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スピッツ「シャララ」は、ギャップに苦しむスピッツ説。



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「シャララ」について解釈していこうと思います。

シャララという言葉自体には、そんなに意味がないそうです。音楽を口ずさむときの、ラララ、ぐらいの感覚のようです。

私がシャララと聞いて一番最初に思い浮かぶのは、カーペンターズの「Yesterday Once More」です。エビシャラララエビウォウウォウっていう部分が有名ですね。この部分は、「Every sha-la-la-la Every wo-o-wo-o」と言ってるんですけど、日本語訳では「すべての歌、すべての曲」と訳しています。歌のことをsongという名詞を使わず、シャララ~という擬音語で表現しているんですね。素敵ですね。

先ほどは、シャララ自体には意味はないと申しましたが、音楽を生業としているアーティストにとっては、重要な意味になりそうです。単に歌という名詞を指すのではなく、実際の音として表現したい、主張したい、そんな意図を、「シャララ」という言葉のチョイスに感じます。

スピッツが「シャララ」をタイトルにしたのも、そういう意思表示に思えてきます。




いつも正しくあいさつ 裏表無い笑顔で

シャラララ…シャラララ…シャラララ…

明るい明日を信じて さっそうと駆け抜けてく

シャラララ…シャラララ…シャラララ…

「いつも正しく」「裏表無い笑顔で」「明るい明日を信じて」の部分は、まさにスピッツのライト層が、スピッツに感じているイメージだと思います。そしてそれは、スピッツのメンバーも重々理解しています。「俺たちって、清く正しく美しい青春ソングを作る人たちなんだよね」と。



そんなのは俺じゃない

全てをブチ壊してやりたい そんなこと考えたり

視界がボヤけて

君の声が聞きたい でも君はもう誰かの恋人?

でも、「そんなのは俺じゃない」とサビで叫んでいます。まさにこれが、スピッツが一番言いたい事なのだと思います。

スピッツの活動をずっと追いかけているような、だいぶ熱心なファンなら薄々気が付いていると思いますが、スピッツって、ロックバンドなんですよね。曲によっては、ひねくれていたり、反骨精神がたっぷり詰まっているような曲もあります。でもCMやドラマなどでの曲の使われ方が綺麗なものばかりだったので、「清く正しく美しい青春ソング」としてイメージが定着してしまいました。これが、本人たちにとっては、「そんなのは俺じゃない」ということになりますし、「全てをブチ壊してやりたい」と思っている原因なのです。

とはいえ、「君」というファンがいての、スピッツです。もし「君」が「清く正しく美しい青春ソング」を作ってくれるスピッツが好きだったとしたら、実像であるロックなスピッツをみたら幻滅してしまうでしょう。「あ~スピッツは私の好きなスピッツじゃなかったわ。スピッツはもうやめて、ミスチルきこーっと」って、なってしまうではありませんか。なので、「ライブ会場とかで君が応援してくれる声を俺は聴きたいけれど、もしかして君は、もうミスチルとか別のアーティストのファンになっちゃった?」と不安がっているのだと思います。

「視界がボヤけて」とは、「ロックでいくのか、青春ソングでいくのか、目指すべき方向がたまによくわからなくなって、軸がブレちゃうんです。だって君が、どんな曲を俺たちに求めているのか、よくわからなくって…」と言いたいんじゃないかなと。



ケータイ ハンカチ 胃薬 何かがあってもノープロブレム

シャラララ…シャラララ…シャラララ…

「ケータイ ハンカチ 胃薬」は、マサムネさんが作詞作曲するときに持ち歩いているグッズなのだと思います。アーティストが作品を生み出すには「生みの苦しみ」があります。マサムネさんがもっとも苦しいのは、作詞作曲している時だと思います。「君」というファンが自分たちに、どんな音楽性を求めているのかを常に悩んで「視界がボヤけて」いる状態で、考えて考えて、やっと出来上がっているのですから。そりゃあ胃薬もいるでしょう。



薄めず 呑みこめ

色気の無い中から 色気を見つけたいはずなのに

優しくしてくれ

誰でもいい 少しでもいいから 優しくしてほしい

「薄めず 呑みこめ」は、何にかかっているのかというと、「いつも正しく」「裏表無い笑顔で」「明るい明日を信じて」の部分だと思います。自分たちのパブリックイメージを受け入れろ、と自分に命じている部分なのだと思います。1番では、「そんなイメージなんてぶち壊してやりたい」と願っていながら、2番では「でも清く正しく美しい青春ソングを作ってほしいファンもいるから、そういうご要望も薄めず呑みこまなくちゃ」と思っています。つまり、スピッツの曲は、こうした葛藤から生まれているというわけです。

「色気の無い中から 色気を見つけたいはずなのに」とは、愚痴だと思います。「ほんとは、俺たちはロックで、性愛とか死をガンガンに表現したいと思ってます。いやぁ、確かにフレディ・マーキュリーやデヴィッド・ボウイとかに比べると、そんなに色気なんてないけれども。でも、俺たちなりに、頑張って、エロを表現していきたいと思いまーす! ……えっ? お前たちは青春ソング担当だから、エロい曲とか作るなって? そんなぁ~~!」っていうことを言いたいのだと思います。

このように、スピッツのパブリックイメージと実像とのギャップは、曲を作るうえで、結構な障害となって、マサムネさんの頭を悩ませているようです。こんな苦しい思いを一人でモンモンと抱えているので、「優しくしてくれ~」って言ってるのだと思います。




曲作りの本質ということをテーマにしたであろう「シャララ」において「優しくしてくれ~」という叫びは、かなり差し迫った問題かもしれません。マサムネさんは、「どうすればいいんだ、助けてくれ~」と言いたいのだと思います。

私は、いちスピッツファンとして、「好きにしてくれ~!」と返答したいと思いますが、みなさんは、どう思いますでしょうか? 自由に曲を作ってくれることが、マサムネさんの幸せなら、それでいいと思います。

……とここまで書いていて思いましたが、この「シャララ」は、そういったジレンマから生まれた曲です。悩みがあったからこそ、出来上がった曲なのです。かつて歴史作家の司馬遼太郎さんが「私は戦後の日本政府に腹が立ったから小説を書き続けられた。もし日本が幸せな国だったら、私は小説を書かなかっただろう」なんて言っています。苦しさこそ、作品を生み出す原動力になっているのかもしれません。「シャララ」では、生みの苦しみそのものが描かれていますが、私たちはマサムネさんの苦しみさえも、「シャララ」という作品を通じて、心の栄養として摂取することができるのです。それが芸術の本質であり、音楽の本質であるといえるでしょう。

とすると、スピッツを応援したいファンとしては、「苦しまないで」というスタンスでいればいいのか、それとも「もっと苦しめ」というスタンスでいいのか、とても迷うところです。まぁでも、胃薬が必要なぐらい思い悩むのは、身体の健康という意味でも避けてもらいたいところではありますよね。私としては、できるだけ長くスピッツの曲を聴いていたいと思っていますから。



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