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スピッツ「シロクマ」にみる、草野マサムネTwitterやってた説。



こんにちは、八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「シロクマ」について解釈してみたいと思います。

ブログタイトルにもありますとおり、この詞は、マサムネさんがツイッターをやった感想を表現したものなんじゃないかなと思うのです。

まず、シロクマというタイトル。マサムネさんが詞の中によく動物を出してきていますが、これには意味が必ずあります。犬は従順さ、猫は可愛さや自分勝手さ、魚は進化、鳥は自由さ、コウモリは邪な心、など、それぞれ効果的に使っています。今回はシロクマが登場していますが、シロクマって、どんなものを表現した動物なのでしょう。シロクマから私たちが想像するイメージって、何なのでしょう?

私は、動物園でみんなの注目を集める動物だと思うのです。

シロクマは、つまり、インフルエンサーになりたくて、頑張っている動物なのだと思うのです。

これを踏まえて、歌詞を眺めていきましょう。




あわただしい毎日 ここはどこだ? すごく疲れたシロクマです

強い日差しから 逃れて来た しびれが取れて立ち上がれば

インフルエンサーを動物園のシロクマに例えているところ、感性がすごいなと思います。もうこれだけで、この詞の役割の大半が完了しているようにも思えます。

インフルエンサーって、自由に生きていて、注目を集めていて、めっちゃサイコーだと一般の人は思います。でもインフルエンサーからしてみたら、動物園の檻に閉じ込められて、見世物にされているような感覚なのです。来場者に対して、「私は自由気ままなシロクマよ、オホホホ」と気取ったりもしていますが、その実は、閉じ込められて見世物にされて、その対価としてエサにありつける生き物なのです。自由気ままに生きているよう、演出するように強制されている生き物なのです。

もちろん、動物園のシロクマと違って、インフルエンサーは、やめる自由もあります。辛い思いをして檻に閉じこもるぐらいなら、辞めて自由になる生き方もあるでしょう。でも、ツイッターやってる人ならちょっと経験あるかもしれませんが、やめなくても、やめられないんですよね。そこで繋がった人間関係もあるし、自分の投稿を楽しみにしてくれるフォロワーさんもいる。応援してくれるフォロワーさんもいる。いったん、優しい言葉をかけてくれた人と巡り会ってしまったら、そういう人たちの期待に反するようなこと、なかなかできないんですよね。

そうやって、ずるずると見世物を続けて、いいね!というエサを貰う生活を続ける羽目になったマサムネさん。

マサムネさんは、公式には「ツイッターやってます」とは明言していません。むしろ、批判的な書き込みを目にしたくなくて、一切見ない、とさえ言っていました。なので、「草野マサムネ」とかっていうド直球なアカウント名では、やってなかったと思います。身バレは一切しないように、スピッツを匂わす名前の付け方はしていなかったと思います。例えば「素敵なオリーブ@アボカド大好き」みたいな名前で、ツイッターやってたのではないのでしょうか。

このアカウントにて、日々思ったこととか、食べたものとかの投稿をしてみたところ、思いのほかフォローしてくれる人が増えた。当然でしょうけれども、マサムネさんが本気だせば、文章だけで人を惹きつけることができると思います。マサムネさんが醸し出す甘い蜜に惹きつけられた蝶のように、たくさんの人々が魅了され、それなりに大きなアカウントになっていった、と想像します。

アカウントの大きさと比例するように、生活もあわただしくなっていきました。「なにか、ウケること投稿しなくちゃ…」という思いが、生活の中心になっていったのです。美味しいパン屋さんに行った、綺麗な花を見つけた、可愛い猫と遊んだ、…と、本当にそれが自分にとってやりたいことなのかわからないまま、丁寧でオシャレで、みんなから注目されて、いいね!をいっぱいもらえるような、強い日差しを浴びるような生活を強制されていったのです。

そんな生活をはじめてしばらくたった後、マサムネさんは気づくのです。

「あれ? これって檻に入ったシロクマじゃね?」と。



ちょっと遠い景色 簡単ではないけど

ビンの底の方に 残った力で

今すぐ抜け出して 君と笑いたい まだ跳べるかな

物語の外へ砂漠を越えて あの小さい灯

星になる少し前に

ツイッターに依存するあまり、生活する労力の大半を奪われて、めっちゃ疲れてしまったマサムネさん。本当なら、大切な「君」との交流の時間もあったはずなのに、空き時間にはずっとスマホポチポチ。スマホの充電が減るように、自分の気力もビンの底まで減っていることに気が付きました。

