こんにちは。八百屋テクテクです。
今回は、またまた謎の多いスピッツの曲「コメット」について、解釈していこうと思います。
さて、この曲は、いったい何の曲なのでしょう?
この曲はといえば、大会社に入社した無能(に見られていたけど実は有能)な新人を描いたドラマ「HOPE」の主題歌に選ばれました。このドラマは私もチラチラ見ていたんですけど、主人公がみんなから使えない人材扱いをされて、大変な思いをしていました。最後はまぁまぁ周りに恵まれる形になっていったのですが、視聴者の働く意欲を削ぐには、十分な内容だったのではないのでしょうか?
そんな、鬱々とした展開のドラマの主題歌というわけですから、曲もそれに沿った内容なんじゃないかなと思うんですけど、一見すると、そうには見えません。
タイトルの「コメット」は、金魚の品種で間違いはなさそうです。歌詞の中にも「黄色い金魚」とか「ヒレ」とか出てくるので、金魚を主人公にした曲でしょう。他にも彗星とか、会社とか、コメットにはいろいろあるんですけど、ここは金魚のコメットです。
でも、金魚が主人公であると決定したところで、この歌詞を解釈するには材料が足りないでしょう。これは悲しい曲なのか、楽しい曲なのか。よくわからないのが、みなさんの正直なところなのではないのでしょうか。
そこで、私なりに出した結論なのですが、ブログのタイトルにあるように、ブラック企業で働く社員の転職物語説を提唱したいと思います。
ブラック企業で働くことで、その殺伐とした日々を過ごしているうちに、人の心を忘れた彼だったが、優しい君と出会ったことで、人としてのこころを取り戻す物語、なんじゃないかなと。
歌詞を順番に見ていきましょう。
誰でもいいよと生き餌を探して
迷路の街角で君に会った
訪問販売の営業職とかでよく聞く話なんですけど、例えば高級羽毛布団を「飛び込み営業で毎日10点売ってこい」みたいな命令が、会社の上司から下されるところってあるわけです。朝礼で「今日は10点必ず売ります!」って大声で言わされて、駆けずり回ったけど達成できず、会社に帰れば上司に夜遅くまで怒鳴られる、までが1日の通常業務。そんな業務形態の会社って、営業職ならままあるでしょう。
こうなると、自分が生き残るために、手段を選んでいられないでしょう。高齢者や女性など、気の弱そうな人間をターゲットにして、いわば「生き餌を探して」、どうにか売りつけてやろう、と営業活動をするようになります。
そんな出口の見えない、迷路みたいな人生の岐路において、君に会った、という場面なのだと思います。
黄色い金魚のままでいられたけど
恋するついでに人になった
営業のトップセールスと言われる人は「人に嫌われても、数字上げれば正義」みたいなマインドを持っています。売上のためなら、あくどいことも、姑息なこともやる。人間性を捨て去り、結果だけを追い求めることが、会社で評価してもらうには必要だからです。
そういう強いマインドをもって、主人公の彼は、これまで営業活動にいそしんでいました。いわば、ただ生き餌を求める金魚のように。
でも、「君」に恋してしまったために、この生き方に疑問が生じてしまいます。
ここで「恋」って言ってますが、その後の展開を考えると、「君」は自分の子供、というふうにも見えます。子供に恋している、というと、なにやら語弊がありますが、ようは、自分の子供としっかり向き合ったことで、本来の自分に気が付いた、という場面なのだと思います。
「このまま、人の心を捨て去ったままで、いいんだろうか……?」
高額な商品を売りつけるようなあくどい営業をして他人に嫌われている現実と、君に好かれたい、という願望が、ここで矛盾を引き起こし、ぶつかり合ってしまうのです。その結果「人になった」ことを選んだため、これ以降、主人公は、人としての心を取り戻そうと、転職を決意するのです。
押し寄せる人波に 流されないように
夕暮れ ホームへ駆け上がった
これは、転職活動をはじめたシーンです。
えっ、これだけで、どうして転職活動だってわかるのか、ですって?
