不死身のビーナスって、みなさん、どんな曲だと思いますか?
恋愛の曲ですか? まあそんな感じでしょう。
私も、そう思います。
では、いったいどんな恋愛を表現した曲なのでしょう。
サビがいきなり「最低の君を忘れない」です。すんごいインパクトのあるフレーズですよね。
一度聴いたら、忘れられない曲です。
私の解釈では、「空の飛び方」はその名のとおり「ぶっ飛んでいる」がテーマかと思っています。
どの曲も恋愛のことを歌っているようで、一筋縄ではいかないような、深い解釈が隠れていたりします。
「空も飛べるはず」の項目で触れてみましたが、あの曲は私の解釈では、「宇宙も飛べるはず」ということになりました。
壮大なメッセージが、隠されていたわけですね。あくまでも私の解釈上なので、本当かどうかは知らないですけど笑
同じアルバムに収録されている、この「不死身のビーナス」もまた、そんな隠れたメッセージがあるような気がします。
結論から言うと、この曲は、とても悲しい曲です。
まず、不死身のビーナスとはいったい何なのか。
ここから読み解いていきたいと思います。
ビーナスといえば、あの神話のビーナスのことです。これは間違いないと思います。金星のことではないと思います。
では、この神話のビーナスを、どういう意図で使ったのでしょう?
ビーナスは、神話上、性愛と強い関係にあります。また過去に制作された石像や絵画は、裸体が多いです。神話関係の芸術作品においては、裸体がすなわち性愛を表している、なんてことはないんですけれども、「不死身のビーナス」用にビーナスの意味を切り取ってみようとした場合、裸体や性愛が切り取れると言ってもいいと思います。
また神話上、女神というのは、性愛に奔放です。行為そのものに留まらず、性愛関係の話をしたり、性愛を表現するような仕草をしたりすることを、ありとあらゆる場面において行っています。何のためか。異性を誘うため? それもあるでしょう。でも、笑いをとるためでもあるのです。
自分の性愛の話、他人の性愛の話。性愛のしぐさ、恰好。それらを事あるごとにぶちかまして、笑いをとっているビーナスのような女の子が、「不死身のビーナス」の題材になっているんじゃないかなと、私は考えました。
「最低の君」というのは、卑猥なネタで笑いをとる子のことだと思うのです。
もっとも、題材になっている舞台のほうは神話ではなく、現代社会です。
普通に真面目に生活している人なら、そこまで性愛に奔放にはなりにくいです。何かのきっかけがあって、そういうふうにならざるを得なかったのかもしれません。例えば、性愛に関する、悲惨な、消し去りたい過去があって、それを覆い隠すために、平気なふりをする。それが、奔放さに繋がっているとしたら……。
そうなると、後半に出てくる「悲しい噂」というのは、噂ではなく、真実でしょう。たぶんこの歌の中の「ぼく」は、「最低の君」の過去に何があったのかを、知ってしまったのでしょう。それでも「悲しい噂は信じない」と言い切っています。彼女の「悲しい噂」を知っても、それをなかったことにしようとする。そこまで、深い関係になってしまったということですね。
「雨降り朝まで もう絶対泣かないで 知らないどこかへ行っちゃうその前に」
朝になれば、知らないどこかへ行っちゃうことが決まっている夜。別れを惜しむのではなく、笑ってすごそうと考えているようです。
「二人で取り出そう恥ずかしい物語を ひたすら背中叩かれてバカな幸せ」
ここで、背中を叩かれて幸せを感じているのは、ワイセツなことを言って笑っている場面です。恥ずかしい物語も、バカな幸せも、文字通りなのです。
「最低の君を忘れない おもちゃの指輪もはずさない 不死身のビーナスいつでも傷だらけ」
ただの卑猥なギャグを言うだけの女の子だったら、記憶にも残らないと思いますが、そんな最低の君を、忘れない、とまで言っています。それだけ「ぼく」の心に、深く突き刺さった人だったのでしょう。いつでも傷だらけなのは、自分を傷つけるタイプのギャグばかりを言っているからです。その姿は、不死身そうに見えるけれど……。
「疲れた目と目でいっぱい混ぜ合って 矢印通りに本気で抱き合って さよなら」
これは、別れる前の、彼女との最後の性行為です。矢印通りに、とわざわざ言ってるのは、性愛に詳しい彼女なら、いろんなワイセツ行為を、知識としては知っていたのでしょう。それでも、普通にしました。普通だけど、本気で。別れの前の性行為の悲しさが、伝わってくるようです。
「飲みほそう生ぬるい缶ビールを あくびが終わる勢いでドアを蹴飛ばす」
飲みたくもない缶ビールを、けじめとして、飲み干したところと、蹴飛ばすようにして勢いよく外に出た様子です。あくびが終ったら涙が出ますが、最初に泣かないで、と言った手前、涙を見せるわけにはいきませんから。
「最低の君を忘れない 悲しい噂は信じない 不死身のビーナス明日も風まかせ」
「不死身のビーナス ネズミの街 さびしい目で遠くを見てた 不死身のビーナス明日も風まかせ」
風まかせは、成り行きにまかせて行動することです。ビーナスが出てくる神話とはちょっと違うのですが、「神話」と「成り行きにまかせる」で私が連想したのが、ビートルズの「Let It Be」です。「Let It Be」は、苦難に直面しているときに聖母マリア様が現れて「あるがままに身を委ねなさい(Let It Be)」という曲なのですが、ものすごい優しいメッセージなんですよね。
傷だらけの君に対して「君は君でいい」というのも残酷な気がしますし、かといって「自分を変えようぜ」というのも無責任な気がします。
こうなってしまった過去は、変えることはできません。悲惨な過去は変えられないし、引きずられるのも当然です。
「ぼく」の立場としては「最低の君を忘れない」ことと「おもちゃの指輪は外さない」ことと「悲しい噂は信じない」程度しかできないです。それでも、彼女を案じていることが「風まかせ」の一文に現れていると思います。
私は、「不死身のビーナス」を、こんなふうに解釈しました。
本当は、ワイセツな表現になってしまうため記事にするのが難しく「記事にするのやめようかな…」と思ったのですが、その悲しい背景に気が付いて、やっぱりすげー曲だな、と思ったので、この気持ちをできるだけ表現したいと思いまして、記事にしました。正直これは大変でしたね笑
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