「今すぐ抜け出して」とは、自分をシロクマに見立てて、檻の外に抜け出すことを指しているのだと思います。つまり、ツイッターから離れて、現実の君と笑いたい、と行動を起こすことを指しているのだと思います。自分のアカウントのフォロワーさんにではなく、現実の君と、ステキな景色を共有したいと思っています。飛行機で海外に跳んで、見てみたかった砂漠の街の灯を君とみる。それが大事だと気が付いたのです。

「星になる少し前」の部分ですが、この風景を写真に撮って、ツイッターに載せようとしていることを表しているのだと思います。この時代のツイッターのいいね!は、お気に入り、と呼ばれていました。Favoriteをローマ字読みした「ファボ」と呼んでいたのです。また、このボタンはハート型ではなく、ホシ型でした。ファボを募る場合は、「星を集めています。星を沢山ください」なんて言い方をしていたのです。

この、君と見た観光地の風景は、やがて不特定多数に共有されて、星まみれになることでしょう。でもその前に、君との二人だけのものとして、共有したい。そういう思いでいるようです。



惑わされてきた たくさんの噂と

憎悪で汚れた 小さなスキマを

ここです。

うまく伝わるかわからないですけど、マサムネさんの手掛ける詞というものは、だいたいこの部分、2回目のサビか、大サビか、大サビの一歩手前に、確信を突く深い内容が描かれている場合が多いと感じます。

この部分は、ツイッターだけでなく、SNS全般に言える内容ではないかと思います。だいたい目立つのは「たくさんの噂」とか「憎悪で汚れた」ツイートです。自分の感性に合う人を発見するためには、それら憎悪のツイートをかき分けていかなければいけません。まるで小さなスキマを探すような手間です。

逆に言えば、面白いツイートを発見するのに、多くの噂や憎悪を眺めなければいけないのが、SNSの世界なのです。



今すぐ抜け出して 君としゃべりたい まだ間に合うはず

地平線を知りたくて ゴミ山登る 答え見つけよう

なんとなくでは終われない

星になる少し前に

ここもまた、SNSでは表現できないけど、大切な部分です。

SNSの世界は、正しいのです。さっきの、憎悪で汚れたツイートだって、中身は正論のはずです。強い攻撃的な口調で正論を言うのが、もっともいいね!を集めやすいツイートなのです。

でも、実社会というのは、多くの矛盾の中にあります。地平線という、素晴らしく綺麗なものを眺めるのに、汚いゴミ山を登る必要があります。汚いゴミ山を登った先に、美しい地平線が広がっているということもあるのです。ただ綺麗なものだけが存在するなんてことは、ないに等しいのです。綺麗なものだけに囲まれて生きれたらいいんですけど、そういうわけにはいかないのです。でも、SNSにいると、つい、人生は清濁であることを忘れてしまうのです。そして綺麗なものを求めるあまり、汚いものを攻撃してしまうのです。

「綺麗な地平線を眺めているなら、その足元もきっと綺麗ははずに違いない。ゴミ山なはずがない」と。

自分は、そんな、綺麗な正論だけで注目を集めるインフルエンサーじゃなくて、もっとちゃんと、君とか、現実に向き合いたい。そうして答えを見つけたい、と願っています。

なんとなくでは、終われない、とも。自分は、SNSを眺めれば沢山いるようなシロクマのように、綺麗で耳障りのいい正論を使って人気を集めるのではなく、草野マサムネであることに向き合って、それが綺麗でも汚くてもいいから、自分なりの答えを見つけていきたい、と、そういうふうに考えているんじゃないのでしょうか。




という感じで解釈してみました。

どうでしょう? もし、このとおりの解釈だったとしたら、ツイッターに関する解像度が高すぎると思いませんか?

まさに、使いこなしている人にしか、到達できない観点だと思うのです。フォロワーさんから沢山いいね!を貰ったり、あるいは批判されたりといったことを、一通り経験したことでしか、到達できない感覚が、この詞に込められていると思うのです。

もし、マサムネさんが、こっそりツイッターをやっていたとしたら、どんなアカウント名だったのでしょう?このブログでは勝手に「素敵なオリーブ@アボカド大好き」なんて、マサムネさんが好きそうな食べ物の名前を羅列してみましたが、意外と「チャーハン@ラーメン大好き」というアカウント名にして、全国ラーメン食べ歩きのレポを投稿していたかもしれません。なんてったって全国ツアーしますからね。そして、マサムネさんと交流したり、あるいはマサムネさんからいいね!を貰ったファンもいるかもしれません。

シロクマの歌詞解釈に共感できたのなら、そんな想像をするのも、楽しいですね。



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