いたい、出来るなら肉体的な一体感も得たいと願いながら、常にはかなえられないで、やるせない思いに駆られたり、まれにかなえられて歓喜したりする状態に身を置くこと」
だそうです。
恋愛したことがある方だったら経験があるかもしれませんが、恋愛において、特定の相手と精神的、肉体的に一体感を得たいと思いながらも、かなわず、やるせない思いにかられることも、よくあります。いやむしろ、恋愛的に満たされた状態よりも、満たされない渇望状態こそが、より恋愛的だと言えるかもしれません。
また、恋愛というのは、経験を重ねるうちに、恋愛的でなくなることもよくあります。たとえば、女性の気をひきたい場合、男性はどうしますか? 作戦として、いったん、気のない素振りをするでしょう。そうやって女性を安心させておいて、コミュニケーションを図ります。そのうち、何か理由をつけて軽い食事などに誘い、相手のことをうまく探りつつ、相手の関心を徐々に手繰り寄せていくわけです。それで感触がよければ、次のステップへ……、と普通の大人なら誰もが心得ている恋愛フローチャート通りに、コマを進めていくわけです。どうですか? 正しくマナーに沿った綺麗なアプローチだ、と思う一方で、恋愛的には違和感があると思うかもしれませんね。正しいようで、何か、正しくない。この話の流れ的には、なんとなく、そう感じる部分があるのではないのでしょうか。
そう感じるのは、純粋な恋愛には、イケナい要素が含まれているからです。
上記の辞書に書かれている文章をよくみてみると、もっぱら自分の気持ちしか書いておりません。恋愛とは、本質的には、相手の気持ちに沿うものではないからです。自分の欲が満たされず、悶々としている状態が、恋愛なのです。
恋愛とは、本質的には、独りよがりの、イケナいことなのです。
その、イケナい要素をなるべく出さないように、スマートにしようと思ったときに、こういう大人の作為的な、邪道的な、恋愛とは違う別のアプローチで、相手と繋がっていくしかなくなってしまうわけです。
恋愛目線で大人を眺めたとき、それはもう、恋愛と呼べるものではなくなっているでしょう。
逆に、相手に寄り添うことができる理性的な大人から見れば、純粋な恋愛こそ、邪道で、避けるべき状態だと、言えるかもしれませんね。
こういう観点で、この詞を眺めてみると、言おうとしていることが、なんとなく見えてきそうです。
この詞の主人公は、まだ少年です。その少年が、急に恋愛に目覚めて、もがき苦しんでいる様子、というのが、私の解釈です。
うれしいぬくもりに包まれるため
いくつもの間違い重ねてる
ジュテーム? バカだよな
「この感情は、恋愛だ……」と、少年は初めて自分が恋をしていることに気が付きました。はじめての感情で、どうしていいかわからず、戸惑っている場面です。
この感情が満たされると、幸福に包まれるのは理解しているのですが、その自分の幸福のために、間違ったアプローチを重ねてしまっているようです。「ねぇねぇ、松ぼっくりあげるよ~」とか「蝉の抜け殻あげるよ~」とか、彼女の喜ぶことをしようと努力しているのですが、どうも彼女は思うように喜んでくれません。
そんな彼女に対して、少年はわけもわからずに「ジュテーム、ジュテーム」と迫っていたとしたら、どうでしょう?
これは、「ジュテームだって? バカだよなぁ」と、誰もが思うに違いありません。大人になった少年が、過去の自分の行為を思い出して、赤面している場面かもしれませんね。
別にかまわないと君は言うけど
適当な言葉がみつからない
ジュテーム…そんなとこだ
君がいるのは ステキなことだ
優しくなる何もかも
「別にかまわない」と彼女はそんな少年のグイグイくるアプローチに、すました顔をしています。おそらく彼女は、少年のことなど相手にしていないのでしょう。
ここでの「君」は、この少年より、だいぶ大人だったのでしょう。この大人のお姉さんに想いを伝えるために、大人びた言葉が必要で、どこからか拾ってきた「ジュテーム」を採用した、という背景が見て取れます。
少年は、このお姉さんがいることで、ただそれだけで、ステキなことだなぁ、と想いが満たされているようです。
カレーの匂いに誘われるように
夕闇を駆け出す生き物が
ジュテーム! これからも
君がいるのはイケナいことだ
悩み疲れた今日もまた
少年は、夕暮れまで外で遊んでいました。でも母親に「ちょっと、いつまで遊んでいるの? 今晩はカレーよ~」と呼ばれて、「わーい」とわき目もふらず家に帰っていく様子が、この場面だと思います。
大人になった自分が、少年だった頃の自分を思い返すと、まるで別の生き物のように思えたのかもしれません。こういう、カレーに目のない単細胞な少年が、お姉さんのことになると、悶々と悩み疲れてしまうという、本当に、別の生き物みたいに、不思議なヤツだったんですね。
この時に、お姉さんに言い寄っていたセリフが「ジュテーム!」で、そしてこれらもお姉さんの背中を追いかけていくんだろうな、と少し大人になった少年が、面白おかしく、その当時のことを思い出している場面なのだと思います。
ステキなことだ、と満たされつつ、イケナいことだ、と不満で終わるこの詞には、少年の、お姉さんに対する甘酸っぱい感情が詰まっているようです。この恋は成就することなく終わり、少年はずっと恋愛という渇望状態に悩まされながら、楽しく過ごしていくことでしょう。
胡弓の、ノスタルジックな演奏が加わることで、少年期に迷い込んだ、かなわない恋を表現しているようです。
ちなみに、この詞のタイトルは「ジュテーム?」となっていますが、どうして「?」をつけたのかも、上記のように解釈していくと、なんとなく解読できそうです。
恋愛とは何かをよくわかっていない状態こそ、恋愛に一番近い状態なのです。でも、この強い恋愛感情が、君との強い絆に結び付かないという儚さが「?」に現れているのではないのでしょうか。
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