そうなんですよね。普通なら、ただ電車に乗るだけじゃないか、と思うかもしれませんが、この物語の流れと、このホームでの主人公の様子を考えると、そういう結論が導き出される、という、かなり手の込んだシーンなのです。
ブラック企業で働いている人は、まず夕暮れに駅のホームにいくことがありません。夕方から夜遅くまで、会社で上司に怒鳴られなきゃいけないという、きつーいお仕事がありますからね。営業先から会社に戻るために駅を利用したとも考えられなくもないですけれども、この場合はたぶん違います。営業先から会社に戻る足取りは、結果が伴っていないためにたいてい重く、押し寄せる人波にはたいてい流されてしまうからです。駆け上がる、なんて軽やかな足取りであろうはずがないからです。
この、駆け上がる、という意思の強さを感じる行動は、転職に向けて行動している、という表れでしょう。そう考えると、「押し寄せる人波」というのは、今まで会社内の雰囲気に流されていた主人公でしたが、ついに、自分の意志で行動しはじめた、という比喩なのかもしれません。
「ありがとう」って言うから 心が砕けて
新しい言葉探してる
見えなくなるまで 手を振り続けて
また会うための生き物に
サビですが、なんの情報もない状態でこの部分を聴くと、すんごい違和感がありますよね。
なんで、感謝されて、心が砕けちゃっているのか、とか、また会うための生き物に、の続きはなんなのか、とか。
情報がブツ切りになっているので、いったいどういう状況なのか、さっぱり見えなくなっているんですよね。
でも、この歌詞を「あくどいブラック企業からの転職活動のシーン」という情報を入れることで、解読がしやすくなります。
たぶん「ありがとう」と「君」から感謝されたシーンで、主人公の口から出てきたのは「いえーっ、こちらこそありがとうございました~!またどうぞよろしくお願いいたしますぅ~!」みたいな、薄っぺらい営業口調だったのでしょう。形だけ感謝したり、謝ったりするのに慣れきってしまって、自分の言葉が軽くなってしまっていることに絶望したシーンなのではないのでしょうか。顧客をだます言葉と、大事な君にかける言葉が、まったく同じだったことに、耐えられなくなってしまったのです。そうやって、彼女に冗談まじりに、指摘されたのかもしれません。「なんかお父さんって、胡散臭いね」とか。
「やっべ、営業口調にならないようにしよう……」と思うあまり、言葉がだんだん出てこなくなってしまって、本当の、人間らしい言葉が使えなくなってしまっていて……、というより、自分の子供に誇れるような、立派な人間じゃないことに気が付いて、ついに心が砕けてしまったんじゃないかなと。
だから、「新しい言葉」を探す必要があったわけなんですね。人間として、他人に誇れる仕事をする人間としての言葉を。
「見えなくなるまで手を振り続けて」とは、この場で、主人公ができる、精一杯の表現なのでしょう。言葉では伝わらない想いを、なんとか伝えるには、こういう方法しかなかったんです。
「また会うための生き物に」の続きは、なる、とか、なりたい、という言葉が続くのでしょう。人に感謝されるような、社会の役に立つような、まともな仕事に転職する、ということなのだと思います。
すりむいた胸の奥に 痛みはあるけれど
可愛らしい戯言に 救われた
小さな女の子が発する、「ちゃんとしてれば、そのうちいいことあるよ」とか「神様は、きっと見てるよ」とか、そういう戯言を発するのは、小さな子だからでしょう。そして、それに救われている主人公がいます。
「さよなら」ってやだね 終わらなきゃいいのに
優しいものから離れてく
明日は来るかな ゴムボールが愛しい
転がってどこへ 追いかけて
どうも、この子と主人公は、離れて暮らしています。たとえば奥様とは別居状態で、子供は奥様が育てているというような。
この幼い子供と別れる悲しさが、この詞に現れています。やだね、っていう優しい言い方が、もう小さな子供に対する表現です。
ゴムボールは、子供の持ち物でしょう。このボールが転がる様を、自分の人生に見立てているのかもしれません。
切れそうなヒレで 泳いでいくよ
想像より少し遠いとこ
「人になった」と言いつつも、主人公にはまだ、ヒレがあります。若い人なら第二新卒として、まったく畑違いの仕事もできるでしょうけれども、ある程度の歳になったら、前の仕事のスキルを活かせるような会社にしか転職できません。営業なら営業、技術職なら技術職、というふうに。ヒレで泳いで行ける先は、やはりヒレを使う仕事しかないのかもしれません。
でも、最期の「想像より少し遠いとこ」という部分に、何か希望を感じます。営業の転職先が営業って、想像通りなわけですから、それより少し遠いところにチャレンジしている、ということでしょう。子供との、幸せな生活を送るには、いったいどうすればいいのかを、主人公なりに考えている、ということでしょう。
というように解釈してみましたが、いかがでしょうか?
コメットが主題歌となったドラマ「HOPE」は、新人が奮闘する話でしたので、同じ会社員としての苦悩を描いたものだと言えなくもないですけれども、この解釈だと真逆の意味になってしまいます。
アナタなら、コメットに、どんな意味を持たせますでしょうか?
なんの前提もなく眺めてみても、ちょっとの寂しさと、希望を感じるような曲になっていると思いますので、独自の物語を重ねてみるのも、面白いかもしれませんね。
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