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スピッツ「りありてぃ」は、マサムネさんのリアルな内面説。~スピッツ歌詞解釈~



こんにちは。八百屋テクテクです。

今回は、スピッツ「りありてぃ」を解釈していこうと思います。

まず、りありてぃ、とは、英語のRealityのことだと思いますが、どうして英語やカタカナではなく、あえてひらがななのでしょう? 普通、英語を日本語に変換するときって、カタカナを使いますよね。たぶんひらがなした意図は、深刻になりすぎないようにしよう、という配慮の表れなんじゃないかなと。

リアリティとは、真実という意味です。それを、普段使いのように英語やカタカナで使ってしまうと、「まじでこれが真実だから!」と、なにやら深刻な感じになってしまいます。

しかしながら、ひらがなで「りありてぃ」とすると、どうでしょう? なにかそこに面白みが加わってくるような感じがします。しませんか? まあとにかく、カタカナや英語表記ではない、ひらがな表記にすることで、「真実かもしれないけれど、まぁ、そんな深刻にとらえないで欲しい」といった意図が見えるようです。

とはいえ、スピッツの、草野マサムネさんが、「これは真実です」とした詞って、何が描かれているのでしょう?

歌詞を順番に追って、見ていきましょう。




まるで見えないダークサイド それも含めて愛してる

たまってる爆鳴気 ゆっくり注意深く触れ

「爆鳴気」とは、いわゆるガスのことです。点火すると急激に反応し、熱や光とともに爆音を発するような混合気体のことを表しています。これを爆発させないよう、ゆっくり、注意深く触っている様子を表しています。

これは、マサムネさんの才気についての表現なんじゃないかなと。

アーティストが作品を作る場合、自分の中の芸術性を爆発させることが大事だと言われています。「芸術は爆発だ」とは、天才芸術家の岡本太郎さんの言葉です。芸術は、自分の中にある感情、感性、いろんなものを爆発させて、表現させていくことのようです。特に昭和時代の小説家や音楽家というのは、金を派手に使い、酒に溺れ、女を抱いて、自堕落極まりない生活を送り、その中で自分の芸術性を磨いていったのです。漫才師などもそうですね。不倫やバクチを「芸の肥やし」だなんていって、開き直っている人もいたと思います。

マサムネさんもまた、この、生死ギリギリの状況を作り出すことでしか、芸術性が磨かれないと思っているのでしょうか?

いや、違います。マサムネさんは、自分の芸術性を、「ゆっくり注意深く触れ」と自分に命じています。欲望のまま、ガスを大爆発させて、まわりに迷惑をかけてはいけない、と戒めています。欲望のまま快楽に溺れることで芸術性が磨かれること自体は否定しないものの、それを解放するのは、注意深くしよう、と気を使いながらやっています。

前後しますが、マサムネさんにも、ダークサイドがあります。後半が、マサムネさんの芸術性に対しての向き合い方だとすれば、前半もまた、マサムネさんの持ち物の話になります。自分の持ち物を大事にして、愛することが、自分の創作活動上大事にしていることだよ、というわけです。

この曲「りありてぃ」は、終始、マサムネさんの、アーティストとしての内面に向き合っている、内面の「りありてぃ」の内容になります。



あの娘が生まれ育った 街は今日も晴れ予報

まったく興味なかった ドアノブの冷たさにびびった

それでは、例えば次に作りたい詞の内容について、特定の「あの娘」を登場させる場合、どうしているのでしょう? 「芸術を爆発」させる系のアーティストの場合は、そりゃあもう、自分の権力とかを最大限利用して、あの娘をいきなり抱きすくめたりするのでしょう。俺様は、アーティスト様だぞ、と。今は性加害問題として取り上げられるようになりましたが、いいかえれば、少し前の時代では、そういうことが普通にあったのです。芸術のためならば、まわりを多少犠牲にしても仕方がない、と。そういう空気があったのです。

でも、マサムネさんは、そういうやり方をしていないようです。何をしているかというと、あの娘が育った街の天気を調べています。あの娘は、どんなところで、何を想って、過ごしたんだろうな、と空想することが、マサムネさんの芸術性にとっては重要だったのです。

ドアノブのくだりも、マサムネさんの小市民さを物語っています。「あれ? ドアノブってこんなに冷たいんだ」と今更ながら気が付いた、という一幕こそが、マサムネさんの創作にとって重要だったりするのです。

他人の内面にガチガチに入っていかなくても、自堕落な生活に身をやつさなくても、こういう、ちょっとした気づきこそが、マサムネさんにとって必要なことなのです。



変わった奴だと言われてる 普通の金魚が二匹

水槽の外に出たいな 求めつづけてるのさ

僕のりありてぃ りありてぃ

無茶苦茶をして芸術性を高めているアーティスト連中にしてみれば、マサムネさんのことは、「なんだ、あいつ」と思うでしょう。アーティストは、他人も自分自身さえも、ありとあらゆるものを犠牲にして、その代償として、芸術性を手に入れているのです。それなのに、マサムネさんがやっていることは、あまりにも「普通」なのですから。「普通」なことをしているのに、アーティストとしてやっていけている。これは同業者にしてみれば、「変わった奴」ということになるでしょう。

そして、マサムネさんもまた、自分のことを「普通」だと思っているし、それが「変わった奴」だと認識されていることもまた、理解しています

しかしながら、マサムネさんにもまた、自分の芸術性を高めたいという欲求は備わっています。「水槽の外に出たい」つまり、自分の限界を越えた、いい作品を作りたい、とも思っています。いままでは、普通であり続けてこれたけれど、これ以上の高みに上るためには、何かを犠牲にしなくてはいけない時がくるかもしれません。どうしよっかな~自堕落な生活やろうかな~、と悩んでいます。

「普通」で、「変わった奴」、だけど、「水槽の外に出たいな」とも思っている。これが、スピッツの天才アーティスト、草野マサムネの「りありてぃ」というわけです。



犠牲の上のハッピーライフ 拾って食べたロンリネス

終わらない負の連鎖は 痛み止めで忘れたけど

「犠牲の上のハッピーライフ 拾って食べたロンリネス」は、まさに、芸術のために無茶苦茶をして、いろんな犠牲を生み出して、そんな芸術性が評価されていることを表しています。これを「終わらない負の連鎖」と言っています。そんな芸術性の発揮の仕方をしていたら、いつかは身を亡ぼすことは、わかっているんですよね。

とはいえ、「芸術は爆発」です。そうしなければ、今いる限界を突破できないことも、アーティストとして痛感しています。

悩んだ末、この痛みを、痛み止めで忘れることにしました。マサムネさんは、自分の芸術性を高める「正しさ」よりも、「正しさ以外」を求めることにしたのです



正しさ以外を欲しがる 都合悪い和音が響き

耳ふさいでも聴こえてる 慣れれば気持ちいいでしょ?

君のりありてぃ りありてぃ

「正しさ以外を欲しがる」ことは、純粋なアーティストではない「都合悪い和音」だと、マサムネさんは自分を責めています。アーティストにとっては、何を犠牲にしても、芸術性を高めることが正義なのです。マサムネさんの「芸術性は、ほかの人に迷惑にならないようにしたいんです」という主張は、邪道だと自分でもわかっています。

でも、この邪道も、「慣れれば気持ちいいでしょ?」と、言っています。

ここでの「君」は、スピッツのファンを指しているのだと思います。「君がマジメに聴いていた僕の音楽は、実は、こんなもんなんです」と、ファンのりありてぃを暴露している部分なんだと思います。さらに、「僕の音楽は、ほかの芸術家からすれば浅い芸術性かもしれないけれど、でも慣れれば、いい感じでしょ?」と問いかけています。少し申し訳なさそうに、下から目線で、ねえねえ、これでもいいでしょう? と訴えているようです。



さらし者のツミビト 明日は我が身隠れて

ヌンチャク手に入れるまで どっちにも取れるスマイル保って

ここは、マサムネさんの立ち位置を表しています。

「さらし者のツミビト」は、昨今性加害などでバッシングを受けているアーティストのことだと思います。無茶苦茶をやったツケが回ってきたのだと思います。爆発の危険性がある、芸術という危険物を扱っている以上、扱い方を間違えれば、「明日は我が身」というわけです。

どの方面にも睨まれたくないので、無茶苦茶をしているアーティスト連中に対しては「いやぁ、すごいっすね~。僕も自堕落な生活やって芸術性高めたいとは思っているんですけど、なかなかねぇ…。憧れますわ~」とヘコヘコしているし、規則正しく美しく生きているのだと信じてくれている、自分のファンや関係者に対しては、「みなさまのご迷惑にはならないよう、これからも規則正しくやっていきます」と、いい顔をしています。両方に、いい顔をしているわけです。

ヌンチャクとは、武器です。マサムネさんが、強大な権力を手にしたら、好き勝手するつもりでいます。でも、そんな日は来ないので、今日もまた、あらゆる方面に、スマイルを振舞っているというわけです。



新しい世界を夢想する 普通の金魚が2匹

水槽の外に出たいな 求めつづけてるのさ

僕のりありてぃ りありてぃ りありてぃ りありてぃ

最後は、「新しい世界を夢想」したり、「水槽の外に出たい」と願っています。

いろいろ言ったけど、でも、アーティストとして、もっといい音楽を作りたいと思っているのは事実だよ、と言いたいのかなと。

いままでの「りありてぃ」は、「君はこう思ってたでしょ?でも実はたいしたことないんだ…」という、自分を卑下している意味での、りありてぃでした。でも、この最後の部分に関しては、「ちゃんとアーティストとして、いい曲を作っていきたいんだ」という、かっこいい部分に昇華しています

こういう、逆転現象が、この詞のかっこいい部分です。




という感じで解釈してみましたが、いかがでしょうか?

最後の逆転現象は、丁寧に解釈してきた末に発見できる、かっこいい部分だと思います。

こういうのがあるので、スピッツの歌詞解釈は楽しいんですよね。

また、「りありてぃ」の内容を通じて、マサムネさんの真摯な姿勢がうかがえるのも、いいところです。

スピッツファンとしては、彼が制作する曲を、安心して、楽しみに待つことができるわけです。



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